長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:な し 上野彦馬撮影「稲佐山から
長崎の港を俯瞰」 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:な し 上野彦馬撮影「稲佐山から長崎の港を俯瞰」
目録番号:6165 稲佐山から見た長崎鳥瞰
〔画像解説〕 古写真ボードインコレクションから
元治元(1864)年頃、稲佐山の中腹から長崎市街を望んだ珍しい写真です。この写真により、和船は五島町あたりに停泊し、外国艦船は大浦の沖に停泊していたことが分かります。また、左の中央には西奉行所西役所や出島の建物が鮮明に写し出されています。中央奥は新地蔵と湊です。その上には小島養生所の建物も見えます。右の大浦居留地のバンド(海岸通り)の建物も鮮明です。その丘の上には文久2(1862)年に建った日本最初のプロテスタント教会である白い英国聖公会教会も見えます。その右の旗竿が建つ建物はイギリス領事館です。 -6165-
■ 確認結果
上野彦馬撮影「稲佐山から長崎の港を俯瞰」は、「写真の開祖 上野彦馬 −写真に見る幕末・明治ー」産業能率短期大学出版部昭和50年発行の126頁に掲載されている。長崎大学データベースでは見当たらない。
この写真は、127頁と見開きになっている4枚組のパノラマ写真(クリック拡大)。右に飽の浦、左に渕町まで写している。稲佐山山頂からの写真のようだが、そうでもない。
扇精光株式会社HP「上野彦馬ギャラリー」が、具体的な撮影場所を探している。「稲佐山の山の中(多分、中腹位) 残念なことにこの撮影場所までの遊歩道はもうありません」
次のHPを参照。 http://www.ougis.co.jp/virtual/hikoma/ueno.html
撮影場所をぜひ一度、訪ねたいと思っているが、木立が繁り現在でも4枚組パノラマの右左まで、景色が見通せるのだろうか。
現在の写真は、稲佐山の山頂展望台からのをとりあえず掲げた。したがって、尾根の状況など古写真どおりとなっていない。
次はボードインコレクションにある目録番号:6165「稲佐山から見た長崎鳥瞰」。前記作品とは、手前の尾根は同じようだが、尾根に近づいて撮影の高度感が低い。明らかに山腹のより下から撮影されている。
私が探した撮影場所は、長崎清風ホテルの先、水の浦トンネル上の「天狗岩」だが、まだ確証となっていない。対岸の三景台は山が削られている。長崎清風ホテル左上の「九電三菱電機分岐線2号鉄塔」の場所も可能性はあるが、木立に囲まれ確認できない。
本ブログ次の記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/1608
長崎大学附属図書館HP「古写真ボードインコレクション」長崎のパノラマ風景対比写真は、別の尾根を写しているようだ。対岸の愛宕山の位置が合っていない。
(追 記 2011年6月28日)
明治34年測図国土地理院旧版地図は、最後のとおり。稲佐山中腹バス停から長崎スカイホテル横の石段を上がり、九電北長崎25号線鉄塔を通って、稲佐山展望台真下の車道(2枚目左手前、カーブミラーがある)へ出る明治地図の山道を登ってみた。
扇精光株式会社HPのこれが遊歩道なら、現在も荒れてなく歩けるが、長崎港や市街を見渡せるような岩場などなく、HPの撮影場所がどこかわからなかった。
上野彦馬撮影「稲佐山から長崎の港を俯瞰」の最初の1枚だけ見ると、撮影場所は少し中腹?となるかも知れないが、4枚組パノラマの全体を撮影できた場所となると、当時の稲佐山山頂からと考えて良いと感じた。