本耶馬渓町・耶馬溪町の主な石橋  堤橋・萬橋・城山橋・馬溪橋

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本耶馬渓町・耶馬溪町の主な石橋  堤橋・萬橋・城山橋・馬溪橋

「国東半島めぐり」帰りのついでの記事。宇佐市麻生で予定を終了。最後が「高野橋」で良かった。長崎への帰りは、そこから県道44号により桜峠を越えて耶馬溪へ下り、国道212号により日田市へ出た。その途中で見た石橋。
本耶馬渓町の石橋のうち、堤橋・萬橋・城山橋と、耶馬溪町の石橋のうち、馬溪橋。
石橋のデータと紹介文は、HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋による。

写真   1〜  3    堤   橋
本耶馬溪町大字東屋形 堤(つつみ)  屋形川
橋長:21.0m  橋幅:2.8m  径間:5.0m  拱矢:1.0  3連アーチ
架設:大正末期
萬橋から県道44号線を1.1Km東進、左手。
一説によれば耶馬渓橋の設計・施工に携わった岩淵萬吉が請け負ったと伝えられてい
る。欄干は、竣工当時の石造からガードレールに改修されている。
コンクリートで補強、拡幅してあります。

写真   4〜  7    萬(よろず)橋
本耶馬溪町大字今行 枌  屋形川
橋長:20.0m  橋幅:4.0m  径間:6.0m  拱矢:1.5  2連アーチ
架設:大正10年(1921)
施工:鳥越七郎
城山橋から県道44号線を1.4Km東進、左手。
戦後、コンクリート桁橋の増設によって竣工当時のほぼ2倍に拡幅されている。
また、拡幅時に欄干及び道路面はコンクリート製に改修されている。
現役の橋です。

写真   8〜 10    城山(しろやま)橋
本耶馬溪町大字下屋形 恵良  屋形川
橋長:16.8m  橋幅:2.45m  径間:   拱矢:0.95  3連アーチ
架設:大正末期
国道212号線樋田から県道44号線へ、約2.3Km東進。
上、下流側ともコンクリートによる拡幅、補強がしてあります。

写真  11        馬 溪 橋
耶馬溪町大字平田 町丈  山国川
橋長:82.6m  橋幅:6.0m  径間:13.9m  拱矢:4.8m  5連アーチ
架設:大正12年
国道212号線を本耶馬溪町から南進、耶馬溪町との町境から970m先右折。

(現地説明板)    馬 溪 橋
往時日田代官道(戸原側)と中津藩道(平田側)の往来は、夏は渡し舟、秋冬春は仮橋が架けられていた。しかし、仮橋は山国川の増水のたびに流されその都度、両岸の住民の出夫で修復されていた。
大正3年この橋より12m下手に下城井橋が架けられたが、これも大正11年4月の大洪水で流失。そこで、約12m上流に現在の眼鏡橋に架け替え橋名を馬溪橋と変更し現在に至る。
山国川に架かる石積アーチ式の橋の中で三大名橋のひとつに数えられ、貴重な橋である。
(平成元年5月1日指定 有形文化財)
なお、馬溪橋上から見る向かいの平らな山は史跡として指定されている平田城址(白米城址)で黒田騒動で福岡藩52万石を支えた筆頭家老栗山大膳が生れ育った城として有名である。が、城としての遺構は残っていない。春は桜・秋は紅葉の名所として住民の憩いの場となっている。      中津市教育委員会