長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1964 弟を背負う兄と妹
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:1964 弟を背負う兄と妹
〔画像解説〕
整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は、1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。神戸市近郊と思われるが、場所未詳。
■ 確認結果
この作品も「撮影地域:神戸」とし、「神戸市近郊と思われるが、場所未詳」と画像解説しているが、個人アルバムからの写真。整理番号46番台の番号の続きから、長崎の「茂木街道」明治新道の途中において撮影したと考えて良い。
街道の下りを写しており、右側の山の稜線から地形的には、田上から下りにかかった明治新道、前々の目録番号:1962「山間の水車小屋」の場所の、すぐ近くの前か後の街道で出会った場面と思われる。まだ山間部である。
2月12日に現地を再確認した。写した写真を最後に追加する。
(追 記 平成22年2月15日)
この古写真の撮影場所について、後日、コメントにより「田上1丁目18のホテル古都前付近から転石バス停方向ではないでしょうか? この古写真は下りではなく、上っているように私には見えますが…。Googleマップのストリートビューで見ると似ていると思います」と教示をいただいた。
上がりと見た場合、転石バス停からホテル古都間に3カ所、緩やかなS字カーブがある。ホテル側から歩いて状況確認した写真は上の3枚のとおり。2枚目が似ているが、右からの張り出した尾根が違う。かがんで写さないと道のやや平らな感じが同じとならないだろう。
下りと見た私の写真の、アーチ式石橋が残る「河平橋」の手前の地点の場合も、厳密に見ると尾根の張り出しは少し違うかも知れない。わかりながら、私はこの場所の写真を撮ってきた。
道の感じが最も合うし、S字にかかる右斜面は石垣でなく切り取った岩肌である。その先は明らかに小沢があり、橋が架かっていたのではないだろうか。現在残るアーチ式石橋「河平橋」は、明治41年9月架。記事は次を。 https://misakimichi.com/archives/427
すぐ近くで、同じ個人アルバムの目録番号:1962「山間の水車小屋」が撮影されている。茂木街道下りの同じ地点で2作品を撮ったのではないだろうか。最も可能性が考えられる場所となろう。
尾根の違いは現在、雑木や植林が繁って不明。道左下斜面は土建会社の材料置場と駐車広場となって盛土され築かれていた。