長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5381 長崎港口の集落
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。
目録番号:5381 長崎港口の集落
目録番号:5262 茂木桟橋(3)
■ 確認結果
1枚目の古写真のタイトルは、「長崎港口の集落」。条件を「茂木」に指定して探しても出てこない。撮影場所はこれまで不明とされていた。大きな集落である。「イサバ船」か漁船のような船が多く碇泊している。かなりの港である。
長崎港口となると、戸町、西泊、遠く樺島湊など考えられるが、該当しなかった。似たような風景は、長崎港内の有名な碇泊地、旭町の稲佐崎(道永エイのホテル・ヴェスナーがあった)から大鳥町を望む方向にあったが、どうしても背景の山の格好が最後の写真のとおり合わなかった。
稲佐崎か、茂木若菜川河口でないかと、昨年春から指摘をして、調査中としていた。若菜川河口は、弁天橋から若菜橋の方向のみ、いつも目が向いて気づかなかった。
何のことはない。視線を右から左へ移すと同じ格好の山があった。撮影場所は道永エイが経営した茂木「ビーチホテル」があったところ。今の茂木郵便局後ろの少し高台から、対岸の元浜の船と本町の家並みを写している。背景の山は峠集落近くの山と思われる。
郵便局前の海岸通りの先に天草方面への通船波止場ができた。2枚目の古写真「茂木桟橋(3)」である。付近の海底を覗くと、きれいな石積みを確認できる。
1枚目の古写真は、2枚目と同じ高台の近くから、カメラの向きを変えて写されたのではないか。
茂木の本町通りに残る古い建物を訪ねてみた。国道脇に「さつまや」の名号の店が、まだある。