月別アーカイブ: 2011年11月

高 野 堂  宇佐市麻生

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高 野 堂  宇佐市麻生

耶馬溪方面へ桜峠を越す県道44号により、宇佐市麻生へ行く。道祖神橋先の山ノ口入口から安心院方面への県道664号に左折する。500mほど行くと、アーチ式石橋「高野橋」がある。橋を渡った上に「高野堂」がある。
現地説明板は、次のとおり。

高 野 堂
国指定名勝 耶馬溪  宇佐市大字麻生字井ノ加倉5258番地ほか
奇岩群がそびえて独特な風景をなすこの一帯は、仙岩山とともに国指定名勝耶馬渓に含まれています。山麓の本堂には観世音菩薩が安置され、向かって左側の岩壁を登ると中ほどの岩陰に弘法大師の石像がまつられています。
「麻生村禅源寺年代記」には、江戸時代中頃の1712年に弘法大師の石像が安置されてから大師信仰が大流行し、8〜12kmも離れた村々からも人々が参詣するようになり、猪ノ鹿倉に菓子屋37軒、東川ノ内フタギノ川原に13軒店が出て、菓子や酒を売る繁盛ぶりであったことなどが記されています。

また、1725年2月には黄檗宗の僧泰雲が施主となって碧巌山高野堂を建立し、禅源寺の末寺となりました。その後一時衰退しましたが、江戸時代の後期の1785年に再興すると、以前にも増す参詣客で賑わうようになりました。その後も盛衰をくり返しながら、高野堂は昭和初期まで宇佐の名所として人気を集めました。
この度、地元有志の協力により、弘法大師像の奉納や境内の整備などを行い、自然と歴史に恵まれた霊験あらたかな高野堂を再興することにしました。多くの皆さんの参拝をお願いいたします。    平成16年4月20日   宇佐の文化財を守る会

宇佐市の主な石橋  高野橋・高野堂境内橋

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宇佐市の主な石橋  高野橋・高野堂境内橋

宇佐市の石橋のうち、高野橋・高野堂境内橋。院内町、宇佐神宮の石橋は、前に記事とした。
宇佐市院内町の石橋一覧表と石橋マップ、石橋(1)〜(7)は、
https://misakimichi.com/archives/2927 ほか
宇佐神宮の石橋は、https://misakimichi.com/archives/3011
石橋のデータと紹介文は、HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋による。

写真   1〜  6    高 野 橋
宇佐市大字麻生 高野堂
橋長:7.0m  橋幅:2.6m  径間:7.0m  拱矢:2.5m
架設:大正8年
麻生小学校から県道664号線を500m北上、右手に架かっています。

写真   7〜 11    高野堂境内橋
宇佐市大字麻生 高野堂
橋長:2.0m  橋幅:1.1m  径間:1.7m  拱矢:0.7m
架設:大正8年(1919)
麻生トヨ子寄附
高野堂の境内左奥にあります。

麻生のイヌマキ  宇佐市下麻生

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麻生のイヌマキ  宇佐市下麻生

鷹栖つり橋公園から国道387号を、ローソン角の宇佐IC入口まで戻る。別府宇佐道路宇佐ICまで行くと、宇佐市麻生地区に抜ける近道の市道がある。県道44号に出るので、耶馬溪方面へ県道を登って行くと、下麻生へ着く。

イヌマキがある旧麻生中学校の廃校跡は、県道の麻生郵便局前から右折。橋を渡って対面岸を上流へ行く。校門が残り平和公園となっている。集落へ手前の入口の道に「凱旋門」もあった。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。

特別保護樹木    49.麻生のイヌマキ
樹種名 : イヌマキ
樹  齢 : 400年
樹  高 : 17.0m
幹  周 : 3.54m
所在地 : 宇佐市大字下麻生
所有者 : 宇佐市
来  歴
宇佐市大字下麻生、旧麻生中学校の廃校跡、旧校門を入ってすぐ左側、運動場の西南隅に吃立する巨樹。県指定特別保護樹木。
戦前、この地は旧郷社麻生神社の仮宮(御旅所)の在ったところ。麻生神社は大字麻生字台に鎮座し、仲衰天皇ほか二三神を祀る。治安三年(1023)、宇佐八幡より勧請したもの。別称麻生八幡社。
仮宮を守り鎮める樹木としては、このイヌマキ一本が残っているだけで、他は中学校建設のときに切り払われている。ご神木であったというこのイヌマキにも標徴する七五三縄もない。
イヌマキは暖地森林に自生する常緑高木。倒卵型暗紅色の実は食用となる。往時はスギをマキと呼び、本種はスギに劣るところから犬マキと称したという。(牧野日本植物大図鑑)
幹周りの大きさでは樹種別全県第一位。(1991年環境庁調べ) 目通り周囲300cm以上のものは県内に三本だけ。第二位は別府市八坂神社の350cm、第三位は庄内町笛加倉の300
cmである。ご神木としても珍しく、この木のほかは、大分市鶴崎の剣八幡社(220cm)ぐらいであろう。

鷹栖つり橋公園  宇佐市上拝田

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鷹栖つり橋公園  宇佐市上拝田

宇佐神宮前の国道10号を駅館川まで行く。瀬社橋を渡って左折し、院内への国道387号に入る。宇佐IC入口を過ぎた先の駅館川岸に、「鷹栖つり橋公園」がある。
つり橋は、大分県内では最長の人道斜長橋。百間岩に飛び立とうとする鷹の姿がイメージされている。 「
大分県観光情報サイトによる説明は、次のとおり。つり橋を渡った「鷹栖観音堂」や、親柱に延享2年(1745)銘、県内最古の石橋とされる「とくしん橋」までは行かなかった。

鷹栖つり橋公園
鷹栖つり橋公園には、宇佐平野を潤す「駅館川(やっかんがわ)」に鷹栖観音堂へと向かう全長132.5mの人道斜長橋が架かっています。
鷹栖観音堂は約1200年前に僧法蓮により開基されたと伝えられており、懸造りで建てられている現在の御堂は江戸時代のものです。
毎年1月4日におこなわれる「鬼会」は締め込み姿の男衆が火のついた松明をかついで駅館川を渡り、松明を叩き合い、無病息災と五穀豊穣を祈願する勇壮な火と水の祭りです。
また、毎年1月10日におこなわれる「千日参り」は、家内安全、知恵観音として御利益があり、この日にお参りすれば千日分の御利益があるといわれています。

高家神社のクロガネモチ  宇佐市下高家

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高家神社のクロガネモチ  宇佐市下高家

JR日豊本線「豊前善光寺駅」の裏手へ回り、日豊本線沿いに海側を行く県道23号へ入る。左の中津方面に向かうと、県道左に「高家神社」の鳥居がある。
県道鳥居から神社正面へ回る。神殿の後ろ両側に大木2本が見える。左側が指定木の「クロガネモチ」で標柱が立っている。右側のはクスノキで「御神木」とある。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。

特別保護樹木    50. 高家神社のクロガネモチ
樹種名 : クロガネモチ
樹  齢 : 350年
樹  高 : 15.0m
幹  周 : 3.40m
所在地 : 宇佐市大字下高家
所有者 : 高家神社
来  歴
宇佐市大字下高家、旧高家郷社、高家神社の神殿右側に聳立する巨樹。県指定特別保護樹木。ご神木は神殿左側に成立するクスノキ。ほぼ同年代の植栽と思われる。
当社は、天慶三年(940)、筑前宗像大社の分霊を勧請して創祀したものという。明治維新前の称号は宗像神社、神祇は宗像宗臣氏。由緒ある神社ではあるが、区画整理の煽りをうけて神域も狭められ、旧郷社の風格をいちじるしく削がれている。
神殿両側の二本の巨木のほかは鎮守の森らしい植生はなく、寛永、寛政のむかし、神祇建築の粋をつくした拝殿、本殿建築の威容にもかかわらず、神域の森厳さに重みを欠くのが惜しまれる。
拝殿は寛永一八年(1641)、本殿は寛政三年(1791)の建立。現在の本殿はその後に改築したもの。クロガネモチとクスノキは拝殿再建の記念として献木したものと伝えられる。
クロガネモチは樹勢旺盛であるが、平成三年の一九号台風で樹冠上部の主・支幹ともに切断されて、梢頭部を欠く姿になっている。ご神木のクスノキも台風による傷みがひどく、吹き飛ばされた枝葉の傷口から無数の萌芽が族生し、寄生木状にみえる。樹勢の衰えが憂われる。

八幡小学校のソテツ  宇佐市下乙女

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八幡小学校のソテツ  宇佐市下乙女

JR日豊本線「豊前善光寺駅通り」の駅手前となる乙女郵便局から右折する。なるべく広いバス道路を伝い東方へと行くと、下乙女の「八幡小学校」正門前に出る。指定木のソテツは、正門から入った校庭の体育館側にある。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。

特別保護樹木    51. 八幡小学校のソテツ
樹種名 : ソテツ
樹  齢  : 550年
樹  高  : 5m
幹  周  : 根元6.0m
所在地 : 宇佐市大字下乙女
所有者 : 宇佐市
来  歴
宇佐市大字下乙女、八幡小学校校舎前、校庭の東隅に築かれた卒業記念庭園に植えてある名木。県指定特別保護樹木。 
庭園前に建っている銘石の由来記によると、この大ソテツは下乙女に住む中島頼種氏が、文明5年(1473)、豊後佐賀関より入手、移植されたと伝えられる。昭和32年、創立80周年記念事業として特別寄贈をうけ、中島今朝五郎邸から、校庭に再び移植されていた。それを、平成3年3月、第40回卒業記念庭園の造成にさいして、現在地に三度移植したものである。佐賀関より移植したときの樹齢は、50年生ぐらいといわれ、樹齢推定の根拠となっている。永年校庭に成立していたために踏圧をうけ、かつ、深植えのため、分けつ、成長ともに、本来の生育を遂げていないのは惜しまれる。

城井一号掩体壕  宇佐市城井

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城井一号掩体壕  宇佐市城井

JR日豊本線柳ヶ浦駅近く、東光寺五百羅漢から南の、県道629号「駅館大橋」へ出る。直線道路の県道を西へ向かうと、「掩体壕」(えんたいごう)の進入路案内板がある。国道10号からは、辛島交差点からフラワーロード2号線を北へ進み、左折して進入路に入る。
宇佐市観光協会HPによる説明は、次のとおり。コンクリート製掩体壕は、10基残っており、近くの田園や住宅地の中に見られる。

城井一号掩体壕
アジア太平洋戦争時代の旧宇佐海軍航空隊関係の戦争遺跡。10基現存する有蓋掩体号の内の1基。市指定史跡「城井一号掩体壕」
宇佐海軍航空隊は昭和14年(1939)10月1日、練習航空隊として開隊しました。しかし、米軍の空襲をうけるようになった昭和20年(1945)の太平洋戦争末期には特別攻撃隊の基地となり、多くの若者が南の空に飛び立っていきました。

掩体壕とは軍用機を敵の空襲から守るための施設です。柳ヶ浦地区を中心とした基地の規模は東西1.2km、南北1.3kmで、184haありました。戦後、飛行場などのあとは、水田や道路にかえされており、その面影を残すのは10基のコンクリート製掩体壕などわずかな遺構だけです。

宇佐市では戦後50年の節目を「平和元年」とし、この負の遺産を平和のシンボルとして21世紀に伝えることにしました。その第一歩として、平成7年3月28日に城井地区にある掩体壕1基を史跡に指定し、平成9年度に周辺用地を含め史跡公園として整備しました。説明版のほか、特攻隊の戦死者名や俳句・短歌を刻んだ平和記念碑なども設置しています。

東光寺の五百羅漢  宇佐市江須賀

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東光寺の五百羅漢  宇佐市江須賀

JR日豊本線柳ヶ浦駅の近く、駅館川(やっかんがわ)沿いの県道44号から、少し入ったところに「東光寺」はある。
現地説明板は、次のとおり。

東光寺五百羅漢   市指定有形民俗文化財
15代玉峰道琳和尚が、当時の世相から住民を救うため日出(速見郡日出町)の石工吉野覚之丞(覚兵衛とも伝えられる)に依頼して文久3年(1863年)から明治14年までの19年間(安政6年から明治15年までの24年間とも伝えられる)かけて521体の石像を完成させました。
元来羅漢は異相ですが、当寺の羅漢には美笑醜渋の四面相があり表情が実に豊かで個性的であります。なお、16羅漢と仏足石が本堂裏に安置されています。薬師寺の仏足石を模して造られたもので、長さは1尺6寸あり全国的にも数少ない貴重なものです。

貴船神社のクロマツ  宇佐市住江

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貴船神社のクロマツ  宇佐市住江

JR日豊本線柳ヶ浦駅前から左斜めに行く県道23号により、中津市方面へ向かう。しばらく進むと、県道右に「貴船神社」が見える。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。

特別保護樹木    56. 貴船神社のクロマツ
樹種名 : クロマツ
樹  齢  : 300年
樹  高  : 11.5m
幹  周  : 2.80m
所在地 : 宇佐市大字住江
所有者 : 貴船神社
来  歴
宇佐市大字住江字宮ノ下、貴船神社の境内に聳える巨樹。県指定特別保護樹木。
この貴船神社は、養老3年(719年)に今戸万久郎代官が京都より柳ヶ浦に勧請し暫時宇佐市郡各所に建立した内の一つである。
中野幡能氏の柳ヶ浦町史によると、「貴船神社は大字住江字宮ノ下に鎮座す、境内の面積254坪あり松樹多し、創立年時及び由緒不明」と記されているが、鳥居には、寛文7年(1658年)記されている。
このクロマツは、平成7年よりボランティアで基金を募り薬剤注入施し近年増加している松食い虫から防除しており、天上は傘状に広がり、根上がりの形状も良好である。建立当時より神社の御神木としてに生きてきた老大木で、近年増加傾向にある松食い虫等の影響からマツが激害を受ける中、樹齢300年を誇る不老のマツである。

宇佐風土記の丘・大分県立歴史博物館  宇佐市高森京塚

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宇佐風土記の丘・大分県立歴史博物館  宇佐市高森京塚

宇佐神宮前の国道10号を、中津方面へしばらく進む。「宇佐風土記の丘」入口の案内板から右折して行く。大分県立歴史博物館と、史跡公園「宇佐風土記の丘」がある。
大分県立歴史博物館HPによる説明は、次のとおり。大分県立歴史博物館の内部写真は、東光寺前の大分県展示板から。

史 跡
宇佐風土記の丘は、駅館川東岸の台地に広がる総面積約19.2ヘクタールの史跡公園です。園内には、九州最古の前方後円墳である赤塚古墳をはじめ、6基の前方後円墳が築かれています。これらの古墳群に埋葬された人たちは、3世から6世紀にかけて宇佐平野を支配していた宇佐国造家の首長たちだと考えられています。

赤塚古墳   全長57.5m  3世紀末
免ヶ平古墳  全長50m  4世紀
福勝寺古墳 全長82m  5世紀
車坂古墳   全長58m  5〜5世紀
角房古墳   全長46m  4〜5世紀
鶴見古墳   全長31m  6世紀

当施設について
大分県立歴史博物館は、史跡公園「宇佐風土記の丘」に昭和56年に開設された県立宇佐風土記の丘歴史民俗資料館を前身としています。平成10年度、よりよい文化財の保存・活用と展示内容の刷新、文化財の収蔵・保存スペースの拡充などをはかり、館名を改め、再スタートいたしました。
当館は、大分県の文化財保護研究センターとして活動し、文化財愛護思想の高揚につとめ、県民のみならず大分県を訪れる方々に歴史や文化を学習していただく場を提供しています。宇佐風土記の丘のご活用とともに、皆様のご来館をお待ちしております。