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国東半島の巨樹・名木 (2) そのほかの掲載一覧

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国東半島の巨樹・名木 (2) そのほかの掲載一覧

大分県(農林水産部 森との共生推進室)HP「豊の国の名樹」に、特別保護樹林・特別保護樹木一覧表と個別解説がある。 http://www.pref.oita.jp/soshiki/16210/meiboku.html
ただし、選定基準が不明。国県市町村指定の天然記念物や、そのほか多くの巨樹・名木と言われる木が登載されていない。大分県関係の全体を知るのに、一般人にとってまったく不便なリストと広報となっている。

国東半島の巨樹・名木について、本ブログでは他の資料などから、これらの木も可能な限り調査し、現地を訪ねてピックアップした。掲載一覧(2)は、その分の記事URLである。(1)とともに参照。由布市湯布院町の「大杵社の大杉」は、国指定天然記念物。近くなので特別に載せた。

(2)大分県「豊の国の名樹一覧表」登載外そのほかの掲載一覧

項目は、整理番号 名称 所在 幹囲 樹高 樹齢(推定) 天然記念物指定と年月日の順
1 大杵社の大スギ    由布市湯布院町川南
10.9m  38m  1000年以上  国指定 昭和9年8月9日
https://misakimichi.com/archives/2919
2 日岳神社のムクノキ    宇佐市院内町日岳
5.9m  不 明  100〜199年  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2924
3 日吉神社のイチイガシ    宇佐市安心院町水車
5.0m  30m  不 明  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2940
4 寒水のムクノキ    宇佐市安心院町寒水
6.1m  30m  不 明  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2942
5 東椎屋のイチイガシ    宇佐市安心院町東椎屋(熊野神社内)
右 8.20m  32.80m  左 6.75m 26.80m
400〜500年  市指定 昭和51年12月2日
https://misakimichi.com/archives/2944

6 山蔵のイチイガシ    宇佐市安心院町山蔵
7.4m  24m  不 明  県指定 昭和30年5月27日
https://misakimichi.com/archives/2950
7 松屋寺のソテツ    日出町日出
株元 6.4m  6.1m  600年以上  国指定 大正13年12月9日
https://misakimichi.com/archives/2959
8 日出のサザンカ    日出町日出(日出中学校内)
地上1mで数枝、 7.6m  400年以上  県指定 昭和32年3月26日
https://misakimichi.com/archives/2960
9 城内邸のサクラ(魚見桜)    日出町豊岡
不 明  不 明  400年  町指定 年月日不明
https://misakimichi.com/archives/2957
10 五田八坂神社のクスノキ    杵築市鴨川
7.3m  30m  伝承 700年以上  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2965

11 瑠璃光寺のサルスベリ    国東市安岐町糸永
2.1m  15m  600年  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2967
12 瑠璃光寺のモッコク    国東市安岐町糸永
不 明  不 明  不 明  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2967
13 山神社のムクノキ    国東市国見町岐部
7.5m  25m  300年以上  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2972
14 六所宮のイチイガシ    国東市国見町西方寺
5.5m  15m  300年以上  指定なし
https://misakimichi.com/archives/2975
15 宇佐神宮のクスノキ    宇佐市南宇佐
5.4m  25m  300年以上  「宇佐神宮社叢」で国指定 昭和52年4月12日
https://misakimichi.com/archives/3013

国東半島の巨樹・名木 (1) 大分県「豊の国の名樹」掲載一覧

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国東半島の巨樹・名木 (1) 大分県「豊の国の名樹」掲載一覧

大分県(農林水産部 森との共生推進室)HP「豊の国の名樹」の説明は、次のとおり。

豊の国の名樹    http://www.pref.oita.jp/soshiki/16210/meiboku.html
私たちのふるさと大分県には、神社・仏閣などの鎮守の森に代表される価値ある樹林や地域住民に親しまれてきた老樹、巨樹が各地に数多く残されています。
これら貴重な樹林・樹木は永い年月にわたり愛され育てられてきた歴史的、民族的な遺産であり、郷土色豊かな風土をはぐくんできた地域のシンボルでもあります。
このような「緑の文化財」を守るため、県では県条例を設け、特別保護樹林(木)として保護してきましたが、これらかけがえのない樹林・樹木を後世に残していくには、私たち県民一人一人が「緑の担い手」としての理解を深め、保護育成に努めていかなければなりません。

上記には、特別保護樹林・特別保護樹木一覧表と個別解説がある。このうちから、本ブログは、国東半島関係分を訪ねて、次のURL記事としている。
大分県「豊の国の名樹一覧表」は、選定基準が不明。国県市町村指定の天然記念物や、そのほか多くの巨樹・名木と言われる木が登載されていない。どの県も「100選」となるのだが…。
文化財等による保護という、所管の違いがあるかも知れない。大分県全体の樹木を知るのに、一般人にとってまったく不便なリストと広報である。

本ブログでは他の資料などから、これらの木も可能な限り調査し、現地を訪ねてピックアップした。掲載一覧(2)は、その分であるので、同時に参照。

(1)大分県「豊の国の名樹一覧表」登載分

(特別保護樹林)
項目は、整理番号 名称 所在 所有 樹林の状況(主樹種) 指定年月日の順。

1 熊野権現の森  豊後高田市大字平野  熊野社
スギ,ウラジロ,カシ,ケヤキ,モチノキ,ムク,ツバキ  S49.3.15
https://misakimichi.com/archives/2989
21 真玉八幡神社の森  豊後高田市西真玉  真玉八幡神社
コジイ・イチイガシ  H17.12.9
https://misakimichi.com/archives/3001

(特別保護樹木)
項目は、整理番号 樹木名 所在 所有 胸高周囲 樹高 樹齢(推定) 指定年月日の順。

1 算所の大クスノキ   豊後高田市新栄  算所区
760cm  23m  500年  S49.3.15
https://misakimichi.com/archives/3003
2 呉崎小学校のフェニックス  豊後高田市呉崎  豊後高田市
200cm  12m   63年  S50.1.7
https://misakimichi.com/archives/3002
3 白木神社のイスノキ  杵築市大田白木原  白木神社
400cm  20m  600年  S50.1.7
https://misakimichi.com/archives/2966  
4 真玉のおべん柿  豊後高田市真玉  富山寿満
170cm  16m  230年  S50.1.7
https://misakimichi.com/archives/2999
5 赤根社のイチイガシ  国東市国見町赤根一円坊  赤根社
290cm  22m(明細は、3.3m 25m?)  300年  S51.3.9
https://misakimichi.com/archives/2983

6 文殊仙寺の大ケヤキ  国東市国東町大恩寺  文殊仙寺
565cm  30m  1000年  S49.3.15
https://misakimichi.com/archives/2987
7 椿八幡神社のクスノキ  国東市武蔵町三井寺  椿八幡神社
840cm  22m  950年  S49.3
https://misakimichi.com/archives/2970
49 麻生のイヌマキ  宇佐市大字下麻生  宇佐市
354cm  17m  400年  S50.1.7
https://misakimichi.com/archives/3021
50 高家神社のクロガネモチ  宇佐市大字下高家  高家神社
340cm  15m  350年  S51.3.9
https://misakimichi.com/archives/3019
51 八幡小学校のソテツ  宇佐市大字下乙女  宇佐市
根元 600cm  5m  550年  S53.3.22
https://misakimichi.com/archives/3018

52 西椎屋の大イチョウ  宇佐市院内町西椎屋  西椎屋神社
1120cm  34m  1600年  S49.3.15
https://misakimichi.com/archives/2922
53 藤群神社の二本スギ(右) 宇佐市院内町斉藤  藤群神社
590cm  31m  400年  H14.1.8
https://misakimichi.com/archives/2923
54 藤群神社の二本スギ(左) 宇佐市院内町斉藤  藤群神社
660cm  32m  400年  H14.1.8
https://misakimichi.com/archives/2923
56 貴船神社のクロマツ  宇佐市大字住江  貴船神社
280cm  11.55m  300年  H15.4.25
https://misakimichi.com/archives/3015
59 古幡社のムクノキ  国東市国見町赤根  古幡社
427cm  7.5m  300年  H18.3.14
https://misakimichi.com/archives/2984

60 古幡社のケンポナシ  国東市国見町赤根  古幡社
208cm  22.5m  200年  H18.3.14
https://misakimichi.com/archives/2985
61 熊野神社のスダジイ  宇佐市大字西大堀  熊野神社
580cm  27m  500年  H20.4.8
https://misakimichi.com/archives/3009

本耶馬渓町・耶馬溪町の主な石橋  堤橋・萬橋・城山橋・馬溪橋

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本耶馬渓町・耶馬溪町の主な石橋  堤橋・萬橋・城山橋・馬溪橋

「国東半島めぐり」帰りのついでの記事。宇佐市麻生で予定を終了。最後が「高野橋」で良かった。長崎への帰りは、そこから県道44号により桜峠を越えて耶馬溪へ下り、国道212号により日田市へ出た。その途中で見た石橋。
本耶馬渓町の石橋のうち、堤橋・萬橋・城山橋と、耶馬溪町の石橋のうち、馬溪橋。
石橋のデータと紹介文は、HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋による。

写真   1〜  3    堤   橋
本耶馬溪町大字東屋形 堤(つつみ)  屋形川
橋長:21.0m  橋幅:2.8m  径間:5.0m  拱矢:1.0  3連アーチ
架設:大正末期
萬橋から県道44号線を1.1Km東進、左手。
一説によれば耶馬渓橋の設計・施工に携わった岩淵萬吉が請け負ったと伝えられてい
る。欄干は、竣工当時の石造からガードレールに改修されている。
コンクリートで補強、拡幅してあります。

写真   4〜  7    萬(よろず)橋
本耶馬溪町大字今行 枌  屋形川
橋長:20.0m  橋幅:4.0m  径間:6.0m  拱矢:1.5  2連アーチ
架設:大正10年(1921)
施工:鳥越七郎
城山橋から県道44号線を1.4Km東進、左手。
戦後、コンクリート桁橋の増設によって竣工当時のほぼ2倍に拡幅されている。
また、拡幅時に欄干及び道路面はコンクリート製に改修されている。
現役の橋です。

写真   8〜 10    城山(しろやま)橋
本耶馬溪町大字下屋形 恵良  屋形川
橋長:16.8m  橋幅:2.45m  径間:   拱矢:0.95  3連アーチ
架設:大正末期
国道212号線樋田から県道44号線へ、約2.3Km東進。
上、下流側ともコンクリートによる拡幅、補強がしてあります。

写真  11        馬 溪 橋
耶馬溪町大字平田 町丈  山国川
橋長:82.6m  橋幅:6.0m  径間:13.9m  拱矢:4.8m  5連アーチ
架設:大正12年
国道212号線を本耶馬溪町から南進、耶馬溪町との町境から970m先右折。

(現地説明板)    馬 溪 橋
往時日田代官道(戸原側)と中津藩道(平田側)の往来は、夏は渡し舟、秋冬春は仮橋が架けられていた。しかし、仮橋は山国川の増水のたびに流されその都度、両岸の住民の出夫で修復されていた。
大正3年この橋より12m下手に下城井橋が架けられたが、これも大正11年4月の大洪水で流失。そこで、約12m上流に現在の眼鏡橋に架け替え橋名を馬溪橋と変更し現在に至る。
山国川に架かる石積アーチ式の橋の中で三大名橋のひとつに数えられ、貴重な橋である。
(平成元年5月1日指定 有形文化財)
なお、馬溪橋上から見る向かいの平らな山は史跡として指定されている平田城址(白米城址)で黒田騒動で福岡藩52万石を支えた筆頭家老栗山大膳が生れ育った城として有名である。が、城としての遺構は残っていない。春は桜・秋は紅葉の名所として住民の憩いの場となっている。      中津市教育委員会

高 野 堂  宇佐市麻生

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高 野 堂  宇佐市麻生

耶馬溪方面へ桜峠を越す県道44号により、宇佐市麻生へ行く。道祖神橋先の山ノ口入口から安心院方面への県道664号に左折する。500mほど行くと、アーチ式石橋「高野橋」がある。橋を渡った上に「高野堂」がある。
現地説明板は、次のとおり。

高 野 堂
国指定名勝 耶馬溪  宇佐市大字麻生字井ノ加倉5258番地ほか
奇岩群がそびえて独特な風景をなすこの一帯は、仙岩山とともに国指定名勝耶馬渓に含まれています。山麓の本堂には観世音菩薩が安置され、向かって左側の岩壁を登ると中ほどの岩陰に弘法大師の石像がまつられています。
「麻生村禅源寺年代記」には、江戸時代中頃の1712年に弘法大師の石像が安置されてから大師信仰が大流行し、8〜12kmも離れた村々からも人々が参詣するようになり、猪ノ鹿倉に菓子屋37軒、東川ノ内フタギノ川原に13軒店が出て、菓子や酒を売る繁盛ぶりであったことなどが記されています。

また、1725年2月には黄檗宗の僧泰雲が施主となって碧巌山高野堂を建立し、禅源寺の末寺となりました。その後一時衰退しましたが、江戸時代の後期の1785年に再興すると、以前にも増す参詣客で賑わうようになりました。その後も盛衰をくり返しながら、高野堂は昭和初期まで宇佐の名所として人気を集めました。
この度、地元有志の協力により、弘法大師像の奉納や境内の整備などを行い、自然と歴史に恵まれた霊験あらたかな高野堂を再興することにしました。多くの皆さんの参拝をお願いいたします。    平成16年4月20日   宇佐の文化財を守る会

宇佐市の主な石橋  高野橋・高野堂境内橋

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宇佐市の主な石橋  高野橋・高野堂境内橋

宇佐市の石橋のうち、高野橋・高野堂境内橋。院内町、宇佐神宮の石橋は、前に記事とした。
宇佐市院内町の石橋一覧表と石橋マップ、石橋(1)〜(7)は、
https://misakimichi.com/archives/2927 ほか
宇佐神宮の石橋は、https://misakimichi.com/archives/3011
石橋のデータと紹介文は、HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋による。

写真   1〜  6    高 野 橋
宇佐市大字麻生 高野堂
橋長:7.0m  橋幅:2.6m  径間:7.0m  拱矢:2.5m
架設:大正8年
麻生小学校から県道664号線を500m北上、右手に架かっています。

写真   7〜 11    高野堂境内橋
宇佐市大字麻生 高野堂
橋長:2.0m  橋幅:1.1m  径間:1.7m  拱矢:0.7m
架設:大正8年(1919)
麻生トヨ子寄附
高野堂の境内左奥にあります。

麻生のイヌマキ  宇佐市下麻生

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麻生のイヌマキ  宇佐市下麻生

鷹栖つり橋公園から国道387号を、ローソン角の宇佐IC入口まで戻る。別府宇佐道路宇佐ICまで行くと、宇佐市麻生地区に抜ける近道の市道がある。県道44号に出るので、耶馬溪方面へ県道を登って行くと、下麻生へ着く。

イヌマキがある旧麻生中学校の廃校跡は、県道の麻生郵便局前から右折。橋を渡って対面岸を上流へ行く。校門が残り平和公園となっている。集落へ手前の入口の道に「凱旋門」もあった。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。

特別保護樹木    49.麻生のイヌマキ
樹種名 : イヌマキ
樹  齢 : 400年
樹  高 : 17.0m
幹  周 : 3.54m
所在地 : 宇佐市大字下麻生
所有者 : 宇佐市
来  歴
宇佐市大字下麻生、旧麻生中学校の廃校跡、旧校門を入ってすぐ左側、運動場の西南隅に吃立する巨樹。県指定特別保護樹木。
戦前、この地は旧郷社麻生神社の仮宮(御旅所)の在ったところ。麻生神社は大字麻生字台に鎮座し、仲衰天皇ほか二三神を祀る。治安三年(1023)、宇佐八幡より勧請したもの。別称麻生八幡社。
仮宮を守り鎮める樹木としては、このイヌマキ一本が残っているだけで、他は中学校建設のときに切り払われている。ご神木であったというこのイヌマキにも標徴する七五三縄もない。
イヌマキは暖地森林に自生する常緑高木。倒卵型暗紅色の実は食用となる。往時はスギをマキと呼び、本種はスギに劣るところから犬マキと称したという。(牧野日本植物大図鑑)
幹周りの大きさでは樹種別全県第一位。(1991年環境庁調べ) 目通り周囲300cm以上のものは県内に三本だけ。第二位は別府市八坂神社の350cm、第三位は庄内町笛加倉の300
cmである。ご神木としても珍しく、この木のほかは、大分市鶴崎の剣八幡社(220cm)ぐらいであろう。

鷹栖つり橋公園  宇佐市上拝田

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鷹栖つり橋公園  宇佐市上拝田

宇佐神宮前の国道10号を駅館川まで行く。瀬社橋を渡って左折し、院内への国道387号に入る。宇佐IC入口を過ぎた先の駅館川岸に、「鷹栖つり橋公園」がある。
つり橋は、大分県内では最長の人道斜長橋。百間岩に飛び立とうとする鷹の姿がイメージされている。 「
大分県観光情報サイトによる説明は、次のとおり。つり橋を渡った「鷹栖観音堂」や、親柱に延享2年(1745)銘、県内最古の石橋とされる「とくしん橋」までは行かなかった。

鷹栖つり橋公園
鷹栖つり橋公園には、宇佐平野を潤す「駅館川(やっかんがわ)」に鷹栖観音堂へと向かう全長132.5mの人道斜長橋が架かっています。
鷹栖観音堂は約1200年前に僧法蓮により開基されたと伝えられており、懸造りで建てられている現在の御堂は江戸時代のものです。
毎年1月4日におこなわれる「鬼会」は締め込み姿の男衆が火のついた松明をかついで駅館川を渡り、松明を叩き合い、無病息災と五穀豊穣を祈願する勇壮な火と水の祭りです。
また、毎年1月10日におこなわれる「千日参り」は、家内安全、知恵観音として御利益があり、この日にお参りすれば千日分の御利益があるといわれています。

高家神社のクロガネモチ  宇佐市下高家

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高家神社のクロガネモチ  宇佐市下高家

JR日豊本線「豊前善光寺駅」の裏手へ回り、日豊本線沿いに海側を行く県道23号へ入る。左の中津方面に向かうと、県道左に「高家神社」の鳥居がある。
県道鳥居から神社正面へ回る。神殿の後ろ両側に大木2本が見える。左側が指定木の「クロガネモチ」で標柱が立っている。右側のはクスノキで「御神木」とある。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。

特別保護樹木    50. 高家神社のクロガネモチ
樹種名 : クロガネモチ
樹  齢 : 350年
樹  高 : 15.0m
幹  周 : 3.40m
所在地 : 宇佐市大字下高家
所有者 : 高家神社
来  歴
宇佐市大字下高家、旧高家郷社、高家神社の神殿右側に聳立する巨樹。県指定特別保護樹木。ご神木は神殿左側に成立するクスノキ。ほぼ同年代の植栽と思われる。
当社は、天慶三年(940)、筑前宗像大社の分霊を勧請して創祀したものという。明治維新前の称号は宗像神社、神祇は宗像宗臣氏。由緒ある神社ではあるが、区画整理の煽りをうけて神域も狭められ、旧郷社の風格をいちじるしく削がれている。
神殿両側の二本の巨木のほかは鎮守の森らしい植生はなく、寛永、寛政のむかし、神祇建築の粋をつくした拝殿、本殿建築の威容にもかかわらず、神域の森厳さに重みを欠くのが惜しまれる。
拝殿は寛永一八年(1641)、本殿は寛政三年(1791)の建立。現在の本殿はその後に改築したもの。クロガネモチとクスノキは拝殿再建の記念として献木したものと伝えられる。
クロガネモチは樹勢旺盛であるが、平成三年の一九号台風で樹冠上部の主・支幹ともに切断されて、梢頭部を欠く姿になっている。ご神木のクスノキも台風による傷みがひどく、吹き飛ばされた枝葉の傷口から無数の萌芽が族生し、寄生木状にみえる。樹勢の衰えが憂われる。

八幡小学校のソテツ  宇佐市下乙女

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八幡小学校のソテツ  宇佐市下乙女

JR日豊本線「豊前善光寺駅通り」の駅手前となる乙女郵便局から右折する。なるべく広いバス道路を伝い東方へと行くと、下乙女の「八幡小学校」正門前に出る。指定木のソテツは、正門から入った校庭の体育館側にある。
大分県HP「豊の国の名樹」による説明は、次のとおり。

特別保護樹木    51. 八幡小学校のソテツ
樹種名 : ソテツ
樹  齢  : 550年
樹  高  : 5m
幹  周  : 根元6.0m
所在地 : 宇佐市大字下乙女
所有者 : 宇佐市
来  歴
宇佐市大字下乙女、八幡小学校校舎前、校庭の東隅に築かれた卒業記念庭園に植えてある名木。県指定特別保護樹木。 
庭園前に建っている銘石の由来記によると、この大ソテツは下乙女に住む中島頼種氏が、文明5年(1473)、豊後佐賀関より入手、移植されたと伝えられる。昭和32年、創立80周年記念事業として特別寄贈をうけ、中島今朝五郎邸から、校庭に再び移植されていた。それを、平成3年3月、第40回卒業記念庭園の造成にさいして、現在地に三度移植したものである。佐賀関より移植したときの樹齢は、50年生ぐらいといわれ、樹齢推定の根拠となっている。永年校庭に成立していたために踏圧をうけ、かつ、深植えのため、分けつ、成長ともに、本来の生育を遂げていないのは惜しまれる。

城井一号掩体壕  宇佐市城井

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城井一号掩体壕  宇佐市城井

JR日豊本線柳ヶ浦駅近く、東光寺五百羅漢から南の、県道629号「駅館大橋」へ出る。直線道路の県道を西へ向かうと、「掩体壕」(えんたいごう)の進入路案内板がある。国道10号からは、辛島交差点からフラワーロード2号線を北へ進み、左折して進入路に入る。
宇佐市観光協会HPによる説明は、次のとおり。コンクリート製掩体壕は、10基残っており、近くの田園や住宅地の中に見られる。

城井一号掩体壕
アジア太平洋戦争時代の旧宇佐海軍航空隊関係の戦争遺跡。10基現存する有蓋掩体号の内の1基。市指定史跡「城井一号掩体壕」
宇佐海軍航空隊は昭和14年(1939)10月1日、練習航空隊として開隊しました。しかし、米軍の空襲をうけるようになった昭和20年(1945)の太平洋戦争末期には特別攻撃隊の基地となり、多くの若者が南の空に飛び立っていきました。

掩体壕とは軍用機を敵の空襲から守るための施設です。柳ヶ浦地区を中心とした基地の規模は東西1.2km、南北1.3kmで、184haありました。戦後、飛行場などのあとは、水田や道路にかえされており、その面影を残すのは10基のコンクリート製掩体壕などわずかな遺構だけです。

宇佐市では戦後50年の節目を「平和元年」とし、この負の遺産を平和のシンボルとして21世紀に伝えることにしました。その第一歩として、平成7年3月28日に城井地区にある掩体壕1基を史跡に指定し、平成9年度に周辺用地を含め史跡公園として整備しました。説明版のほか、特攻隊の戦死者名や俳句・短歌を刻んだ平和記念碑なども設置しています。