長崎の古写真考 古写真集: 16 対岸から居留地を望む

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長崎の幕末・明治期古写真考 古写真集: 16 対岸から居留地を望む

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

古写真集 居留地編: 16 対岸から居留地を望む

■ 確認結果

「16 対岸から居留地を望む」の作品は、長崎大学データベースでは見当たらない。長崎市教育委員会編「長崎古写真集 居留地編」平成7年発行の33頁に掲載されている。同137頁の「図版解説」は次のとおり。

16 対岸から居留地を望む         長崎市立博物館所蔵
対岸の淵村、立神の山の中腹から長崎港越しに居留地を遠望したもので、中央に下り松から浪ノ平と南山手、左手には梅香崎、右手には小菅までが写っている。手前側には左手に岩瀬道の漁村集落、右手側に初期の三菱造船所がみえる。やや不鮮明ながら大浦天主堂は改築後の姿で、東山手の丘にはラッセル館がなさそうなことから、撮影は明治10年代前半期であろう。

すぐ思い浮かぶのは、稲佐山展望台から眼下に見える光景である。長崎製鉄所(明治17年払い下げ、三菱会社長崎造船所飽の浦機械工場となる)と身投崎が手前の右手側に写っているので、立神の山からとはならない。
手前側の左手は「水の浦」、中央は「恵比須神社」、右手は「飽の浦」である。
対岸の右手の山は鍋冠山と星取山。奥にかすむ三角のピークが戸町岳。山の稜線の重なりを見ると、撮影場所は稲佐山の山頂からではない。

飽の浦から登山道が現在もある稲佐山の中腹。現在の長崎市大谷町、社会福祉法人長崎厚生福祉団の介護老人保健施設「シンフォニー稲佐の森Ⅱ」が建ったケアハウス背後あたりが考えられる。ここなら山の重なりが合う。
「シンフォニー稲佐の森Ⅱ」が建ったため、古写真と同じような光景を写せない。登山道も迂回してしまった。現在の写真は、景色が確認できる適当な場所から撮影している。

(追 記 平成21年2月14日)
失礼してしまった。長崎市教育委員会編「長崎古写真集 居留地編」平成15年発行の第3版によると、137頁の「図版解説」では、撮影場所は「対岸の稲佐山の山頂下付近から遠望したもの」と所要の修正がなされていた。
撮影者は不詳。明治20年代中頃の撮影であろうとなっている。