長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 763 大黒町および出島と長崎港口 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号: 763 大黒町および出島と長崎港口
〔画像解説〕
ベアトによる1866年2月の書き込み。立山(現長崎駅前)から長崎市内と港口を遠望する。海岸沿いに各藩の蔵屋敷がみられ、旧市内の建物、西役所、出島、大浦居留地、大浦教会がみええる。海上には船舶が多数。
目録番号:2882 長崎立山町からの長崎港(1)
(関連作品)
目録番号:2249 長崎港のパノラマ(2)
目録番号:2899 立山からの長崎港と町並み(1)
目録番号:3814 立山からの長崎港と町並み(2)
目録番号:3851 長崎市街中心部と長崎港(1)
目録番号:5106 長崎市街中心部と長崎港(2)
目録番号:5107 長崎市街中心部と長崎港(3)
目録番号:5108 長崎福済寺上からの長崎港(1)
目録番号:5565 立山からの長崎遠望
■ 確認結果
上記10点の作品は、だいたいアングルが似ている。撮影場所はわずかの違いがあろうが、展望のよい立山の山頂あたりか、墓地から市街地と長崎港口を撮影したものである。
問題は、目録番号: 763「大黒町および出島と長崎港口」の作品。2009年(平成21年)1月1日付朝日新聞長崎地域版に、開港150年の年頭特集記事として飾られた。
1886年に英国の写真家フェリックス・ベアトが撮影した長崎港の古写真。同じ場所から港を見るため、記者が苦労して撮影場所を探した。「山の形や重なりを確認。福済寺裏手が、めざす辺りだった」とし、その場所から写した現在の長崎港を下に載せている。
これは、誤認であろう。新聞の写真を比べてわかるとおり、深堀城山・大久保山・鍋冠山・八郎岳の山の重なりは合わないし、市街地や港を望んだ高度感を感じない。女神大橋が邪魔するが、港口右に香焼島が見えてない。
記者の場所は、福済寺長崎観音の背後の山手。ホテル長崎の展望浴場のすぐ下の墓地からと思われる。直線で結ばれる地点。同場所へ行って、最後の写真のとおり、同じく写してきた。
古写真の場所は、まだ右上の高いところで、約100mほど離れている。ホテルの左横に赤い建物の老人ホーム「プレジールの丘」が建つ。このすぐ下となる「西勝寺の無縁諸霊墓」の一段上、「中山家之墓」あたりからが景色が合う。立山バス停から下った方が近い。
ほぼ「立山山頂」と言って良い。現在の老人ホームの場所から撮影された可能性がある。
目録番号: 763「大黒町および出島と長崎港口」の画像解説は、「立山(現長崎駅前の上手の山)から」と、撮影場所を具体的に説明すべきだろう。
次の目録番号:2882「長崎立山町からの長崎港(1)」も、同じ場所から撮影したと考えられる。竹薮と木立が今もあり、中央下に石塔の頭か、わずかに白く写っているので、参考となろう。