長崎の古写真考 目録番号: 763 大黒町および出島と長崎港口 (続き)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 763 大黒町および出島と長崎港口 (続き)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。

目録番号: 763 大黒町および出島と長崎港口(再掲)
目録番号:5565 立山からの長崎港遠望

■ 確認結果
目録番号: 763「大黒町および出島と長崎港口」は、1886年に英国の写真家フェリックス・ベアトが撮影した長崎港の古写真。
2009年(平成21年)1月1日付朝日新聞長崎地域版に、開港150年の年頭特集記事として飾られた。この項は、前項 https://misakimichi.com/archives/1575 の続き。

最初の写真が、私が探した撮影場所。ホテルの長崎の左横に赤い建物の老人ホーム「プレジールの丘」が建つ。このすぐ下となる「西勝寺の無縁諸霊墓」の一段上、「中山家之墓」あたりでないだろうかと考えた。
次の新聞記事と写真が、朝日新聞記者が探した撮影場所。福済寺長崎観音の背後、ホテル長崎の展望浴場のすぐ下の墓地あたりからと思われる。

ところでベアトが撮影したこの古写真と、撮影場所が似ていると思われる写真がある。もちろんここからは、多少の場所の違いや高度差を抜きにして話を進める。
次の古写真の目録番号:5565「立山からの長崎港遠望」。撮影者未詳、アルバム名:明治期手彩色小型写真帖でなっている。上野彦馬もまた、まったく同じような古写真を残している。

長崎市写真団体合同展実行委員会が平成15年6月発行した「上野彦馬没後100年・第30回記念 写真集 長崎 第7集」の表紙となっている古写真。
同実行委員会も、古写真の撮影場所を探しているのがわかった。対比写真は記者からまだ左寄りの上、ホテル長崎の展望浴場の横からを写している。
「福済寺」の大雄宝殿の跡に建てられた長崎観音の像は、古写真の外のまだ右となるので、これも合わない。要は、神崎鼻の先に香焼島が古写真どおり写らないのではないか。

上野彦馬は周りを囲む山々から、長崎港を俯瞰した写真を多く撮影している。
馬場章氏編「上野彦馬歴史写真集成」渡辺出版2006年7月初版の60頁には、47、48で「福済寺裏山からの長崎港」がある。同70頁にも「79、墓地越しの長崎港眺望」を載せられていた。実行委員会写真集の表紙となった古写真は、47の作品と若干違うが、上野彦馬の作品に違いないだろう。

88頁には、年代不詳で未整理されている「87、福済寺裏山からの長崎港眺望」の作品がある。左右下に赤×があり、台紙裏に年月などの書き込みが何もないらしい。
朝日新聞の記事となった1886年ベアトが撮影した目録番号: 763「大黒町および出島と長崎港口」の古写真と、まったく同じような構図である。
たしかに詳しく見ると、港内の船や市街の家は少し違う。だが、撮影年代はそう変らないようで興味深い。上野彦馬の写真の撮影年代を推定できるのではないか。
古写真を所蔵する資料館や専門に研究される方において、はっきりした検証をお願いしたい。