月別アーカイブ: 2010年2月

長崎外の古写真考 目録番号:2024 寺の境内の茶店

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:2024 寺の境内の茶店

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:2024 寺の境内の茶店
〔画像解説〕
神社境内の茶店の賑わいを撮影する。境内内には屋根付きの茶店の中に縁台が設けられ、大勢の女性が縁台に座って飲食に興じている様子。犬や子供達の姿も見える。同地は高台に建ち、眼下に景色の眺望を楽しめる場所に位置する。左の一段高くなった建物は能舞台か。縁台には煙草盆が置かれる。場所は不明である。

■ 確認結果

個人アルバムからの写真。整理番号46番台の作品は興味深く、最後まで見てみる。
この作品は「撮影地域:京都」。「神社境内」はタイトルから「寺」が正か。「場所は不明である」と解説している。京都の寺で能舞台があり、屋根付きの茶店がある所は、東山区の有名な「清水寺」の奥院(重要文化財)の方の、茶店の風景ではないだろうか。
画像は、Web−Town 京都の観光情報から。

宮崎ダム公園の梅ほころぶ  長崎市宮崎町

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宮崎ダム公園の梅ほころぶ  長崎市宮崎町

川原大池の奥の谷間にある宮崎ダム。平成15年4月完成。宮崎ダム公園が造られ、梅500本が記念樹として植樹された。その梅がほころび、今、見頃となっている。ダム上空は,鹿児島県出水市で越冬した鶴が,繁殖地のシベリアへ帰る「北帰行」のルート。
長崎県のダム及び長崎市の公園HPによる紹介は次のとおり。

宮崎(みやざき)ダム[長崎市]

宮崎ダムは、長崎市(旧三和町)に宮崎川の治水対策のため、平成2年度から本格的に建設を進めてきた治水ダムです。 このダムは、通常の重力式コンクリートダムではなく、水を通しにくい密度のある土を盛り立てて造ったゾーン型アースフィルダムという型式のダムです。小さなため池などではよく見かける型式ですが、国土交通省所管のダムとしては、長崎県内で初めてのダムです。  堤高/27.0m 堤頂長/154.0m  総貯水容量/164,000m3  

公園名 宮崎ダム公園   所在地 宮崎町1308-1

公園の概要  宮崎ダム建設事業の一環として計画され、貴重なダム湖周辺の緑豊かな湖畔緑地と景観を活かし、宮崎ダムと一体的に整備された公園です。 自然の中でイベントやレクリェーションを満喫できるレクリェーションゾーン、ダム機能や遊びながら植物や自然学習ができる学習ゾーンや展望広場、その他水辺の生物と共存できる河川敷等、家族連れや広く市民が楽しめる開放感あふれる憩いの空間となっています。 園内には、ウメをはじめサクラ、ツツジ等が植えられ、中でも記念樹として植えられた約500本のウメはウメの広場(梅園)として季節(2月〜3月上旬)には園内を彩っています。
駐車場 39台  トイレ 普通:有り、多目的:無し
アクセス方法  長崎駅より長崎バス川原行き「宮崎バス停」まで約50分、下車後徒歩10分。
公園の特長  花木を楽しむ公園

長崎の古写真考 目録番号:1967 海岸を散歩する外国人 ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1967 海岸を散歩する外国人 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:1967 海岸を散歩する外国人
〔画像解説〕
整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は、1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。アルバムの所有者と思われるが、人物と場所は未詳。

目録番号:1907 船上の外国人男性
目録番号:1946 イギリス人家族(4)

■ 確認結果

個人アルバムの写真からわかった長崎「茂木街道」の状景の最後に、目録番号:1967「海岸を散歩する外国人」を見てもらいたい。前の目録番号:1966「漁村の風景」は、「茂木長崎ホテル」から若菜川河口と茂木の集落を撮影したものだった。

目録番号:1967「海岸を散歩する外国人」も「撮影地域:神戸」とし、「人物と場所は未詳」となっている。しかし、左側に写った建物が「茂木長崎ホテル」の端の方と考えられるのである。
データベースに「茂木長崎ホテル」の適当な古写真が収録されていないため、現地説明板及び裳着神社拝殿に展示している写真を載せる。これによって判断してほしい。時代によってホテルは改造されている。
この項は次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/1535

さて最後の課題となるのは、個人アルバムが誰の所有なのだったのだろうか。画像解説では、この作品に写されている人物こそ、「アルバムの所有者と思われるが、人物と場所は未詳」と説明している。長崎大学もわかっていないらしく、HP上でもまったくアルバムの資料説明が見当たらない。
ベアトは4回来日したらしい。ベアトの太っている感じは、整理番号46番台の作品で見ると、目録番号:1907「船上の外国人男性」と似ている。外に出てくるのは目録番号:1946「イギリス人家族(4)」の男性2人である。

個人アルバムの一連の作品は興味深い。ベアトの足どりは、横浜開港資料館HPに、企画展「外国人カメラマンが撮った幕末ニッポン−F.ベアト作品展−」から新事実と新収資料の解説がある。 http://www.kaikou.city.yokohama.jp/journal/092/092_02.html
これらの人物と作品について、長崎の撮影場所とともに専門的な研究をお願いしたい。

2月12日に現地を再確認した。写した写真を最後に追加する。

長崎の古写真考 目録番号:1966 漁村の風景 ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1966 漁村の風景 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:1966 漁村の風景
〔画像解説〕
整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。場所未詳。

目録番号:5381 長崎湾口の風景
〔画像解説〕
ベアトアルバムに貼られている、長崎港口の集落である。明治初期の写真である。明確な場所の特定ができていない。写真を見ると、山が海に迫っており、地形的に隔絶された場所であることが予想される。沿岸の前面が砂地になっており、漁船が係留されている。その奥に護岸があり、各家は石塀で囲われている。藁葺きの家もあるが、漆喰仕上げの蔵がいくつかあり、また瓦葺きの家も見られる。比較的整った集落が形成され、棚田が山の上まで開発されている。山が何層にも重なり、長崎半島の地形を示している。しかし地形の形状や山の形から、長崎半島の付け根、長崎港外の佐賀藩の飛び地である深堀と考えられる。現在の長崎市深堀地区である。現在、香焼島と陸続きになり水路はなくなっている。長崎に関する明治時代の古写真では、長崎市街地と外国人居留地に関する写真が多い中で、珍しい写真である。

■ 確認結果

私が「茂木街道」を訪ねてきたのは、この目録番号:1966「漁村の風景」の写真を見てもらいたかったためである。この作品も「撮影地域:神戸」となり、画像解説では「場所未詳」となっている。
次の目録番号:5381「長崎湾口の風景」の作品と、まったく同じ漁村であり、港であることがわかるだろう。

撮影場所は現在の深堀ではない。長崎の裏玄関として昔から栄えた茂木港なのである。橘湾側にあり、島原・熊本・鹿児島方面との海上交通に重要な港となった。また豊富な漁獲がある。
古写真には右端に松の枝が写り、これは弁天崎にあった外国人用「茂木長崎ホテル」(現在のSマート茂木店及び茂木郵便局あたり)から、若菜川河口と茂木の集落を撮影したものである。
撮影場所が長く不明とされていたが、背景の山から「茂木」であると、2008年12月判明した。
この項は次の記事ほかを参照。 https://misakimichi.com/archives/2084

以上は後の作品、目録番号:5381「長崎湾口の風景」についてのいきさつである。この作品より当時の茂木港の様子を鮮明に写した古写真が、今回データベース上で見つかった。これが目録番号:1966「漁村の風景」である。
こんな写真があるとは、私はこれまで知らず、長崎大学側もまだ全然、把握していないと思われる。個人アルバムの整理番号46番台を、目録番号の連番号により1点ずつ検索していてわかった。茂木地区の「もぎ歴史懇談会」関係者が、大喜びしそうな新しい古写真であろう。
現在の写真は茂木郵便局前の海岸通りと、その先の埋立地天草フェリー側の岸壁から。

2月12日に現地を再確認した。写した写真を最後に追加する。

長崎の古写真考 目録番号:1965 山腹から望む港町

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1965 山腹から望む港町

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:1965 山腹から望む港町
〔画像解説〕
整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真が、1枚物やそれをアルバムにして販売されたのに対して、個人アルバムは貴重である。全て、鮮やかな彩色がされている。場所未詳。

■ 確認結果

この作品も「撮影地域:神戸」とし、「鮮やかな彩色がされている。場所未詳」と画像解説しているが、個人アルバムからの写真。整理番号46番台の番号の続きから、長崎の「茂木街道」明治新道の途中において撮影したと考えられる。
撮影場所は田上峠の手前、小島を上がった旧街道の道と合流する現在のバス停「弥生ヶ丘」あたりの所となる。実際、現地で確認しないと正確なことは言えないが、こう考えると一連のアルバムのつじつまが合う。

中央から右横に伸びる白い線が、愛宕付近の明治新道。右上の白い大きな建物は洋館のように見え、ここが現在の「長崎スポーツセンター」の所であろう。右上からの山の稜線の奥にかぶるのは立山の尾根、中央奥の山が「岩屋山」、左が「稲佐山」の立岩尾根となろう。
この小さな写真でははっきりしないが、長崎港の奥が中央に写り、現在の長崎駅前、大黒町あたりの密集した町並みが広がっていると思われる。

現在の写真は撮り置きがない。とりあえず近くの唐八景展望台からの風景と、小島の正覚寺山門前にある「茂木街道変遷図」を載せる。
2月12日に現地を再確認した。写した写真を最後に追加する。

長崎の古写真考 目録番号:1964 弟を背負う兄と妹

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1964 弟を背負う兄と妹

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:1964 弟を背負う兄と妹
〔画像解説〕
整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は、1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。神戸市近郊と思われるが、場所未詳。

■ 確認結果

この作品も「撮影地域:神戸」とし、「神戸市近郊と思われるが、場所未詳」と画像解説しているが、個人アルバムからの写真。整理番号46番台の番号の続きから、長崎の「茂木街道」明治新道の途中において撮影したと考えて良い。

街道の下りを写しており、右側の山の稜線から地形的には、田上から下りにかかった明治新道、前々の目録番号:1962「山間の水車小屋」の場所の、すぐ近くの前か後の街道で出会った場面と思われる。まだ山間部である。
2月12日に現地を再確認した。写した写真を最後に追加する。

(追 記 平成22年2月15日)
この古写真の撮影場所について、後日、コメントにより「田上1丁目18のホテル古都前付近から転石バス停方向ではないでしょうか? この古写真は下りではなく、上っているように私には見えますが…。Googleマップのストリートビューで見ると似ていると思います」と教示をいただいた。

上がりと見た場合、転石バス停からホテル古都間に3カ所、緩やかなS字カーブがある。ホテル側から歩いて状況確認した写真は上の3枚のとおり。2枚目が似ているが、右からの張り出した尾根が違う。かがんで写さないと道のやや平らな感じが同じとならないだろう。

下りと見た私の写真の、アーチ式石橋が残る「河平橋」の手前の地点の場合も、厳密に見ると尾根の張り出しは少し違うかも知れない。わかりながら、私はこの場所の写真を撮ってきた。
道の感じが最も合うし、S字にかかる右斜面は石垣でなく切り取った岩肌である。その先は明らかに小沢があり、橋が架かっていたのではないだろうか。現在残るアーチ式石橋「河平橋」は、明治41年9月架。記事は次を。 https://misakimichi.com/archives/427

すぐ近くで、同じ個人アルバムの目録番号:1962「山間の水車小屋」が撮影されている。茂木街道下りの同じ地点で2作品を撮ったのではないだろうか。最も可能性が考えられる場所となろう。
尾根の違いは現在、雑木や植林が繁って不明。道左下斜面は土建会社の材料置場と駐車広場となって盛土され築かれていた。 

長崎の古写真考 目録番号:1963 八坂神社

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1963 八坂神社

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:1963 八坂神社
〔画像解説〕
整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真が、1枚物やそれをアルバムにして販売されたのに対して、個人アルバムは貴重である。全て、鮮やかな彩色がされている。

■ 確認結果

この作品は、詳しい場所の画像解説をしていないが、「撮影地域:神戸」としている。神戸市には、北区山田町原野に「八坂神社」があるが、平地の神社で、このような神社ではない。
目録番号:1963「八坂神社」は、現在の長崎市鍛冶屋町の「八坂神社」と思われる。神社の起源は、元和6年(1620)とされ、寛永3年(1626)長崎奉行の許しにより京都祇園社の御神霊をその天王社に合祀し、祇園宮延寿院と称した。その後、変遷して「八坂神社」となった。

現在の神社の様子は変わっているが、古写真に写っている鳥居の位置、諏訪神社お宮日に使われる踊り場、高い石段、両脇の塀縁石、神殿左に現在も立つ樅の高木などに注視すると、長崎の「八坂神社」に間違いないだろう。ここも茂木街道の道で、後で述べる茂木へ行く途中、立ち寄って撮影したと考えられる。
現在の八坂神社は、風景の項を参照。 https://misakimichi.com/archives/1675

2月12日に現地を再確認した。写した写真を最後に追加する。

長崎の古写真考 目録番号:1962 山間の水車小屋 ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1962 山間の水車小屋 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:1962 山間の水車小屋
〔画像解説〕
整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は、1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。神戸市内近郊と思われるが、場所は未詳。

目録番号: 365 茂木街道(1)
〔画像解説〕
茂木村(現長崎市茂木町)は長崎市の東南約8キロメートルの場所にある。長崎から茂木へ行くには、長崎半島の付け根の尾根を越える必要がある。この尾根の峠にある場所が田上であり、途中の休息をとるために茶屋ができた。そこを過ぎると、茂木街道は一気に、長崎半島東斜面を茂木に向けて下り始める。また、この峠を分水嶺として茂木において橘湾に注ぐ、若菜川が流れている。この写真は、茂木に下る川の街道を撮影した、明治10年代のものである。明治時代になり茂木街道を、人力車や荷車が通行する近代的な道路に改良する必要があった。そこで、長崎県は明治18年(1885)から茂木新道の開削に着手した。しかし、街道はまだ人力車が通行可能な近代的な道路となっていない。外国人居留地が建設された当時、外国人が茂木に行く楽しみの一つは、日本の田舎の穏やかで美しい自然に触れることであった。

■ 確認結果

目録番号:1962「山間の水車小屋」は、「神戸市内近郊と思われるが、場所は未詳」としている。
この水車小屋は、造りと背景の山間の様子から、目録番号: 365「茂木街道(1)」に写された長崎の茂木街道、明治新道(旧県道のこと。以下の記事でも同じ)沿いの谷間に流れている河平川(若菜川の支流)にあった水車小屋と思われる。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1878
https://misakimichi.com/archives/1835

整理番号46番台は、個人アルバム。日本での作品を「撮影地域:神戸」とひとまとめにして判断している例が多い。長崎を撮影した写真があるので、次々に見ていく。撮影者がなぜ茂木へ行ったかもわかるだろう。茂木の途中、ここの水車小屋を写したと考えられる。
この前々の番号となる目録番号;1960「海上の伝馬船」が「長崎」港内であったことは、すでに
2007年4月指摘して修正されている。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1556

この外これから見る作品は、データベースに収録されていても、通常の検索では出てこない。整理番号46番台の個人アルバムを、目録番号の連番号により1点ずつ開いていって、今やっと収録がわかった作品である。

2月12日に現地を再確認した。写した写真を最後に追加する。 

長崎外の古写真考 目録番号: 357 松島(6) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 357 松島(6) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品を取り上げる。

目録番号: 357 松島(6)
〔画像解説〕
日本三景の一、松島。湾内には波の浸食を受けた様々な形の島が浮かぶ。写真では、和船が一艘帆を広げ、波静かな水面に影を映している。前景左手に松を戴く切り立った荒い岩肌が見え、中央から右端にかけての水面には小島が連なっている。

目録番号:2970 松島(12)
〔画像解説〕
雄島の磯より撮影した写真で、左側の島は亀島、右側の島は鯨島で双子島(ふたごじま)と呼ばれる別名もある。背後は自然植物園となっている福浦島である。船は真帆のダンベと呼ばれる種類である。島の形は今も変わっていない。

目録番号:5503 松島(18)

■ 確認結果

3作品とも松島の雄島の磯からほぼ同じところを撮影している。画像解説をできれば合わせる。構図が違う目録番号:2970「松島(12)」は別として、同じ写真と思われる目録番号: 357「松島(6)」の撮影者は「小川一真」、一方の目録番号:5503「松島(18)」は「玉村騎兵衛?」となっている。撮影者はどちらなのだろう。

HP「手彩色古写真」に次のとおり、この「松島」の作品の記事があった。
http://www.page.sannet.ne.jp/rokano28/edo/tesaisiki/tesaisiki.htm
長崎大学附属図書館の幕末・明治期日本古写真データの「松島」に依ると、”小川一真撮影”となっているが、全く同じ写真が玉村騎兵衛?ともなっている。共に「日本三景の一、松島。湾内には波の浸食を受けた様々な形の島が浮かぶ。写真では、和船が一艘帆を広げ、波静かな水面に影を映している。前景左手に松を戴く切り立った荒い岩肌が見え、中央から右端にかけての水面には小島が連なっている」と説明されているから、承知のうえのことなのだろうが…ただ小川一真が正確なら、写真の同一性から玉村騎兵衛ということはありえないと思うのだが…。
…実はこの写真は5月に紹介した「亀戸天神の藤棚」と同じ台紙に張られたものであった。…

なお、松島の写真をデータベースの「撮影地域」で検索すると、地域が「宮城」と「松島」とあり、ほとんどは「宮城」に整理されている。「松島」では2作品しか出てこない。撮影地域の区分はどうなっているのだろうか。

長崎外の古写真考 目録番号: 305 松島(3) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 305 松島(3) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品を取り上げる。

目録番号: 305 松島(3)
〔画像解説〕
日本三景の一、松島。湾内には波の浸食を受けた様々な形の島が浮かぶ。写真では、背の高い松が茂る右手前の島と、中央左手の島を繋ぐ木造の架橋が見える。手前の島腹には通路が掘られている。整理番号8-37と同一。

目録番号: 306 松島(4)       同作品 目録番号: 363 松島(8)
〔画像解説〕
日本三景の一、松島。湾内には波の浸食を受けた様々な形の島が浮かぶ。写真前景左端に幹の太い松。画面に掛かるその枝の向こう、波静かな湾上には小島が二つ浮かび、手前には和船が三艘、人影もいくつか見える。いかにも日本画的な構図である。

目録番号:4419 島の風景、松島
〔画像解説〕
雄島の中央部から陸地側である渡月橋を撮影したものである。渡月橋は現在朱塗りであるが何時朱塗りになったかは不明であるので撮影当時は朱塗りではなかっのか興味深い。橋には欄干も設置されていない。現在中央部の陸地側は開削され遊歩道が造られている。

■ 確認結果

目録番号: 305「松島(3)」と、目録番号: 306「松島(4)」は、写真下の画像解説が写真と合わない。掲載写真を入れ間違っている。超高精細画像も移し変え、「和船」のキーワードも変更要。
そうしないと、同作品の目録番号: 363「松島(8)」の「整理番号7-29と同一」という説明と合わない。

最後の目録番号:4419「島の風景、松島」も、雄島中央部の同じ橋の所を撮影している。タイトルを「松島( )」として整理してよいのではないか。