長崎の古写真考 目録番号:5381 長崎湾口の集落(再掲)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5381 長崎湾口の集落(再掲)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
目録番号:5381「長崎湾口の集落」の以前の記事は次を参照。
https://misakimichi.com/archives/1874

朝日新聞長崎地域版2009年11月5日付の「長崎今昔 長大写真コレクション」にこの古写真が掲載された。タイトルは「幕末の茂木海岸 船ひしめく漁業の町」と変えられ、解説されている。
後段には「この写真の場所はしばらく不明でしたが、ネットを通じて郷土史家の方から情報を提供していただきました」とある。私は連絡などしないし、郷土史家でもないが、私のブログ上での指摘が、いくらかでも大学側の目にとまって、反映されてはいるようだ。

ところで新聞記事の解説内容である。「右の白壁の大きな家は1665年に設けられた浦見番所で、海の警備と問屋を兼ねていました」だろうか。
古写真の撮影場所は、現在の若菜川を弁天橋で渡ったSマート先にある茂木郵便局前あたり(長崎代官村山等安別邸跡。後に茂木村庄屋宅、そして道永エイの茂木長崎ホテル、ビーチホテルとなる)から、若菜川河口対岸となる茂木集落の方(現在の茂木バス停方面、今も旧通りに商家・倉庫跡が残る)を写したものである。
浦見番所があったのは、弁天崎の現在の茂木郵便局次の、石垣囲いの広い屋敷(現伊達木宅)がある所であるから、場所的に写ることはありえない。
浦見番所は治安・行政を司どるため設けられた。屋敷の裏山は弁天山になる。

次に古写真の茂木集落「背後の山は悪所岳方面」ともならない。悪所岳(標高506m)は宮摺のまだ南にある山で、撮影場所から悪所岳までは見えない。
以前の記事に書いているとおり、この山は茂木の山間部「峠」集落あたりの山であろう。わかりやすく説明するなら、「現在の市民の森方面」とした方が良いのではないだろうか。
先週10月29日付記事「樺島のにぎわい」で、「前方は長崎半島先端の遠見山方向に当たります」も、正しくは前方中央の山は「殿隠山」、左に山半分写っているのが「遠見山」となろう。