投稿者「misakimichi」のアーカイブ

長崎歴史文化博物館企画展「長崎ゆかりの浮世絵・古写真—エキゾチックジャパンへの旅」

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長崎歴史文化博物館企画展「長崎ゆかりの浮世絵・古写真—エキゾチックジャパンへの旅」

2013年1月1日(火)から3月17日(日)まで、長崎歴史文化博物館で企画展「長崎ゆかりの浮世絵・古写真—エキゾチックジャパンへの旅」が開催されている。
長崎大学附属図書館などが所蔵する古写真から、当時の長崎・横浜を撮影した貴重な古写真数10点も展示されている。

1月6日に観覧に行った。展示の古写真は、相変わらず解説の間違いが多い。5点以上、疑問を指摘した。出品資料リストも不備があり、学芸員へ改善を要望した。
長崎大学附属図書館及び長崎歴史文化博物館は、古写真研究をどう考えているのか。毎回の事態で、高い観覧料を払いながら、企画展の権威が疑われる。

1例を見てみよう。パンフレットやHPの主な展示品にある「上野彦馬(十人町よりの出島と長崎港)」は、撮影場所を「唐人屋敷上中腹より新地と出島を望む」と解説していた。
この項は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1512
目録番号:977 は、撮影場所は「ドンの山から」が正しいのではないか。撮影者も「上野彦馬」なのか。データベースと超高精細画像では、解説が違う。

以上を2013年1月7日に長崎県へ意見。文化振興課の回答は、次のとおり。

本県行政の推進について、日頃からご理解とご協力をいただき、お礼申し上げます。
今回ご指摘いただいた内容につきましては、早急に事実確認を行い確認できたものから順次改善するよう長崎歴史文化博物館に伝えました。
観覧料をいただいて実施している展覧会であることを再認識し、正しい展示説明に務めるよう指導いたします。
今回は大変貴重なご意見ありがとうございました。
これからも、本県行政に対してご支援とご協力をよろしくお願いいたします。
平成25年1月16日   文化振興課長  宮崎  誠

「ゆうこう」の木2本、岬木場で見つかる  長崎市脇岬町

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「ゆうこう」の木2本、岬木場で見つかる  長崎市脇岬町

1本は、1月2日「みさき道」初歩きのとき、岬木場のサイクリング道路終点手前約200mほど地点で、左下の畑石垣のところで見かけた。「ゆうこう」のようだと説明しながら通り過ぎたが、後ろを来たN氏夫妻も気付き、ガードレール下にわざわざ降り、実を3個拾ってきていた。
サイクリング道路終点でトイレ休憩のとき、徳道でMさんが拾った「ゆうこう」と比べると、まったく同じ種類の実だった。

世界のスローフードに認定された柑橘類の新種「ゆうこう」は、友人川上氏が10年ほど前、土井首で発見のきっかけを作った。長崎県内のほか、全国の分布状況をも調査している。
最近、発見が長く途絶えていたので、私が連絡すると喜んで、きょう2人で現地確認した。
「ゆうこう」の木に間違いなかった。幹囲70cm、樹高7mほど。長崎半島の最南端で見つかった木となった。川上氏は長崎を主に全国で130本以上、生育を確認している。

あと1本は、そこから県道34号を川原方向へ行く。川原木場との中間くらい、県道が大カーブする内側にある。木場長平農道登り口あたり。作業小屋奥の雑木中に見える。
私は以前からこの木は知っていたが、川上氏の分布リストにまだ載ってなかったので、案内した。今年は多く実がなり、わかりやすかった。幹囲82cm、樹高10mほど。畑主に聞くと、正月の注連飾りのため、近所の家から実をもらいに来る木だそうである。

「ゆうこう」は、これからだんだんと実の黄色が鮮やかとなり、見つけやすい。八朔などと比べると実はやや小さく、テニスボール大の丸形。葉は大ぶりで濃い。
一番わかりやすいのは、ヘタの部分。同じ大きさくらいのユズと比べると、ヘタに小さな花びらのような広がりがあり、上面の皮が十字のように角ばった部分ができてくる。
これはあくまで私の表面上の観察。川上氏から了解をもらったことではない。

「ゆうこう」は、ユズとザボンが自然交配してできた柑橘類と言われる。果汁の酸味は薄く、あっさりして飲みやすいと言う一方、薬味として利用するには、物足りないと言う人もいる。
中性脂肪を下げるなど、健康面で有効な成分を多く含み、今、実証研究と加工商品化が進んでいる。

新春「みさき道」初歩き(岬木場経由)  2013年1月

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新春「みさき道」初歩き(岬木場経由)  2013年1月

2013年1月2日(水)曇り。新春「みさき道」初歩き(岬木場経由)。参加21人。みさき道歩会の新春例会。一般参加も自由。毎年盛会である。
三和行政センター前広場9:40—蚊焼峠—徳道里程道塚11:34—野母崎ゴルフ場管理事務所11:51(昼食)12:20—サイクリング道路終点—モトクロス場13:47—殿隠山14:29—遠見山(標高259.0m)15:26—堂山峠15:50—脇岬観音寺16:20(徒歩距離 約15km)

恒例の新春初歩き行事。もう10年ほど前から継続して実施している。元旦は小雨だったが、今年も2日は、まあまあの天気曇り空。
いつものコースで、取り立てて説明することはない。古茶屋坂の入口先で、すぐ新設車道が横切る。奥の沢に砂防堤を築く工事らしい。展望は良くなった。

永一尾を過ぎ以下宿三叉路手前で、サイクリング道路に出合うところは、イバラやカズラのため、いつも草刈りに難渋していた。地図のとおり、迂回ルートを作っているので、利用できる。白テープが目印。尾根を間違わないように下る。
宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/30435062.html

2013年の迎春  本年もよろしく

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2013年の迎春  本年もよろしく

新年おめでとうございます。長崎は本年も小雨の年明けでした。みなさんには昨年中もたいへんお世話になりました。うれしいコメントの数々、深く感謝しています。
Yahoo!ブログ ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”を、2013年もよろしくお願いします。

新春「みさき道」初歩きは、あした1月2日、長崎市三和行政センター前広場に午前9時30分集合。蚊焼峠—徳道—岬木場—殿隠山—遠見山—堂山峠—脇岬観音寺のコースで、約15kmを歩きます。正月は開帳。「みさきの観音」と会えます。参加自由。お待ちしてます。

資料写真は、ダイヤランドふれあいセンターに展示している団地の建設状況。上段(着工前)は、昭和56年(1981)11月の撮影です。「みさき道」は、この団地内を通っていました。

2012年 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行” ベスト6〜10

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2012年 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行” ベスト6〜10

2012年を、”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”により振り返る。石橋・標石・古写真・史跡・巨樹など、2012年に新しく探したものなどのトピックスベスト10のうち6〜10。
詳しくは各記事を。

6 「新長崎市史」第二巻の「御崎道」記述の問題点  (4月)
写真  1   「新長崎市史」第二巻の「御崎道」記述の問題点
https://misakimichi.com/archives/3189

7 長崎市HP「まちなか再生」ながさき今昔写真館  (5月)
写真  2   長崎の古写真考 長崎市HP「まちなか再生」ながさき今昔写真館
https://misakimichi.com/archives/3214
写真  3   修正後の長崎市HP「まちなか再生」ながさき今昔写真館は、
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/machidukuri/ma

8 自然石アーチ式石橋「乙女橋」(右側部分)の架橋工事  (8月)
写真  4   自然石アーチ式石橋「乙女橋」(右側部分)の架橋工事
https://misakimichi.com/archives/3295

9 「ミニ眼鏡橋」が48年ぶり諫早市へ里帰り  (12月)
写真  5   ミニ眼鏡橋:諫早に“里帰り”決定  埼玉・所沢で解体始まる
https://misakimichi.com/archives/3033
写真  6   「ミニ眼鏡橋」が48年ぶり諫早市へ里帰り  諫早市高城公園
https://misakimichi.com/archives/3529

10 長崎の西空の夕日  (9・10月)
写真  7   長崎の西空の夕日  12− 9
https://misakimichi.com/archives/3350
写真  8   長崎の西空の夕日  12−10
https://misakimichi.com/archives/3484

2012年 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行” ベスト1〜5

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2012年 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行” ベスト1〜5

2012年を、”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”により振り返る。石橋・標石・古写真・史跡・巨樹など、2012年に新しく探したものなどのトピックスベスト10のうち1〜5。
詳しくは各記事を。

1 明治9年魚見岳「地理局測点」の発掘調査 (11月)
写真  1   明治9年魚見岳「地理局測点」の地中埋石が見つかる
https://misakimichi.com/archives/3494
写真  2   明治9年魚見岳「地理局測点」の発掘調査など行う(1)
https://misakimichi.com/archives/3503
写真  3   大久保山中腹魚見岳の明治9年地理局測点  上西氏HPから
https://misakimichi.com/archives/3510  ほか

2 江戸期の「みさき道」詳細ルート地図の作成  ( 2〜 4月)
写真  4   江戸期の「みさき道」詳細ルート地図  1 みさき道本道(1)
https://misakimichi.com/archives/3185
写真  5   江戸期の「みさき道」詳細ルート地図  1 みさき道本道(2)
https://misakimichi.com/archives/3186
写真  6   江戸期の「みさき道」詳細ルート地図  2 岳路道経由
https://misakimichi.com/archives/3187
写真  7   江戸期の「みさき道」詳細ルート地図  3 川原道経由
https://misakimichi.com/archives/3188  ほか  

3 四国へ愛媛・香川の旅  ( 8・10月)
写真  8   石鎚山登山  愛媛県西条市・久万高原町
https://misakimichi.com/archives/3276
写真  9   遊子水荷浦の段畑  愛媛県宇和島市遊子
https://misakimichi.com/archives/3475
写真 10   豊稔池堰堤  香川県観音寺市大野原
https://misakimichi.com/archives/3296
写真 11   旧讃岐鉄道岩屋架道橋  香川県綾歌郡宇多津町
https://misakimichi.com/archives/3306  ほか

4 四国へ徳島・高知の旅  ( 8・10月)
写真 12   阿波の土柱  徳島県阿波市阿波町
https://misakimichi.com/archives/3389
写真 13   剣 山  徳島県三好市・美馬市・那賀郡那賀町
https://misakimichi.com/archives/3402
写真 14   杉の大スギ  高知県長岡郡大豊町
https://misakimichi.com/archives/3328
写真 15   白山洞門  高知県土佐清水市足摺岬
https://misakimichi.com/archives/3467  ほか

5 陸軍省「長崎要塞区域標」が3本見つかる  ( 7・10月)
写真 16   区−H 田川内公民館裏  (確認 長崎要塞区域標 第三十四号)
https://misakimichi.com/archives/3255
写真 17   区ー特 山川河内と潮見の旧道峠  (確認 長崎要塞区域標 第二十七号)
https://misakimichi.com/archives/3461  ほか

長崎県の石炭産業と近代化遺産 6P 炭鉱の島々 ほか

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長崎県の石炭産業と近代化遺産 6P 炭鉱の島々 ほか

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

長崎近代化遺産研究会編 「長崎県の石炭産業と近代化遺産」

6P ②長崎市稲佐山展望台からの風景。日本の近代化に貢献した炭鉱の島々が写っている。

22P 〔20〕北渓井坑跡 所在地:長崎市高島町

■ 確認結果

長崎近代化遺産研究会編「長崎県の石炭産業と近代化遺産」は、財団法人長崎県産炭地域振興財団「平成22年度産炭地域活性化基金助成事業」により出版されている。
現在の写真などであるが、間違いを2点説明する。

6P「②長崎市稲佐山展望台からの風景。日本の近代化に貢献した炭鉱の島々が写っている」は、手前左を「高鉾島」、手前右を「四郎ヶ島」と説明している。
すぐ近く神の島公園展望台からの確認写真のとおり、手前左は「四郎ヶ島」、手前右は(神の島側の)「中ノ島」が正しい。高鉾島は、次の写真どおり左外となり、島の形に特徴がある。

22P「〔20〕北渓井坑跡」のアクセス地図は、同坑跡に上段の「小菅修船場跡●」を、間違って赤色で印字している。
いずれも、添付の正誤表にも載っていない。監修は正しくお願いしたい。

長崎の古写真考 マンスフェルト集 35P 茂木の庄屋屋敷前の「木の下」にて(再掲)

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長崎の幕末・明治期古写真考
マンスフェルト集 35P 茂木の庄屋屋敷前の「木の下」にて(再掲)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

長崎大学コレクション外編Ⅰ「マンスフェルトが見た長崎・熊本」

第三章 茂木  35P  茂木の庄屋屋敷前の「木の下」にて
茂木の元庄屋森岡平左衛門の屋敷(現茂木郵便局)前の海岸に立つ木の下でくつろぐマンスフェルト一行の人夫たち。まだまげを結っている男性が多い。次ページの写真とあわせてみると、一行は茂木滞在中、この元庄屋宅を宿舎にしたように思われる。熊本からの旅行中であろうか。
016 1872年頃 マンスフェルトか サイズ/205mm×156mm 大

■ 確認結果

長崎大学附属図書館企画・編集の長崎大学コレクション外編Ⅰ「マンスフェルトが見た長崎・熊本 古写真で見る近代医学校の成立」が、長崎文献社から2012年10月発行されている。
35P「茂木の庄屋屋敷前の「木の下」にて」は、木の背後に薄く写る山が、茂木の汐見崎の稜線と同じだから、撮影場所は「茂木の元庄屋森岡平左衛門の屋敷(現茂木郵便局)前の海岸に立つ木の下」に間違いないと確認できる。
この項は、本ブログ次を参照。  https://misakimichi.com/archives/3490

さて、この作品が、朝日新聞長崎地域版きょう2012年12月22日付”長崎今昔 長大写真コレクション”に、「マンスフェルトの荷物運び」として掲載された。解説は、
「1871年ごろ撮影された、休息する荷駄運びの労働者たちです。場所は茂木の庄屋、森岡平左衛門の屋敷前の海岸沿いです。…熊本からの船旅を終えて茂木に上陸したマンスフェルトは、船から宿、さらに日見峠を越えて長崎に荷物を運ぶために多くの労働者を雇わなければなりませんでした」

オランダ人医師マンスフェルトは、小島養生所および精得館を引き継ぐ長崎医学校の3代目の校長だった。5年の任期を終え1871年、3年間の契約で熊本古城医学校の創始にかかわった。長崎滞在中、あるいは熊本時代も含めて、中型カメラを持参して茂木を旅行した。
この作品の撮影年代が、新聞解説では「1871年ごろ」と変わったが、はっきり確認できる記録がないものだろうか。

新聞解説の撮影場所は良いとして、後段の「茂木に上陸したマンスフェルトは、船から宿、さらに日見峠を越えて長崎に荷物を運ぶため」は、「田上峠」の単純な誤りではないか。
執筆者の解説には、疑問とするものが多く、解説がそのつど変わる。朝日新聞社でも事前にチェックを入れてもらわないと、大学・新聞社とも権威が疑われる。訂正記事が必要だろう。

武功山の刻み石  長崎市鳴滝3丁目

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武功山の刻み石  長崎市鳴滝3丁目

本河内または鳴滝から武功山を通って、烽火山へ登る登山道がある。大荷床手前の高いピークが武功山である。標高は340mくらい。山道の登りで1時間以上かかる。
先日、陸門氏(長崎歴史文化協会員)から、武功山のピーク岩背面に「徳太郎」「深山」らしいと読める字の刻みがあった。お堂があった跡らしく、越中・原田先生に聞いてもわからず、刻字の文献がないか、問い合わせがあった。

武功山までの途中には、近年の長崎私有林と水道用地標柱を10本ほど見る。各ピークの上には、自然石を地蔵のように積んでいたのを3ヵ所見るが、刻字まではこれまで岩面を気をつけて見たことがなかった。
中尾氏が調べてくれた。松浦東渓が文化8年(1811)脱稿したという「長崎古今集覧」の、森永種夫氏校訂昭和51年発行長崎文献叢書上巻348頁に、次のとおり「武功山」の記述があるが、これ以上はわからない。

武功山附仙人巌

図志曰鎮東北俗名二 向分(ムカイブン)一 松樹鬱蒼翠色一、乃為二 真道ノ旧塁一 中有二 仙人巌臥龍松斑虎石石鞍山刀落(ナタオトシ)之境 ○又曰仙人巌在二 武功山旧塁之東一 臨二 一瀬渓一 万治中樵夫適見二 一老人一 朱顔白髪草衣而座二 巌上一 還聞二 里胥即発レ 衆偏訪竟不レ 見二 其蹝一 因白レ 官或云山神時見レ 形也其後土人往々遇老人蘿衣扶レ 杖而立 △真道ハ長崎七家ノ一

私も武功山へ登り、ピーク岩を確認したが、背面に字らしきものは見つけきれなかった。手前の地中に埋もれた別の丸い石に、「奉」の字がかすかに浮き出ていたようなのは確認できた。
後日わかったのは、刻字がある石は、積み上げた下の大きな方の石。裏面に小さき字で、「徳太郎」と刻んでいるのは読めた。 

「ミニ眼鏡橋」が48年ぶり諫早市へ里帰り  諫早市高城公園

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「ミニ眼鏡橋」が48年ぶり諫早市へ里帰り  諫早市高城公園

長崎新聞ホームページ:【県内トピックス】2012年12月20日記事は、次のとおり。
いきさつは、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/3033
写真の後ろは、1957年の諫早大水害後、諫早公園に移築されている国指定重要文化財「眼鏡橋」と、本明川に架かっていた頃の場所。うなぎ割烹「北御門」近く、現在の橋が架かっている。

5分の1の「ミニ眼鏡橋」

諫早市高城町の諫早公園にある国重要文化財「眼鏡橋」の5分の1サイズの縮尺模型「ミニ眼鏡橋」が、眼鏡橋近くの高城公園に復元され19日、現地で竣工(しゅんこう)式があった。
ミニ眼鏡橋は1957年の諫早大水害後、本明川に架かっていた眼鏡橋を諫早公園に移築する際、誤差や強度などの技術的データを収集するため造られた。64年に埼玉県所沢市のユネスコ村に譲渡されたが近年、諫早市の市民団体「ミニ眼鏡橋の里帰り委員会」が里帰り運動を展開。昨年12月に同市に戻り、7月末から復元作業を続けていた。

ミニ眼鏡橋は長さ約10メートル、幅約1メートルで、請け負った県建設業協会諫早支部が精巧に復元。復元場所は眼鏡橋正面にある芝生広場の一角で、見る場所によっては”親子眼鏡橋”になる。今後は市が管理し、渡ることはできない。
竣工式では高尾茂会長は「眼鏡橋は諫早のシンボル。親子橋として地域振興に役立てていきたい」とあいさつ。宮本明雄市長も「里帰りは諫早の誇りが取り戻せた感がある。後世に受け継いでいきたい」と話した。里帰り記念として、諫早中央保育所の園児が舞を披露した。