区−H 田川内公民館裏  (確認 長崎要塞区域標 第三十四号)

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区−H 田川内公民館裏  (確認 長崎要塞区域標 第三十四号)

東長崎の田川内公民館裏の敷地で、「長崎要塞区域標」が新たに見つかった。知らせてくれたのは、長崎市田中町中尾地区の松尾氏(長崎市農業委員)である。
区−I 中尾尾根の「長崎要塞区域標 第三十二号」は、同松尾氏の記憶により、平成18年1月発見したいきさつがあった。本ブログでは掲載略。研究レポートには第2集155頁に載せている。

中尾ダム大橋を渡り、中尾中央公民館前をまっすぐ進む。城戸岩の次に県営バス「公民館前」バス停がある。田川内山神社の参道と駐車場右が「田川内公民館」。大正時代建てられた公民館を取り壊し、現在、建て替えるため更地となっている。
2段となった敷地の奥角に「長崎要塞区域標」があった。先日、山神社の例祭に行った松尾氏が、車から降りたとき発見し連絡してくれた。

きょうすぐ確認に行くと、「第三十四号」である。松尾氏の話では、公民館の前はここに精米所があった。標石は移設されたようでもあり、なぜここにあるのか詳細が不明。建物が解体されて、裏にあることがやっとわかった標石である。
長崎要塞地帯略図から田川内に目星をつけ、私は以前に一帯や山間部をだいぶん探したことがあった。見つけきれなかったはずである。略図上は田川内であるので、一応「区−H」の標石として整理しておく。 

「第三十四号」は、写真のとおりの標石。後側の石垣との間は、ブロックを立てている。上面に小さな四角の加工溝がある。建物の土台石に使用された形跡がある。唐古でもその例はあった。
手前に横倒しになって折れた石柱の一部も不思議。「月十日?」「省」の刻みがあるので、これも別番号の「長崎要塞地帯標」ではないだろうか。石材と大きさが違う。更地全体を探しても、この上部の石柱かけらは見当たらなかった。
新公民館を更地に建てると、奥の標石はまたわからなくなる。車道やバス停からすぐ見えるよう、山神社参道石段左の植え込みに移設するよう要望してきた。