城井一号掩体壕  宇佐市城井

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城井一号掩体壕  宇佐市城井

JR日豊本線柳ヶ浦駅近く、東光寺五百羅漢から南の、県道629号「駅館大橋」へ出る。直線道路の県道を西へ向かうと、「掩体壕」(えんたいごう)の進入路案内板がある。国道10号からは、辛島交差点からフラワーロード2号線を北へ進み、左折して進入路に入る。
宇佐市観光協会HPによる説明は、次のとおり。コンクリート製掩体壕は、10基残っており、近くの田園や住宅地の中に見られる。

城井一号掩体壕
アジア太平洋戦争時代の旧宇佐海軍航空隊関係の戦争遺跡。10基現存する有蓋掩体号の内の1基。市指定史跡「城井一号掩体壕」
宇佐海軍航空隊は昭和14年(1939)10月1日、練習航空隊として開隊しました。しかし、米軍の空襲をうけるようになった昭和20年(1945)の太平洋戦争末期には特別攻撃隊の基地となり、多くの若者が南の空に飛び立っていきました。

掩体壕とは軍用機を敵の空襲から守るための施設です。柳ヶ浦地区を中心とした基地の規模は東西1.2km、南北1.3kmで、184haありました。戦後、飛行場などのあとは、水田や道路にかえされており、その面影を残すのは10基のコンクリート製掩体壕などわずかな遺構だけです。

宇佐市では戦後50年の節目を「平和元年」とし、この負の遺産を平和のシンボルとして21世紀に伝えることにしました。その第一歩として、平成7年3月28日に城井地区にある掩体壕1基を史跡に指定し、平成9年度に周辺用地を含め史跡公園として整備しました。説明版のほか、特攻隊の戦死者名や俳句・短歌を刻んだ平和記念碑なども設置しています。