「長崎学ハンドブックⅤ 長崎の史跡(街道)」による「御崎道」研究の問題点

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「長崎学ハンドブックⅤ 長崎の史跡(街道)」による「御崎道」研究の問題点

長崎歴史文化博物館編「長崎学ハンドブックⅤ 長崎の史跡(街道)」が平成19年11月発行されている。定価800円。
長崎街道・浦上街道・西山街道・島原街道・茂木街道・御崎道が取り上げられている。博物館の長崎歴史文化研究所と長崎学サポーターの方々による長崎学研究の本である。

「御崎道」とは「みさき道」。長崎市中から脇岬の観音寺まで七里(28km)。江戸時代から”みさきの観音”の参詣で賑わった歴史ある道。
苦労して調べられた研究に論をはさむのは心苦しく、なるべく差し控えていたが、長崎歴史文化博物館の本なので市販されている以上、読んだ方が誤った理解をされないとも限らない。
「御崎道」に関する研究の主な問題点をあげるので、今後の参考としていただきたい。

1 長崎歴史文化博物館が編集発行した「長崎学」のハンドブックである。当時の文献や資料にもとづいた信頼性のある、正確な調査と研究をお願いしたい。
2 江戸・明治・大正・昭和期と時代を混同されたルート図となっている。私たちが知りたいのは、江戸時代の参詣の道であろう。他の街道でも同じようなことが見られる。
3 明治以降できた県道・市道などを主な道としている。極端な例として竿浦町付近では、近年の「サイクリング道路」をそのまま街道と誤認されている。
4 地元を知る識者や古老の聴き取りを行うと、今でも街道の様子がおぼろげながらわかることがある。参考となる史料や図書が、地元に残っている場合がある。
5 文献や資料と照らし合わせ、現地を実際に歩いて踏査し、確認すべきではないか。現地踏査がおろそかになっている。大籠町ー晴海台団地間は地図が欠落。
6 当時の文献や資料の研究を、ほとんどなされていないように見受けられる。主な史料類を以下に掲げるので、参考としていただきたい。
7 「御崎道」研究の第1級史料である長崎医学伝習所生「関覚斎日記」の存在にまったくふれず、研究されていないのはいかがであろうか。
8 佐賀領各村地図・街道図・居留地地図などと国土地理院明治期旧版地図の調査研究と活用をお願いしたい。根拠のない推測の道では困る。
9 当時の長崎半島の地形をどれほど認識されているのだろうか。海岸部はほとんど後年の埋立て。道がなかった所は歩けない。赤道調査の必要がある。
10 川原・岬木場回りの「御崎道」の研究もお願いしたい。殿隠山・遠見山は通らず、直接、井上へ下って観音寺へ向かっているようである。
11 テレビ番組や新聞記事が安易な内容となってないだろうか。慎重な取材をしたうえで、正確な報道をお願いしたい。

「御崎道」に関する主な文献と資料

① 長崎医学伝習所生の関覚斎「長崎在学日記」      北海道陸別町関寛斎資料館所蔵
文久元年(1861)4月3日から4日にかけて仲間3人で脇岬観音寺へ詣でた日記
② 「肥前一国絵図」(正保4年)・肥前全図(元禄14年)  長崎歴史文化博物館所蔵
③ 佐賀藩南佐賀領各村地図 (安政・萬延・文久年間)        同   上
④ 庶務課史誌挂事務簿 「西彼杵郡村誌」 明治18年5月     同   上
⑤ 真鳥喜三郎著 「ふるさと地名の研究」          長崎市土井首地区公民館蔵書
⑥ 国土地理院旧版地図 (明治34年測図)
⑦ 長崎市市道(赤道)認定図
⑧ このほか、平凡社「長崎県の地名 日本歴史地名大系43」2001年など、多数がある。