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「みさき道」を歩こう 第4回  2013年1月

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「みさき道」を歩こう 第4回  2013年1月

長崎新聞カルチャーセンター 2012年度後期野外講座 ”「みさき道」を歩こう”。 企画立案 林先生・現地ガイド 江越先生

江戸時代、長崎の人たちは脇岬の観音寺まで七里の道を歩いて、”観音寺詣で”をしました。その道は長崎半島の尾根筋の山間に現在も残っていて、当時の道塚が数本残っています。
観音寺には、唐絵目利きの石崎融恩や出島絵師の川原慶賀らによって描かれた天井絵もあり、往時の豊かな観音信仰の一端をうかがうことができます。

2013年1月12日(土)快晴。その第4回目。高浜海水浴場前に集合。10:00出発。古里まで行き野母道と分かれ、堂山峠を越して脇岬観音寺へ下る。いよいよ観音寺へ到着する「みさき道」の最終コース。長崎から今回の講座では4回に分けて歩いてきたが、文久元年(1861)4月に長崎医学伝習所生関寛斎らは、往路を1日で歩いた。

関寛斎「長崎在学日記」には、この区間を「…〇下リテ高濱二至ル 此ノ処漁処ナリ水際ノ危石上ヲ通ル 凡ソ二十丁此ノ処ヨリ三サキ迄一里ナリト即チ堂山峠ナリ 此ノ峠此ノ道路第一ノ嶮ナリ 脚疲レ炎熱蒸スガ如ク困苦言ベカラス 下リテ直ニ観音堂アリ…」と記す。
「みさき道」の最後の難関だったらしいが、私たちは今回は高浜からなので、楽なコース。堂山峠へ11:23、観音寺には12:07着いた。

本堂を開けてもらい、格子戸越しに千手観音像・天井絵を見学した。境内で13:00まで昼食。
午後は石門を出て、脇岬海岸の墓地にある「抜け荷燈籠」(真偽は不明)を見学。脇岬海水浴場前のバス停で解散した。
希望者のみあと15分海岸国道を歩いて、元禄十年(1697)「従是観音道 山道十丁」の道塚を見に行った。結局、最後は田の子の「野母崎水仙の里公園」まで歩いたが、水仙はまだ5分咲きだった。15:00頃着。

最後の写真は、前中学校地に新築工事中の、野母崎地区小中一貫教育を開始する「野母崎小中学校」完成予想図。来年4月開校予定。

長崎歴史文化博物館企画展「長崎ゆかりの浮世絵・古写真—エキゾチックジャパンへの旅」

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長崎歴史文化博物館企画展「長崎ゆかりの浮世絵・古写真—エキゾチックジャパンへの旅」

2013年1月1日(火)から3月17日(日)まで、長崎歴史文化博物館で企画展「長崎ゆかりの浮世絵・古写真—エキゾチックジャパンへの旅」が開催されている。
長崎大学附属図書館などが所蔵する古写真から、当時の長崎・横浜を撮影した貴重な古写真数10点も展示されている。

1月6日に観覧に行った。展示の古写真は、相変わらず解説の間違いが多い。5点以上、疑問を指摘した。出品資料リストも不備があり、学芸員へ改善を要望した。
長崎大学附属図書館及び長崎歴史文化博物館は、古写真研究をどう考えているのか。毎回の事態で、高い観覧料を払いながら、企画展の権威が疑われる。

1例を見てみよう。パンフレットやHPの主な展示品にある「上野彦馬(十人町よりの出島と長崎港)」は、撮影場所を「唐人屋敷上中腹より新地と出島を望む」と解説していた。
この項は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1512
目録番号:977 は、撮影場所は「ドンの山から」が正しいのではないか。撮影者も「上野彦馬」なのか。データベースと超高精細画像では、解説が違う。

以上を2013年1月7日に長崎県へ意見。文化振興課の回答は、次のとおり。

本県行政の推進について、日頃からご理解とご協力をいただき、お礼申し上げます。
今回ご指摘いただいた内容につきましては、早急に事実確認を行い確認できたものから順次改善するよう長崎歴史文化博物館に伝えました。
観覧料をいただいて実施している展覧会であることを再認識し、正しい展示説明に務めるよう指導いたします。
今回は大変貴重なご意見ありがとうございました。
これからも、本県行政に対してご支援とご協力をよろしくお願いいたします。
平成25年1月16日   文化振興課長  宮崎  誠

「ゆうこう」の木2本、岬木場で見つかる  長崎市脇岬町

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「ゆうこう」の木2本、岬木場で見つかる  長崎市脇岬町

1本は、1月2日「みさき道」初歩きのとき、岬木場のサイクリング道路終点手前約200mほど地点で、左下の畑石垣のところで見かけた。「ゆうこう」のようだと説明しながら通り過ぎたが、後ろを来たN氏夫妻も気付き、ガードレール下にわざわざ降り、実を3個拾ってきていた。
サイクリング道路終点でトイレ休憩のとき、徳道でMさんが拾った「ゆうこう」と比べると、まったく同じ種類の実だった。

世界のスローフードに認定された柑橘類の新種「ゆうこう」は、友人川上氏が10年ほど前、土井首で発見のきっかけを作った。長崎県内のほか、全国の分布状況をも調査している。
最近、発見が長く途絶えていたので、私が連絡すると喜んで、きょう2人で現地確認した。
「ゆうこう」の木に間違いなかった。幹囲70cm、樹高7mほど。長崎半島の最南端で見つかった木となった。川上氏は長崎を主に全国で130本以上、生育を確認している。

あと1本は、そこから県道34号を川原方向へ行く。川原木場との中間くらい、県道が大カーブする内側にある。木場長平農道登り口あたり。作業小屋奥の雑木中に見える。
私は以前からこの木は知っていたが、川上氏の分布リストにまだ載ってなかったので、案内した。今年は多く実がなり、わかりやすかった。幹囲82cm、樹高10mほど。畑主に聞くと、正月の注連飾りのため、近所の家から実をもらいに来る木だそうである。

「ゆうこう」は、これからだんだんと実の黄色が鮮やかとなり、見つけやすい。八朔などと比べると実はやや小さく、テニスボール大の丸形。葉は大ぶりで濃い。
一番わかりやすいのは、ヘタの部分。同じ大きさくらいのユズと比べると、ヘタに小さな花びらのような広がりがあり、上面の皮が十字のように角ばった部分ができてくる。
これはあくまで私の表面上の観察。川上氏から了解をもらったことではない。

「ゆうこう」は、ユズとザボンが自然交配してできた柑橘類と言われる。果汁の酸味は薄く、あっさりして飲みやすいと言う一方、薬味として利用するには、物足りないと言う人もいる。
中性脂肪を下げるなど、健康面で有効な成分を多く含み、今、実証研究と加工商品化が進んでいる。

新春「みさき道」初歩き(岬木場経由)  2013年1月

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新春「みさき道」初歩き(岬木場経由)  2013年1月

2013年1月2日(水)曇り。新春「みさき道」初歩き(岬木場経由)。参加21人。みさき道歩会の新春例会。一般参加も自由。毎年盛会である。
三和行政センター前広場9:40—蚊焼峠—徳道里程道塚11:34—野母崎ゴルフ場管理事務所11:51(昼食)12:20—サイクリング道路終点—モトクロス場13:47—殿隠山14:29—遠見山(標高259.0m)15:26—堂山峠15:50—脇岬観音寺16:20(徒歩距離 約15km)

恒例の新春初歩き行事。もう10年ほど前から継続して実施している。元旦は小雨だったが、今年も2日は、まあまあの天気曇り空。
いつものコースで、取り立てて説明することはない。古茶屋坂の入口先で、すぐ新設車道が横切る。奥の沢に砂防堤を築く工事らしい。展望は良くなった。

永一尾を過ぎ以下宿三叉路手前で、サイクリング道路に出合うところは、イバラやカズラのため、いつも草刈りに難渋していた。地図のとおり、迂回ルートを作っているので、利用できる。白テープが目印。尾根を間違わないように下る。
宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/khmtg856/30435062.html

2013年の迎春  本年もよろしく

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2013年の迎春  本年もよろしく

新年おめでとうございます。長崎は本年も小雨の年明けでした。みなさんには昨年中もたいへんお世話になりました。うれしいコメントの数々、深く感謝しています。
Yahoo!ブログ ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”を、2013年もよろしくお願いします。

新春「みさき道」初歩きは、あした1月2日、長崎市三和行政センター前広場に午前9時30分集合。蚊焼峠—徳道—岬木場—殿隠山—遠見山—堂山峠—脇岬観音寺のコースで、約15kmを歩きます。正月は開帳。「みさきの観音」と会えます。参加自由。お待ちしてます。

資料写真は、ダイヤランドふれあいセンターに展示している団地の建設状況。上段(着工前)は、昭和56年(1981)11月の撮影です。「みさき道」は、この団地内を通っていました。

2012年 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行” ベスト6〜10

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2012年 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行” ベスト6〜10

2012年を、”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”により振り返る。石橋・標石・古写真・史跡・巨樹など、2012年に新しく探したものなどのトピックスベスト10のうち6〜10。
詳しくは各記事を。

6 「新長崎市史」第二巻の「御崎道」記述の問題点  (4月)
写真  1   「新長崎市史」第二巻の「御崎道」記述の問題点
https://misakimichi.com/archives/3189

7 長崎市HP「まちなか再生」ながさき今昔写真館  (5月)
写真  2   長崎の古写真考 長崎市HP「まちなか再生」ながさき今昔写真館
https://misakimichi.com/archives/3214
写真  3   修正後の長崎市HP「まちなか再生」ながさき今昔写真館は、
http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/machidukuri/ma

8 自然石アーチ式石橋「乙女橋」(右側部分)の架橋工事  (8月)
写真  4   自然石アーチ式石橋「乙女橋」(右側部分)の架橋工事
https://misakimichi.com/archives/3295

9 「ミニ眼鏡橋」が48年ぶり諫早市へ里帰り  (12月)
写真  5   ミニ眼鏡橋:諫早に“里帰り”決定  埼玉・所沢で解体始まる
https://misakimichi.com/archives/3033
写真  6   「ミニ眼鏡橋」が48年ぶり諫早市へ里帰り  諫早市高城公園
https://misakimichi.com/archives/3529

10 長崎の西空の夕日  (9・10月)
写真  7   長崎の西空の夕日  12− 9
https://misakimichi.com/archives/3350
写真  8   長崎の西空の夕日  12−10
https://misakimichi.com/archives/3484

2012年 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行” ベスト1〜5

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2012年 ”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行” ベスト1〜5

2012年を、”長崎・佐賀・天草etc.風来紀行”により振り返る。石橋・標石・古写真・史跡・巨樹など、2012年に新しく探したものなどのトピックスベスト10のうち1〜5。
詳しくは各記事を。

1 明治9年魚見岳「地理局測点」の発掘調査 (11月)
写真  1   明治9年魚見岳「地理局測点」の地中埋石が見つかる
https://misakimichi.com/archives/3494
写真  2   明治9年魚見岳「地理局測点」の発掘調査など行う(1)
https://misakimichi.com/archives/3503
写真  3   大久保山中腹魚見岳の明治9年地理局測点  上西氏HPから
https://misakimichi.com/archives/3510  ほか

2 江戸期の「みさき道」詳細ルート地図の作成  ( 2〜 4月)
写真  4   江戸期の「みさき道」詳細ルート地図  1 みさき道本道(1)
https://misakimichi.com/archives/3185
写真  5   江戸期の「みさき道」詳細ルート地図  1 みさき道本道(2)
https://misakimichi.com/archives/3186
写真  6   江戸期の「みさき道」詳細ルート地図  2 岳路道経由
https://misakimichi.com/archives/3187
写真  7   江戸期の「みさき道」詳細ルート地図  3 川原道経由
https://misakimichi.com/archives/3188  ほか  

3 四国へ愛媛・香川の旅  ( 8・10月)
写真  8   石鎚山登山  愛媛県西条市・久万高原町
https://misakimichi.com/archives/3276
写真  9   遊子水荷浦の段畑  愛媛県宇和島市遊子
https://misakimichi.com/archives/3475
写真 10   豊稔池堰堤  香川県観音寺市大野原
https://misakimichi.com/archives/3296
写真 11   旧讃岐鉄道岩屋架道橋  香川県綾歌郡宇多津町
https://misakimichi.com/archives/3306  ほか

4 四国へ徳島・高知の旅  ( 8・10月)
写真 12   阿波の土柱  徳島県阿波市阿波町
https://misakimichi.com/archives/3389
写真 13   剣 山  徳島県三好市・美馬市・那賀郡那賀町
https://misakimichi.com/archives/3402
写真 14   杉の大スギ  高知県長岡郡大豊町
https://misakimichi.com/archives/3328
写真 15   白山洞門  高知県土佐清水市足摺岬
https://misakimichi.com/archives/3467  ほか

5 陸軍省「長崎要塞区域標」が3本見つかる  ( 7・10月)
写真 16   区−H 田川内公民館裏  (確認 長崎要塞区域標 第三十四号)
https://misakimichi.com/archives/3255
写真 17   区ー特 山川河内と潮見の旧道峠  (確認 長崎要塞区域標 第二十七号)
https://misakimichi.com/archives/3461  ほか

長崎県の石炭産業と近代化遺産 6P 炭鉱の島々 ほか

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長崎県の石炭産業と近代化遺産 6P 炭鉱の島々 ほか

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

長崎近代化遺産研究会編 「長崎県の石炭産業と近代化遺産」

6P ②長崎市稲佐山展望台からの風景。日本の近代化に貢献した炭鉱の島々が写っている。

22P 〔20〕北渓井坑跡 所在地:長崎市高島町

■ 確認結果

長崎近代化遺産研究会編「長崎県の石炭産業と近代化遺産」は、財団法人長崎県産炭地域振興財団「平成22年度産炭地域活性化基金助成事業」により出版されている。
現在の写真などであるが、間違いを2点説明する。

6P「②長崎市稲佐山展望台からの風景。日本の近代化に貢献した炭鉱の島々が写っている」は、手前左を「高鉾島」、手前右を「四郎ヶ島」と説明している。
すぐ近く神の島公園展望台からの確認写真のとおり、手前左は「四郎ヶ島」、手前右は(神の島側の)「中ノ島」が正しい。高鉾島は、次の写真どおり左外となり、島の形に特徴がある。

22P「〔20〕北渓井坑跡」のアクセス地図は、同坑跡に上段の「小菅修船場跡●」を、間違って赤色で印字している。
いずれも、添付の正誤表にも載っていない。監修は正しくお願いしたい。