長崎の幕末・明治期古写真考 朝日新聞:長崎今昔 稲佐山から見た長崎
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
朝日新聞:長崎今昔 稲佐山から見た長崎
■ 確認結果
朝日新聞:長崎今昔「稲佐山から見た長崎」は、きよう2009年2月14日付朝日新聞長崎地域版「長崎今昔 長大写真コレクション」に掲載された古写真。
解説文には、「フェリックス・ベアトが1864年(明治19年)、稲佐山の山腹から撮影した長崎のパノラマです。長崎大学附属図書館が入手したボードイン・コレクションの中の一枚です。海から眺めた幕末長崎の風景がよくわかります…」とある。
最近、入手したコレクションの写真か、長崎大学データベースにはまだ出てこない。解説文は問題ないが、撮影場所の「稲佐山の山腹」とは、具体的にどのあたりだろうか。
心当たりの場所がある。長崎市教育委員会「長崎古写真集 居留地編」平成15年刊の第3版33頁にある16「対岸から居留地を望む」の写真(長崎市立博物館所蔵)。
この写真は、次記事を参照。 https://misakimichi.com/archives/1586
撮影場所は、水の浦や飽の浦から稲佐山登山道がある現在の大谷町、社会福祉法人長崎厚生福祉団の介護老人保健施設「シンフォニー稲佐の森Ⅱ」が建ったケアハウス背後あたりと思われたが、ここからは景色が違う。
ベアト作品の方は、もう少し北へ寄った現在の水の浦トンネル上の「天狗岩」か、その先の長崎ホテル清風あたりの高台からではないだろうか。ここも別ルートの昔の稲佐山登山道があった。
市街地左上に黒く写る「愛宕山」の高さと位置が問題となろう。写真手前に大きく写る大鳥町尾根の形が少々気になる。撮影場所は再調査をしたい。
後ろの写真は、参考のため稲佐山山頂展望台からの景色。