西海市大瀬戸町多以良近辺の山岳史跡めぐり 2011年11月
2011年11月13日(日)曇り。西海市大瀬戸町多以良近辺の小佐々水軍史跡めぐり。山登りを兼ねて、近辺の史跡を訪ねた。参加10人。みさき道歩会の例会。
長崎8:00発ー大瀬戸町多以良の岩倉神社(権現岩)—小佐々氏墓所ー小佐々城跡—多以良川の船場(昼食)ー高帆岳(金比羅山 標高232m)—伊佐の浦ダムー基幹林道ー雪の浦ダムー長崎16:00着(自家用車利用 徒歩距離 約5km)
長崎を車2台で出発。大瀬戸町多以良は五島灘海域を領有支配した小佐々水軍と呼ばれる戦国大名小佐々一族の本拠地である。板の浦トンネルを出ると、右手に岩倉神社があるが、ここは下宮拝殿。国道の旧道を左へ行くと、「権現岩」を祀る上宮神社へ上がる車道がある。権現岩は写真のとおり。迫力があった。
「小佐々氏墓所」は、国道の下多以良橋右岸にある。風格ある墓である。小さなキリシタン墓2基もあり長崎県指定史跡。墓所から左上に見える小高い山が、小佐々城跡の城の辻(標高133m)である。国道から歩いて約20分。
石垣など見当たらないが、湾曲して流れる多以良川が、堀の役目をよく果たしている。山頂岩は展望が良く、遠く狼火台があった「高帆山」も見える。
多以良川の流れに沿い下流へ向かうと、奥に3軒ほどの農家があり(小峰の館跡?)、城山を裏手から眺められる。しかし、車道はここまで。
国道に戻って、トトロバス停「柳山」(ラビリンス次の記事とする)から旧道に入る。谷間が開けて、渡り橋がある。城山を巻いて流れた堀状の多以良川が、ここに流れている。
橋から少し上流へ行くと、貴重な遺構がある。河口の海から潮がこの近くまで上がり、あと川は引いて小佐々水軍の軍船を隠した池のような船場の石垣が残る。橋で昼食。
午後は、明治県道一里標を見て、柳浜へ出て金比羅山と呼ばれる「高帆山」へ登った。山頂近くまでミカン畑の農道が上がる。
狼火台があった山で、遠くから見ると、円錐形の端正な姿をしている。
農道には案内板があり、駐車場から石段を歩いて160段登る。高帆山頂は五島灘を向き、大島・崎戸島も全面に広がるのだが、あいにく霞んでいた。
長崎への帰りは、国道202号ではなく、七釜から伊佐の浦ダムへ行った。堰堤を渡ると西彼杵半島広域基幹林道へ出る。快適な林道だが、雪の浦付近がまだ工事中で繋がっていない。
雪の浦ダムへ上がり、県民の森を通って帰った。結構、楽しめた史跡めぐりの山登りの1日であったろう。次の記事も参照。
大瀬戸町の主な史跡(1) https://misakimichi.com/archives/2396
大瀬戸町の主な史跡(3) https://misakimichi.com/archives/2398