長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 365 茂木街道(1) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。
目録番号: 365 茂木街道(1)
〔画像解説〕
茂木村(現長崎市茂木町)は長崎市の東南約8キロメートルの場所にある。長崎から茂木へ行くには、長崎半島の付け根の尾根を越える必要がある。この尾根の峠にある場所が田上であり、途中の休息をとるために茶屋ができた。そこを過ぎると、茂木街道は一気に、長崎半島東斜面を茂木に向けて下り始める。また、この峠を分水嶺として茂木において橘湾に注ぐ、若菜川が流れている。この写真は、茂木に下る川の街道を撮影した、明治10年代のものである。明治時代になり茂木街道を、人力車や荷車が通行する近代的な道路に改良する必要があった。そこで、長崎県は明治18年(1885)から茂木新道の開削に着手した。しかし、街道はまだ人力車が通行可能な近代的な道路となっていない。外国人居留地が建設された当時、外国人が茂木に行く楽しみの一つは、日本の田舎の穏やかで美しい自然に触れることであった。
目録番号: 3842 茂木街道の水車
■ 確認結果
茂木街道は、長崎から茂木に至る街道。島原や天草へ船便で結ばれ、古くから重要な街道であり、たびたび改良が行われ、ルートは変わっている。道路の勾配が急で、人力車や荷馬車の交通には不便だったため、明治18年(1885)に長崎の油屋町から高平町、田上、転石、大川橋、片町などを経て茂木に到る新道(旧県道)が整備され明治20年(1887)完成、さらに昭和9年(1934)に新県道(現国道324号線)が開通した。
茂木街道の名物で、休息所となった大水車小屋は、この新しくできた明治新道(旧県道)沿いの河平川(若菜川支流となる)谷間にあった。水車関係の詳しくは次を参照。
https://misakimichi.com/archives/1521
https://misakimichi.com/archives/1835
目録番号:365「茂木街道(1)」の古写真は、街道名物の大水車が撮影されているのに〔画像解説〕は水車の説明がここにあまりなく、撮影場所は「田上」ではない。
従ってこの古写真の撮影年代も、明治20年の明治新道(旧県道)が開通した後となろう。
その他、街道を初めとする茂木関係の古写真は、ほとんどが誤認で解説され地元でも困っていた。すでに古写真考において疑問点すべてを指摘しているので、現地確認のうえ早く是正をお願いしたい。