長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1962 山間の水車小屋 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:1962 山間の水車小屋
〔画像解説〕
整理番号46番台の写真は、中国と日本を撮影した個人アルバムの写真である。この時代の多くの写真は、1枚物やそれをアルバムにしているのに対して、個人アルバムである。神戸市内近郊と思われるが、場所は未詳。
目録番号: 365 茂木街道(1)
〔画像解説〕
茂木村(現長崎市茂木町)は長崎市の東南約8キロメートルの場所にある。長崎から茂木へ行くには、長崎半島の付け根の尾根を越える必要がある。この尾根の峠にある場所が田上であり、途中の休息をとるために茶屋ができた。そこを過ぎると、茂木街道は一気に、長崎半島東斜面を茂木に向けて下り始める。また、この峠を分水嶺として茂木において橘湾に注ぐ、若菜川が流れている。この写真は、茂木に下る川の街道を撮影した、明治10年代のものである。明治時代になり茂木街道を、人力車や荷車が通行する近代的な道路に改良する必要があった。そこで、長崎県は明治18年(1885)から茂木新道の開削に着手した。しかし、街道はまだ人力車が通行可能な近代的な道路となっていない。外国人居留地が建設された当時、外国人が茂木に行く楽しみの一つは、日本の田舎の穏やかで美しい自然に触れることであった。
■ 確認結果
目録番号:1962「山間の水車小屋」は、「神戸市内近郊と思われるが、場所は未詳」としている。
この水車小屋は、造りと背景の山間の様子から、目録番号: 365「茂木街道(1)」に写された長崎の茂木街道、明治新道(旧県道のこと。以下の記事でも同じ)沿いの谷間に流れている河平川(若菜川の支流)にあった水車小屋と思われる。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1878
https://misakimichi.com/archives/1835
整理番号46番台は、個人アルバム。日本での作品を「撮影地域:神戸」とひとまとめにして判断している例が多い。長崎を撮影した写真があるので、次々に見ていく。撮影者がなぜ茂木へ行ったかもわかるだろう。茂木の途中、ここの水車小屋を写したと考えられる。
この前々の番号となる目録番号;1960「海上の伝馬船」が「長崎」港内であったことは、すでに
2007年4月指摘して修正されている。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1556
この外これから見る作品は、データベースに収録されていても、通常の検索では出てこない。整理番号46番台の個人アルバムを、目録番号の連番号により1点ずつ開いていって、今やっと収録がわかった作品である。
2月12日に現地を再確認した。写した写真を最後に追加する。