長崎の古写真考 目録番号:5381 長崎湾口の集落

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5381 長崎湾口の集落

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:5381 長崎湾口の集落
〔画像解説〕
ベアトアルバムに貼られている、長崎港口の集落である。明治初期の写真である。明確な場所の特定ができていない。写真を見ると、山が海に迫っており、地形的に隔絶された場所であることが予想される。沿岸の前面が砂地になっており、漁船が係留されている。その奥に護岸があり、各家は石塀で囲われている。藁葺きの家もあるが、漆喰仕上げの蔵がいくつかあり、また瓦葺きの家も見られる。比較的整った集落が形成され、棚田が山の上まで開発されている。山が何層にも重なり、長崎半島の地形を示している。しかし地形の形状や山の形から、長崎半島の付け根、長崎港外の佐賀藩の飛び地である深堀と考えられる。現在の長崎市深堀地区である。現在、香焼島と陸続きになり水路はなくなっている。長崎に関する明治時代の古写真では、長崎市街地と外国人居留地に関する写真が多い中で、珍しい写真である。

■ 確認結果

古写真のタイトルは、「長崎湾口の集落」。撮影場所はこれまで不明とされていた。大きな港の集落である。実は簡単なところにあった。長崎市茂木地区の若菜川河口である。
この記事は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1532
「稲佐崎か、茂木若菜川河口でないか調査中」と、平成19年4月に研究レポートを届け知らせていたのに、画像解説に何も反映されていない。

撮影場所は、道永エイが経営した茂木「ビーチホテル」があった付近(現Sマート茂木店)。新しい弁天橋や前から架かる若菜橋の方を見て、視線を右から左へ移すと同じ格好の山があった。
今の茂木郵便局後ろの少し高台から、対岸の元浜の船と本町の家並みを写している。背景の山は峠集落近くの山と思われる。
深堀を佐賀藩の「飛び地」とはあまり言わない。「佐賀藩深堀領」か「南佐嘉領」ではないか。