月別アーカイブ: 2008年10月

横津の石槨(せつかく)  諌早市飯盛町下釜

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横津の石槨(せつかく)  諌早市飯盛町下釜

国道251号線により矢上大橋を渡り、諌早市飯盛町の交差点まで行き、右折して飯盛漁港へ出る。突堤の先が前ノ島と向島である。別名三味線島。
その手前、船だまりが下釜集落。下釜公園から右手へ路地に入ると、横津の岬の防風林一帯に「下釜石棺・石室群及び下釜貝塚」がある。

その1つがこの「横津の石槨」。路地脇に明瞭に確認できる。「石槨」は文化財用語で、読みは(せつかく)または(いしき)。棺を納めるために墓の中につくった石の部屋。
他の石室や貝塚は、住宅地などとなってよくわからない。
現地説明板は次のとおり。

諌早市指定文化財(史跡) 横津の石槨  昭和63年12月20日指定

昭和2年に枇杷島の海水浴場工事の際に発見されました。人骨3体が発見され、1体には石の枕がしてあり、1体には腕に貝輪がつけられていました。遺物などは長崎大学に保管されていましたが、原爆の被害により焼失しました。
横津の岬上の防風林の中には他にも石棺や石室が発見されており、他にも縄文時代後期、弥生時代前期から中期の貝塚も発見されています。
平成19年3月 諌早市教育委員会

向島のノアサガオ群生地  諌早市飯盛町下釜

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向島のノアサガオ群生地  諌早市飯盛町下釜

国道251号線により矢上大橋を渡り、諌早市飯盛町の交差点まで行き、右折して飯盛漁港へ出る。突堤の先が前ノ島と向島である。別名三味線島。
10月まで花があるようなので、「向島のノアサガオ群生地」を確認したかったが、船でないと渡れない。

対岸の下釜甲瀬海岸もどこかわからなかったので、島の写真のみ。前ノ島の先にまた離れて向島がある。
「諌早市郷土資料館だより」平成20年9月発行の「諌早市の天然記念物」による説明は次のとおり。
諌早市指定天然記念物  向島のノアサガオ群生地

(平成12年1月12日指定・飯盛町下釜)
向島のノアサガオ群生地は、平成4年に向島(別名三味線島)東岸に祀られている八大龍王付近に自生しているのが確認され、平成14年には、対岸の下釜甲瀬(かぶとせ)海岸にも群生しているのが確認されました。
ノアサガオは、5〜10月頃に青紫色の花を咲かせます。

「諫早の名木30選」 掲載一覧

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「諫早の名木30選」 掲載一覧

「諫早の名木30選」は、諫早ライオンズクラブが30周年記念事業として選定した。
名木リストは、1995年3月発行「CN30周年記念誌」資料に掲載がある。
次がそのリスト。当時の市域で選定。2005年合併の飯盛町、森山町、高来町、小長井町、多良見町は含まれていない。
No 樹名 所在地 所有者 幹回り 樹高の順。次行が本ブログ写真がある記事URL。

諫早の名木30選

主   趣  諫早の自然環境を美しく守るために、諫早の名木30木を選奨することによって、「木の文化」への理解を深め、市民の地域の樹木への関心度の向上並びに市民のやすらぎを求めて実施する。
選定基準  諫早市内に育った樹のなかから、歴史的価値の高いもの、また、巨木、大木、希少価値のある木の幹回り、高さ、姿見等の観点から、地域性を加味し、市民に情緒的に良い影響を与え、大切にすべきと思われるもの。

1 アコウ (クワ科)  早 見 町  宮崎忠勝  3.00m   8m
https://misakimichi.com/archives/1385
2 アラカシ (ブナ科)  早 見 町  歳大明神  2.28m  16m
https://misakimichi.com/archives/1384
3 イスノキ (マンサク科)  白 浜 町  白浜八幡宮  1.80m  17m
https://misakimichi.com/archives/1394
4 イチイガシ (ブナ科)  天 神 町  天満宮  4.21m  20m
https://misakimichi.com/archives/1373
5 イチョウ (イチョウ科)  有 喜 町  明 徳 寺  5.17m  15m
https://misakimichi.com/archives/1386
6 イチョウ (イチョウ科)  上大渡町  明 教 寺  4.90m  28m
https://misakimichi.com/archives/579
7 イロハカエデ (カエデ科)  富 川 町  大 雄 寺  2.84m  16m
https://misakimichi.com/archives/601
8 エノキ (ニレ科)  小野町金比羅山  正 円 寺  3.14m  20m
https://misakimichi.com/archives/1391
9 カツラ (カツラ科)  富 川 町  大 雄 寺  8.00m  10m
https://misakimichi.com/archives/382
10 キササゲ(ノウゼンカズラ科) 小野町小野小学校 諌早市教育委員会 2.37m 10m
https://misakimichi.com/archives/1230
11 クスノキ (クスノキ科)  高城町諫早公園  諌 早 市  11.60m  27m
https://misakimichi.com/archives/381
12 クスノキ (クスノキ科)  宇 都 町  諫早神社  7.96m  28m
https://misakimichi.com/archives/1367
13 クヌギ (ブナ科)  仲沖町サイクリングロード  諌 早 市  3.00m  21m
https://misakimichi.com/archives/1372
14 クロガネモチ (モチノキ科)  宗 方 町  宗方神社  3.80m  19m
https://misakimichi.com/archives/1377
15 ケヤキ (ニレ科)  城 見 町  蓮 光 寺  3.53m  19m
https://misakimichi.com/archives/1396
16 ス ギ (スギ科)  小川町夫婦木  小 川 町  8.40m  28m
https://misakimichi.com/archives/397
17 スダジイ (ブナ科)  赤崎町赤崎観音  赤 崎 町  7.40m  10m
https://misakimichi.com/archives/482
18 スダジイ (ブナ科)  破篭井町  熊野神社  4.28m  15m
https://misakimichi.com/archives/1254
19 タブノキ (クスノキ科) 高城町諫早公園  諌 早 市  3.43m  13m
https://misakimichi.com/archives/1224
20 ナ ギ (マキ科)  小 野 町  天 満 宮  2.10m  16m
https://misakimichi.com/archives/1390
21 ハマセンダン (ミカン科)  西小路町諌早市郷土館  諌 早 市  2.45m  16m
https://misakimichi.com/archives/1379
22 ヒゼンマユミ (ニシキギ科)  高城町諫早公園  諌 早 市  2.60m  12m
https://misakimichi.com/archives/1224
23 ホルトノキ (ホルトノキ科)  有 喜 町  明 徳 寺  3.48m  17m
https://misakimichi.com/archives/1387
24 ミサオノキ (アカネ科)  高城町諫早公園  諌 早 市  0.96m  11m
https://misakimichi.com/archives/1224
25 ムクノキ (ニレ科)  高城町諫早公園  諌 早 市  4.65m  13m
https://misakimichi.com/archives/1378
26 ムクロジ (ムクロジ科)  本 明 町  平松神社  1.58m  17m
https://misakimichi.com/archives/1397
27 ヤブツバキ (ツバキ科)  富 川 町  大 雄 寺  2.10m  8m
https://misakimichi.com/archives/1401
28 ヤマモガシ (ヤマモガシ科)  久 山 町  花の木神社  1.60m  18m
https://misakimichi.com/archives/1400
29 ヤマモモ (ヤマモモ科)  中 通 町  西 仙 寺  3.57m  13m
https://misakimichi.com/archives/1388
30 ユリノキ (モクレン科)  城見町北諫早中学校  諌早市教育委員会  1.90m  17m
https://misakimichi.com/archives/1395    

正保4年長崎警備?「臼杵陣所」の標石が片淵で見つかる  

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正保4年長崎警備?「臼杵陣所」の標石が片淵で見つかる

長崎水道の明治33〜38年の第1回拡張事業で着工された本河内低部ダム−西山低部浄水場間の導水トンネルを訪ねていて、偶然に「片淵3丁目公民館」建物下でこの標石を見たのは、本年8月初めである。
参 照  https://misakimichi.com/archives/1203
1月半ほどそのままにしていたが、「役所」みたいな刻面だったので、貴重な標石と思われ、長崎楽会の中尾氏が近くの西山に住むため、標石の調査を頼んだ。

中尾氏がさっそく片淵3丁目公民館に標石を確認に行き、地元自治会で歴史に詳しい浦川大二郎さんから話を聞いてきてくれた。
標石の刻字は「臼杵陣所」。縦15cm、横18cm、高さ45cmの石柱。公民館左方の道路工事した5年ほど前、ショベルカーが掘り出した。長崎市文化財課に報告し、文献調査と保存を願い出たが、はっきりしたことがわからず、とりあえず公民館前に置いたまま、5年が経ったそうである。

中尾氏と浦川さんの推論では、この標石は、正保4年(1647)、2隻のポルトガル船が来航した時、長崎警備のため出陣した臼杵藩(大分県)が、この辺りの農家などを借り上げ、陣所を構えたものではないか、ということである。
江越弘人先生著「《トピックスで読む》 長崎の歴史」弦書房2007年刊の128〜129頁、同事件の解説は次のとおり。

「臼杵藩」が出陣したことが、まだはっきり確認できないが、標石の可能性としては、これが一番考えられる。
事件後、西日本の諸藩は、長崎に自前の蔵屋敷を設け、聞役を置き、長崎での情報を速やかに入手して、長崎出陣に備えるようになった。蔵屋敷を置いた藩は14に上がる。
佐賀藩では所領が長崎に隣接していたために、支藩(鹿島支藩)や大身の家臣(諫早領・深堀領)も自らの蔵屋敷を設けていた。
記録に表われない小藩があったかも知れない。当時の長崎警備の事件を思い起こさせる、まだ確証はないが、珍しい標石が掘り出されたのではないだろうか。

正保4年のポルトガル船入港(1647)

1640年、ポルトガルはおよそ60年振りにスペインから独立をかちとることが出来た。… 新しくポルトガル国王となったジョアン4世は、日本との通商の復活を願って、正保4年(1647)に、2隻の船でイスパニアからの分離を知らせる使節を送ってきた。
7年前の使節一行の処刑と使節船焼き捨ての記憶が、まだ生々しく残っていた。長崎港はたちまち緊張に包まれた。江戸へ早馬が飛び、九州各地から諸大名が兵を率いて続々と集結した。長崎港を取り巻く海岸や山々には5万の兵士が陣を敷き、港内には1500の兵船で埋まった。また、ポルトガル船が、勝手に出帆してしまわないようにと、港口の女神と男神(神崎)の間に船を並べ、その上に板を敷いて船橋を造り、港を閉鎖してしまった。

ポルトガル使節の船が、6月24日に入港してから、およそ1月後の7月28日には、上使の大目付井上筑後守と在府長崎奉行山崎権八郎が長崎に入ってきた。江戸から長崎間を15日で到着するという異例の早さであった。
会見は、早速翌日から始まった。筑後守は「来航してきた時には死刑をもって対応すると告げていたが、今回は、ポルトガル・イスパニアが分離したとの知らせの使節で、通商を願ってのことではないので、特にそのまま帰航することを許す。例え如何なることがあろうとも、再び来航することが無いように」と申し渡した。
こうして、今回は何事も無くポルトガル船は出港して行ったが、幕府にはさらに長崎警備の充実の必要性を痛感した。…

諌早市郷土館のハマセンダンとリュウゾウジヤナギ  諌早市西小路町

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諌早市郷土館のハマセンダンとリュウゾウジヤナギ  諌早市西小路町

国道207号線の諌早市宇都町交差点から市役所方面へ向い、上山公園駐車場先の天祐寺前交差点からすぐまた右折すると、天祐寺の先の県道左方に「諌早市郷土館」がある。
諫早の貴重な郷土資料を多数展示している。入館料は無料。

諫早の原始から近世までと水害・干拓などの展示コーナーがある。前庭には街道標石など昔の諫早を偲ぶ資料が屋外展示されている。
「ハマセンダン」の大木は、この庭の最奥に立つ。「諫早の名木30選」によると、幹囲2.45m、樹高16m。植物図鑑による「ハマセンダン」の解説は次のとおり。

ミカン科  ハマセンダン  Evodia meliifolia Benth.

・落葉高木。雌雄異株。 ・葉は長さ20〜30cmのある奇数羽状複葉で、小葉は長さ3〜10cmくらいで披針状楕円形〜卵形です。 ・樹皮は黒褐色で滑らかです。  ・夏に枝先に白い小さな花がたくさん集まって咲き、チョウ、ハチ、ハナアブなどたくさんの昆虫がやってきます。
分布は、本州、四国、九州、琉球列島;南朝鮮、台湾。

郷土館庭の名木「ハマセンダン」の手前には、「リュウゾウジヤナギ」が植えられ、石柱の名札があった。
聞くと佐賀市龍造寺庭園にある木から枝分けしてもらったまだ幼木。ヤナギ科でも珍しい一種。佐賀でももう稀少種となっているそうである。
HPを調べるが、詳しい解説はまったくない。写真もなかった。

高城公園のムクノキ  諌早市高城町

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高城公園のムクノキ  諌早市高城町

高城回廊は、諫早公園・高城公園・諫早図書館・御書院などを水と緑で結ぶ、一周約1.8kmの散策路。高城公園は、諫早眼鏡橋のある諫早公園の隣りとなる。
高城公園のムクノキは、再三、紹介しているが、「諫早の名木30選」によると、幹囲4.65m、樹高13m。「諫早の名木」の名札のある写真の木であろう。

諫早大水害の御霊を慰める「大慈悲観世音像」の立つ後ろの左、小川の対岸にある。像前の右側にももう1本の大木がある。
諌早市「諫早近代史」平成2年刊の特記すべき植物個体147頁の説明は、次のとおり。少し記していることが違う。どうなったのだろう。
諫早高校のが高城公園のこの木だろうか。諫早市役所のは、庁舎右奥にムクノキがあったが小さい。諫早公園のは枯れかかっていた。

六 ムクノキ

諫早市役所のムクノキが諌早市最大で幹囲3.92m、西小路町諫早公園に2本(幹囲はそれぞれ3.70m、3.10m)、東小路町諫早高校のは3.54m、小野町天満宮のは幹囲3.30mである。 

宗方神社のクロガネモチ  諌早市宗方町

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宗方神社のクロガネモチ  諌早市宗方町

諌早市はクスノキの大木が多い。宗方町宗方神社のクスノキは幹囲6.08m。諫早公園頂上の一番の巨樹と、諫早神社のクスノキ群に次ぐ大きな木であり、すでに先項により紹介している。
この際は見落としていたが、宗方神社にはクロガネモチの大木があることを知り、再び行った。
宗方神社は、国道57号線沿いの諫早市立小野小学校正門口にあるので、同交差点から右折する。

クロガネモチは、小野小学校の入口側となるこの木しか、見あたらない。地表斜面に埋れそうな根元から、2本にすぐ枝分かれしている。
後ろの写真は、宗方神社クスノキの再掲。社殿の裏のはスダジイのようだ。この手前に大きな切株が1つありはした。
諌早市「諫早近代史」平成2年刊の特記すべき植物個体150頁によるクロガネモチの説明は次のとおり。「諫早の名木30選」では、幹囲3.80m、樹高19mである。

一〇 クロガネモチ

モチノキ科の常緑高木で雌雄異株。宗方町宗方神社には、幹囲4.07mの個体がある。早見町歳大明神のは幹囲2.25m。

西林寺のイチョウとエノキ  諌早市川床町

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西林寺のイチョウとエノキ  諌早市川床町

国道57号線により諫早総合運動公園の前を通り、まっすぐに鷲崎町交差点まで行く。これより右折して有喜へ行く県道55号線へ入ると、まもなく川床町バス停に着く。
バス停右の山手に「西林寺」がある。イチョウの大木が本堂裏右に見えるので、寺敷地の右側から回って近づく。根元上の5mほどで、2本に枝分かれした幹囲4.07mの大木であった。

「諫早近代史」は、この寺の幹囲3.40mのエノキも記している。多種の大木は見るが、エノキは見当たらなかったので寺へ聞いたら、本堂右裏にあったが枝が屋根にかぶり、平成2年本堂改築の際、切り倒したそうである。
諌早市「諫早近代史」平成2年刊の特記すべき植物個体146・147頁の説明は次のとおり。

イチョウは、この本は記していない(有喜村は1940年諌早市制施行時から合併)が、「諫早の名木30選」によると、有喜町明徳寺に幹囲5.17m、樹高15mの木がある。これは上大渡町の明教寺の4.90mより大きく、諌早市一のイチョウの大木である。
明徳寺のイチョウは初めて知り、まだ訪ねていない。

二 イチョウ

中国に由来する本種は、古くから神社仏閣に植栽された。諌早市には、上大渡町明教寺のイチョウ(雄木、4.80m)、川床町西林寺のイチョウ(雄木、4.07m)、金谷町安勝寺のイチョウ(雌木、幹囲3.88m)がある。

五 エノキ

川床町西林寺に幹囲3.40mのエノキがある。

山口のカゴノキ・シイ  諌早市飯盛町山口

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山口のカゴノキ・シイ  諌早市飯盛町山口

国道251号線により矢上大橋を渡り、諌早市飯盛町へ行く。町の中心から坂を上がると農地整理をした広い畑地の高台「開」へ出て、開拓道路の左へ入ると県道41号線で、天神町へ下る。
天神町の天満宮のイチイガシを見に行くためこの近道を通り、この木はその途中、県道右方の「山口」というところで見かけた。

ニンジン畑が広がる上に高い木立の個所があり、近づくと、カゴノキとシイの大木2本であった。根元に井戸跡の深い穴。フェンス囲いをしている。一帯は小川が流れ、水が豊かなところのようだ。

光正寺のモッコク  諌早市長野町

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光正寺のモッコク  諌早市長野町

国道251号線により諌早市有喜町まで行き、先の交差点から諫早市街栗面町へ出る県道55号線へ入る。
しばらく行き、右方の「チサンCC森山」ゴルフ場の道へ曲がる。山手を越すと宗像上溜池へ下る道があり、これを下った角に「光正寺」の参道口がある。

モッコクの巨樹とは、本堂前にある主幹が折れたこの木だろうか。大きな切株が別にもあった。並んで幹囲2.8m、樹高20mのラカンマキ(先項に掲載済み)、イチョウの大木が立つ。
後ろの写真は本堂裏の高台から。歴代住職の墓があった。
諌早市「諫早近代史」平成2年刊の特記すべき植物個体150頁による説明は次のとおり。

一三 モッコク

モッコクはツバキ科の常緑高木で、照葉樹林の中に自生し、しばしば植栽される。光正寺には、幹囲3.38mの巨樹がある。