長崎の幕末・明治期古写真考 古写真集: 37 金星観測眼視望遠鏡
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
上野彦馬歴史写真集成: 37 金星観測眼視望遠鏡
■ 確認結果
これは長崎大学HPの目録番号にはなく、馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年初版の52頁に掲載されている「37 金星観測眼視望遠鏡」の古写真。
同頁の「図版解説」は次のとおり。写真は日本大学芸術学部所蔵である。
37 金星観測眼視望遠鏡
明治7年(1874)12月9日の金星の太陽面通過に伴い、その金星観測絶好の地として日本の長崎、神戸、横浜などが選ばれた。彦馬は長崎のアメリカ観測隊に加わり、我が国初の天体写真を撮影したとされる。これはその際の望遠鏡を撮影したものと思われる。なお、彦馬撮影による肝心の金星の写真は一枚も発見されていない。
前の記事「星取山「金星太陽面通過観測の地」さるく博説明板を考える」を参照。
https://misakimichi.com/archives/141
「写真集成」による図版解説や、星取山現地「さるく説明板」の説明はそのとおりである。ただ、望遠鏡背景の山並みを、これまでほとんど確認されていないように感じたのは、不可解だった。
山頂はNTT無線中継所が大きく占め、フェンスに囲まれ中に入れない。木立が高く山頂からの眺めはまったく得られない。
視界が開ける山頂手前、「NNK中継所アンテナ」のある所の道路からや、もう少し下った大正寺管理「星取墓地公園」からの展望は、上の写真のとおりである。
「37 金星観測眼視望遠鏡」の背後の山並みは、戸町岳とはまったく反対側。北方の彦山から田手原・甑岩にかけての山に間違いない。手前の尾根は三景台や風頭町あたりである。
したがって、この古写真は星取山山頂に据えた望遠鏡を撮影していると断定できる。
「さるく説明板」左側下にあるもう1枚の古写真の「観測所」風景の背後の盛り上がった地面は、同じ所に見えるが、これは観測所から東方へ少し離れた「唐八景」山頂の稜線であろう。