長崎外の古写真考 目録番号: 357 松島(6) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 357 松島(6) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品を取り上げる。

目録番号: 357 松島(6)
〔画像解説〕
日本三景の一、松島。湾内には波の浸食を受けた様々な形の島が浮かぶ。写真では、和船が一艘帆を広げ、波静かな水面に影を映している。前景左手に松を戴く切り立った荒い岩肌が見え、中央から右端にかけての水面には小島が連なっている。

目録番号:2970 松島(12)
〔画像解説〕
雄島の磯より撮影した写真で、左側の島は亀島、右側の島は鯨島で双子島(ふたごじま)と呼ばれる別名もある。背後は自然植物園となっている福浦島である。船は真帆のダンベと呼ばれる種類である。島の形は今も変わっていない。

目録番号:5503 松島(18)

■ 確認結果

3作品とも松島の雄島の磯からほぼ同じところを撮影している。画像解説をできれば合わせる。構図が違う目録番号:2970「松島(12)」は別として、同じ写真と思われる目録番号: 357「松島(6)」の撮影者は「小川一真」、一方の目録番号:5503「松島(18)」は「玉村騎兵衛?」となっている。撮影者はどちらなのだろう。

HP「手彩色古写真」に次のとおり、この「松島」の作品の記事があった。
http://www.page.sannet.ne.jp/rokano28/edo/tesaisiki/tesaisiki.htm
長崎大学附属図書館の幕末・明治期日本古写真データの「松島」に依ると、”小川一真撮影”となっているが、全く同じ写真が玉村騎兵衛?ともなっている。共に「日本三景の一、松島。湾内には波の浸食を受けた様々な形の島が浮かぶ。写真では、和船が一艘帆を広げ、波静かな水面に影を映している。前景左手に松を戴く切り立った荒い岩肌が見え、中央から右端にかけての水面には小島が連なっている」と説明されているから、承知のうえのことなのだろうが…ただ小川一真が正確なら、写真の同一性から玉村騎兵衛ということはありえないと思うのだが…。
…実はこの写真は5月に紹介した「亀戸天神の藤棚」と同じ台紙に張られたものであった。…

なお、松島の写真をデータベースの「撮影地域」で検索すると、地域が「宮城」と「松島」とあり、ほとんどは「宮城」に整理されている。「松島」では2作品しか出てこない。撮影地域の区分はどうなっているのだろうか。