月別アーカイブ: 2014年8月

八千代座  山鹿市山鹿

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八千代座  山鹿市山鹿

熊本県観光サイト なごみ紀行による説明は、次のとおり。

八千代座・夢小蔵

八千代座は、明治43年建築され、回り舞台や枡席、花道など江戸時代の歌舞伎小屋の長い歴史を伝える芝居小屋として有名です。その八千代座も、老朽化のため保存工事をしていましたが、5年にわたる平成の大修理を終え、平成13年6月1日にオープンしました。八千代座の斜め向かいにある夢小蔵は明治20年に建築された蔵を八千代座の資料館に再利用したもので、八千代座で使われていた衣装や小道具が展示されています。建設は八千代座よりも古く、小道具の展示品は150点に及び、それ以外にも八千代座の構造模型、巡業記念札、チラシ、映写機、建築の積帳、決算書、上演記録等もあります。

山鹿温泉元湯 さくら湯  山鹿市山鹿

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山鹿温泉元湯 さくら湯  山鹿市山鹿

熊本県観光サイト なごみ紀行による施設説明は、次のとおり。私は古写真確認のため訪れた。
本ブログ次も参照。  https://misakimichi.com/archives/3979

山鹿温泉元湯 さくら湯

「さくら湯」は、今から約370年前に肥後細川藩初代藩主(細川忠利公)が山鹿の温泉を気に入り、「御茶屋」を新築したのがその歴史の始まりで、約250年前に書かれた「山鹿町絵図」には「御前湯」として記録されており、大改修が行われた明治3年から昭和48年に取り壊されるまでの約100年間にわたって山鹿市民の大切なコミュニケーションの場として愛され親しまれていた市民温泉で、「八千代座」と共に湯の町山鹿のシンボルでもありました。
その後、大規模都市再開発事業により昭和50年に、鉄筋コンクリート造のさくら湯(温泉ビル)が完成しましたが、当初の予想以上に老朽化が進んだことを契機に、往時のさくら湯を再生しようという計画が持ち上がり、平成16年に庁内でさくら湯再生プロジェクトチームを設置し、「さくら湯再生にかかる報告書」をまとめました。
その後、平成21年には、この報告書を基本にさくら湯再生を具体化するために、市民委員を中心とした「さくら湯再生基本構想策定協議会」を立ち上げ、「さくら湯再生基本構想」をつくりあげました。そして、平成22年度に、その「さくら湯再生基本構想」により、「さくら湯」の基本・実施設計を行い、平成23年7月より「さくら湯建設工事」に着手しまして、平成24年11月23日(祝)開湯(オープン)しました。

参勤交代の道「豊前街道」  和水町付近

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参勤交代の道「豊前街道」  和水町付近

豊前街道 とは – コトバンクによる解説は、次のとおり。写真は和水町付近の光行寺、下岩官軍墓地、ハゼ並木、玉名・山鹿郡境碑。腹切坂は訪ねていない。

ぶぜんかいどう【豊前街道】  (出典 講談社)

熊本県玉名郡南関(なんかん)町、和水(なごみ)町にある街道遺跡。指定名称は「豊前街道 南関御茶屋跡(なんかんおちゃやあと) 腹切坂(はらきりざか)」。南関御茶屋跡は、県北部、福岡県に接する南関町の中心部、関町の熊本城から小倉(福岡県)まで続いていた豊前街道沿いに建てられた宿泊施設跡。近世の街道沿いの御茶屋跡が現存し、往時の建物構造を残していることから、2003年(平成15)に国の史跡に指定された。南関町は古代には官道が通り、国境警備のための関が設けられていた。近世においても、豊前街道として利用され、参勤交代の際の肥後国内における最終の休憩、宿泊地点であることから宿泊施設として御茶屋が設置された。現在の御茶屋跡の建物は1850年(嘉永3)に起工して、1852年(嘉永5)に竣工したもので、建物は南北に長い造りで、北から御居間、御次の間、三の間と配されている。1892年(明治25)に個人の所有となり、建物は民家や料亭として利用されてきたが、2004年(平成16)末、保存修理工事が行われ、往時の姿を取り戻すこととなった。和水町岩の腹切坂は豊前街道にある坂で、永野原台地から寺本の集落に入るまでの約400mの急坂。切腹にまつわる複数の言い伝えが残っている。2005年(平成17)に追加指定を受け、茶屋跡とあわせて名称変更された。
南関御茶屋跡へは、JR鹿児島本線玉名駅から産交バス「南関ターミナル」下車、徒歩約10分。腹切坂へは、同駅から産交バス「肥後岩下」下車、徒歩約40分。

熊本県のアーチ式石橋  竈門(かまど)橋  和水町久米野

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熊本県のアーチ式石橋  竈門(かまど)橋  和水町久米野

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」熊本県の石橋によるデータは、次のとおり。

№1,352  竈門(かまど)橋

和水町久米野  久米野川
橋長:12.5m  橋幅:4.2m  径間:8.7m  拱矢:4.2m
架設:1921年
坂田川から県道16号線を3.7Km西進、県道315号線へ右折、150m先現橋の上流に架かっています。

2014月7月28日から、熊本県へ50ccバイクの旅。以下、主な史跡・巨樹・滝・石橋など、訪れたところを紹介する。台風接近のため八代市でいったん中断し、7月31日に帰崎した。
鹿児島県へは、天候が安定してから再び出かけるつもり。

深堀陣屋跡の現況 (9)  長崎市深堀町5丁目

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深堀陣屋跡の現況 (9)  長崎市深堀町5丁目

深堀氏の居城だった深堀陣屋跡の現況は、本ブログ前の記事を参照。
現況(1)は、https://misakimichi.com/archives/3862
現況(2)は、https://misakimichi.com/archives/3869
現況(3)は、https://misakimichi.com/archives/3877
現況(4)は、https://misakimichi.com/archives/3884
現況(5)は、https://misakimichi.com/archives/3922
現況(6)は、https://misakimichi.com/archives/3943
現況(7)は、https://misakimichi.com/archives/3957
現況(8)は、https://misakimichi.com/archives/3966

深堀陣屋跡に建設されるカトリック深堀教会は、昨年11月24日定礎式があった。現在、教会建設工事が本年7月末完成を目指し、急ピッチで進められている。長崎市文化財課の発掘調査は11月末で終了したが、その結果がいまだ公表されない。
南西側箇所で主に発掘された深堀陣屋御屋敷の礎石の石組みは無残に壊された。ここに建てている建物は、どこにでも建てることができる信徒のための納骨堂なのである。

深堀陣屋跡は、文化財保護法に基づく「埋蔵文化財包蔵地」として周知されている。史跡保存については、長崎市と教会側で十分に配慮するとの協議があっているのに、不可解な進展具合である。長崎市政への要望や提案を早くから提出しているのに回答をしない。市民や地元住民に対する説明がない。
長崎市長が前面に出て強力な指導をするべきでなかったか。私たちが知りたいのは、発掘調査の結果、どこにどのような遺構と出土品があり、どのような歴史的価値があるかである。それにはまったく答えない。長崎県にも尽力するよう意見したが、回答は思わしくない。

破壊された遺構は、今更どうしようもない。法の不備と行政の限界、怠慢もあったが、納骨堂前の駐車場とする部分に、礎石石組みはまだ半分位は残っていると思われる。その部分は舗装しなく、柵囲いと配水設備を設置し、礎石を屋外展示してもらう方法がある。
関係者が今から協議し、これくらいは配慮して良いのではないだろうか。それがカトリック教会の品格と言うものだろう。報道機関も問題意識を持って、大いに動いてもらいたい。

以上がこれまでのだいたいの経緯だが、私が情報公開条例による開示請求を言い、大分県杵築市の例や九州大学木島教授の史跡保存に対する見解(掲載略)などを示すと、長崎市側は大いに反省をし、文化観光部長らと少し話し合いがあった。次が今のところ、長崎市文化財課の対処方法の回答である。

深堀陣屋推定位置図(注:入江氏作成の鍋島藩作成絵図と教会設計図を重ね合わせた図。赤が階段、黒が塀、青が当時の建物のよう。図の大きさが合わず、石垣からはみ出しているが、参考のため最後に掲げる)につきまして、早速ご送付いただきありがとうございました。今後の調査や遺構の保護等に参考にさせていただきたいと思います。
ご要望のありました石垣石材の屋外展示場所につきましては、カトリック深堀教会様にもお伝えし、できるだけ見学しやすい場所への検討をお願いしたいと思います。また、説明板の内容につきましても、発掘時の写真を使用するなど、遺構の様子が理解しやすいような工夫ができるよう協議してまいりたいと思います。
こちらから送らせていただいた回答文の内容につきましては、まちづくり推進室の担当にも送付いたしました。今後とも、本市の文化財行政について、ご協力の程よろしくお願いいたします。

さて、いよいよ建設工事は最終段階となり、きのう現地へ確認に行った。教会や工事関係者が数人いて、思うような写真が撮影できなかったが、現況は写真のとおり。
納骨堂前にアスファルト舗装してない柵囲いがあり、遺構の石材はここに展示するつもりだろうか。 教会広報紙によると、工事完成引き渡しは8月中旬、献堂式・祝賀会は9月20日とあった。