月別アーカイブ: 2009年8月

長崎の古写真考 目録番号:6111 市街地パノラマ(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6111 市街地パノラマ(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:6111 市街地パノラマ(1)
目録番号:6112 市街地パノラマ(2)
目録番号:6113 市街地パノラマ(3)

(参考写真)
目録番号:3230 長崎市街地
〔画像解説〕
鶏卵紙の1枚もので、裏面に筆書きで「長崎七十七」、鉛筆で36の書き入れがある。もともと数枚続きの1枚。外の書き込みが共通な外の写真から判断して、明治5年(1872)6月14日から17日まで、内田九一が天皇の九州巡幸に写真師として随行し長崎に滞在したときの撮影と判断できる。写真の右下は、天皇の行在所となった町年寄の高木清右衛門邸(現万才町の裁判所,旧島原町)角である。正面の丘陵地は大徳寺で「奉祝」と書かれた横断幕が見える。これは天皇の来崎を歓迎したものである。右側隅には変流工事前の出島と中島川を挟んだ対岸(現十八銀行本店)の様子がうかがえ、その背後の東山手の丘にはいくつかの洋館の屋根が見える。賑町、築町・浜町から銅座、館内あたりが展望されているが、瓦屋根に漆喰、白壁の土蔵を持つ家が密集し町の豊かさを示している。手前の家の軒先に吊された注連縄も天皇を歓迎するものだったと思われる。

■ 確認結果

目録番号:6111「市街地パノラマ(1)」から同(3)までは、3枚組写真である。わかりにくいので横に並べた。本年6月に追加された写真。画像解説はなく、撮影場所は不明だろうか。
目録番号:6113「市街地パノラマ(3)」と、参考写真の内田九一撮影目録番号:3230「長崎市街地」を比べてもらいたい。右下の白塀は同じで、大徳寺方向を撮影している。まったく同じ古写真である。

参考写真の画像解説では、「もともと数枚続きの1枚」「写真の右下は、天皇の行在所となった町年寄の高木清右衛門邸(現万才町の裁判所,旧島原町)角である。正面の丘陵地は大徳寺」と説明している。
目録番号:6111「市街地パノラマ(1)」から同(3)までの3枚組写真こそ、この「数枚続きの写真」ではないだろうか。
現在の同じ風景は、万才町の長崎地方法務局の屋上から写した。高木邸の隣りで小曽根邸跡である。間が有名な深堀義士あだ討ちの天満坂。パノラマはクリック拡大。

長崎外の古写真考 目録番号:6110 稲荷川の河口(1)

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:6110 稲荷川の河口(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。目録番号は順不同。

目録番号:6110 稲荷川の河口(1)  (参考写真)目録番号:6099 稲荷川の河口(2)

■ 確認結果

目録番号が6000番台になると、本年6月新しく追加された作品。長崎関係はこれまで580点ほどあったが、今回、300点ほど追加されている。
この写真(1)も、これまでHPのデータベースになく、初めて見た。撮影地域を「長崎」で検索すると出てくる。
長崎で「稲荷川」とは聞いたことがない。何のことはない。次の参考写真(2)のとおり、「稲荷川」は鹿児島市にあり、撮影地域の単純な入力誤りである。鹿児島の方も困るだろう。

長崎の古写真考 目録番号:5890 海上から見た松ヶ枝 ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5890 海上から見た松ヶ枝 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:5890 海上から見た松ヶ枝
目録番号:6139 海上から見た松ヶ枝(2)
目録番号:6272 海から見た大浦居留地  (再 掲)

(参考写真)
目録番号:5865 出島の商館長邸横の日本庭園から大浦居留地を望む

■ 確認結果

タイトルで撮影場所が、「海上から」か「海から」見たとなっている古写真の疑問を調べている。前の項により、大浦海岸通りの突端から撮影されたと思われる出島の光景を載せた。今度は逆の場合で、出島から撮影されたと思われる松ヶ枝や大浦居留地の光景である。
作品を3点掲げたが、いずれも海上、すなわち船の上からではなく、陸上である出島の西端から撮影できたのではないだろうか。当時の地図に青線により撮影方向を示す。

その参考写真が目録番号:5865「出島の商館長邸横の日本庭園から大浦居留地を望む」である。松ヶ枝や大浦居留地は、このような同じ光景で撮影できたと思われる。松ヶ枝橋も正面に見えそうである。
目録番号:6272「海から見た大浦居留地」と参考写真の目録番号:5865「出島の商館長邸横の日本庭園から大浦居留地を望む」は、記事を再掲しているので次を参照。
https://misakimichi.com/archives/1870

なお、最初の目録番号:5890「海上から見た松ヶ枝」には、「海上から見た大浦海岸の洋館群。松ヶ枝橋の左横はドイツ領事館。背後の東山手には12番館、上方には明治31年(1898)9月に建てられた海星学校の2階建て新校舎が見える。大正初期の風景」と説明されている。
たしかに写真左下に「450」の数字の船のブイらしいものが写っている。しかし、かなり海の波がある。大正初期になると、こんな日でも船上から撮影できたのだろうか。
ブイは、出島西端岸壁のブイである可能性も否定できない。

現在の写真は、江戸時代の出島南西端となる「出島」電停付近、及び山の稜線を長崎県美術館屋上庭園から確認した。
明治以降の出島は、1883年(明治16年)から8年間にわたって行われた中島川河口の工事によって北側部分が削られ、1897年(明治30年)から7年にわたって行われた港湾改良工事によってその周辺を埋め立てられ、島ではなくなった(ウィキペディア)。

長崎の古写真考 目録番号:6075 海上からの出島パノラマ組写真(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6075 海上からの出島パノラマ組写真(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:6075 海上からの出島パノラマ組写真(1)
目録番号:6076 海上からの出島パノラマ組写真(2)
目録番号:6077 海上からの出島パノラマ組写真(3)

目録番号:6196 海からの出島鳥瞰

(参考写真)
目録番号:3859 梅香崎洋館群と出島(1)
目録番号:5711 梅香崎橋から新大橋を見る

■ 確認結果

最初の古写真は、上野彦馬撮影「海上からの出島パノラマ組写真」の3枚組。出島の左側と中央、そして右側の新大橋が撮影されている。出島新橋は確認できない。3枚の古写真はわかりにくいので、横に並べてみた。
次の古写真は、ボードインコレクション「海からの出島鳥瞰」。同じような出島の光景を撮影している。

疑問とするのは、写真が発明され、露出時間が短くなった湿板写真の時代を迎えていたといえ、当時のカメラと技術ではたして海上、すなわち船の上から、写真をブレることなく撮影できただろうか。
この関係はすでに次で見ている。海上からではなく、どの写真もちゃんと陸上から撮影できる場所がある。
https://misakimichi.com/archives/1870
https://misakimichi.com/archives/1844

上野彦馬撮影「海上からの出島パノラマ組写真」の3枚組と、ボードインコレクション「海からの出島鳥瞰」についていえば、撮影場所は当時の地図どおり、梅香崎橋を渡って青線で矢印をした大浦海岸通りの突端のある地点から撮影できる。出島のちょうど対岸となり、出島が正面を向く。背景には金比羅山、三ツ山、健山、烽火山の山並みが写っている。

梅香崎付近から撮影している参考古写真を2点掲げた。背景の山並みを比べてもらいたい。大浦海岸通りの突端であれば、同じような位置で背景を写せるものと思われる。
現在の写真は、山の見通しが良い松が枝国際観光ふ頭入口の陸橋上から写した。出島はこの写真では中央、長崎県美術館やAIG長崎ビルの後方あたりの位置となる。

長崎の古写真考 目録番号:6047 ねずみ島から見た長崎湾口

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6047 ねずみ島から見た長崎湾口

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。

目録番号:6047 ねずみ島から見た長崎湾口

■ 確認結果

この古写真はこれまでHPのデータベースで見たことがなく、本年6月新しく追加された作品と思われる。タイトルは「ねずみ島から見た長崎湾口」。「長崎湾口」とは、長崎港の入口、女神方面を普通は言うと思われる。
鼠島(皇后島)の浜から撮影されたものに間違いないが、写真に写っているのは、まったく反対側の福田本町方面である。手前右手は小瀬戸で、左手が神の島。海峡の埋め立て前の姿で、海峡奥に福田本町の山が写っている。

神の島との海峡埋め立てがいつ完成したか明確でないが、昭和年代である。私も満潮時、海峡を小船で通った記憶がかすかにあり、完全に陸続きになったのは、昭和42〜43年頃ではないだろうか。この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1694

現在の写真は、鼠島の岸壁から写した。海峡埋立地の背後に写る山は、福田本町方面の尾根である。福田崎の断崖が急激に海へ落ちている。
長崎港口の女神方面とは、最後の写真とおりならない。

羽根? 風力発電の風車羽根  長崎市小瀬戸町

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羽根? 風力発電の風車羽根  長崎市小瀬戸町

小瀬戸と埋め立てによって陸続きとなっている鼠島(皇后島)。埠頭に不思議なものが置かれていた。長さ30m近くある。遠くから眺めた時、ペーロン船の形のように見えた。近づくと風力発電の風車羽根。21本あった。

三菱重工業(株)長崎造船所香焼工場で製作されたものが、船か車で運ぶため、ここに仮置きされていた。国内用か輸出用らしい。風力発電設備は、三菱長崎が造船とともに主力シェアだ。
嬉しいことに、成型の型枠も神の島側の岸壁に置かれていた。見事な流線である。
置き場所を2ショットで写せた。日曜で埠頭は若いカップルの釣りも多かった。沖は高鉾島。

金色の鯱? ホテル清風の玄関前  長崎市大鳥町

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金色の鯱? ホテル清風の玄関前  長崎市大鳥町

金色に輝く大きな鯱。稲佐山中腹のホテル清風玄関前。同ホテルHPによる説明は次のとおり。

鯱太鼓[しゃちだいこ]
(流金[るきん]出世鯉[しゅっせごい])
長崎くんちは寛永11年(1634)鎖国実施の年に始まりました。以後年毎にこの祭礼は盛んになり、今日まで受け継がれています。この「鯱太鼓」は1984年に銀屋町の新しい出しものとして小崎侃[こざきかん]氏によって製作されたものの原型です。金色の出世鯉が水面より踊り上がらんとして頭は龍に変じた姿で、別名「流金出世鯉」と名づけられた縁起物であることから当ホテルのシンボルモニュメントとして玄関前に展示しています。

鯱(しゃち)とは、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物。城などの大棟の両端に取り付け、鬼瓦同様守り神とされた。建物が火事の際には水を噴き出して火を消すという。
長崎くんち「銀屋町鯱太鼓」HPによる説明は次のとおり。

鯱太鼓は、古い時代の中国に伝わる「蓬莱鯱(ほうらいこ)伝説」を、据太鼓と山車により表現したものです。昭和60年の長崎くんちに初めて奉納しました。
「蓬莱鯱伝説」とは、古代中国において、東の方向大海中には神仙の住む国があり、そこは不老長寿の世界なり」という伝承があります。そして「その大海中に棲む神仙の鯱が、海原を裂き天空をめざして昇る時「蓬莱の鯱」となり、さらに蒼天に至ると「黄金の龍」となって人々に吉祥を招く」という言い伝えです。

烏岩神社と天狗岩  長崎市大鳥町・水の浦町

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烏岩神社と天狗岩  長崎市大鳥町・水の浦町

丸尾公園から烏岩神社一の鳥居の「お栄さんの道」へ入り、石段を登って行く。長崎港の見晴らしの良い所に「烏岩神社」はある。神体の烏岩には神社外囲いのフェンス道をさらに登る。
1枚目のお栄のホテル古写真は、丸尾公園内「旧渕村の歴史を顕彰する会」の説明板にある。
次の記事と写真も参照。 https://misakimichi.com/archives/1919

長崎Webマガジン「歌で巡るながさき」宮川密義氏文は次のとおり。
(5) 烏岩神社
「お栄さんの道」の碑の前から烏岩神社の鳥居をくぐり、細い階段を約10分上り続け、赤い鳥居が見える所、人家が途切れる最後の平屋建てが“お栄さんの居宅跡”。その右上の公園には滑り台と鉄棒があり、眼下に長崎港が広がります。
さだまさし原作「解夏」のドラマ版「愛し君へ」の第1話で“俊介が最後に見た長崎の景色”として取り入れられ、ロケも行われました。

「天狗岩」は、ホテル清風前のバス通りへ出て、先の「水の浦トンネル」上を見上げると、トンネル右上にある。岩とはわからないが、かつて対岸地区において有名な岩。展望が素晴しいのに、忘れ去られた。トンネル入口右に坂段の山道登り口がある。
稲佐山へ直登する尾根道も残っているが、荒れはじめていた。

大浜登山口から稲佐山と天狗岩へ (2)  平成21年8月

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大浜登山口から稲佐山と天狗岩へ (2)  平成21年8月

平成21年8月2日(日)晴れ。大浜登山口から稲佐山(標高340.3m)へ。下りは東尾根を天狗岩と烏岩神社の方へ道を探す。参加4人。うっかりして市民大清掃日と重なった。
マリナシティ長崎前バス停9時半発ー大浜登山口ー稲佐山公園ー稲佐山(昼食)ー東尾根ー天狗岩ー烏岩神社ー旭町桟橋前バス停15時着(約8km)

大清掃を前日などにを済ませ、都合がついた4人だけの参加となった。稲佐山は手軽な山だが、大浜登山口や天狗岩のルートはほとんど知られていない。大浜の住宅奥から沢沿いに登る。せせらぎを聞きながら緩やかな登山道。堤は戦後の三菱大浜社宅用。林間は夏向きである。
稲佐山公園の駐車場隅に出る。下山路案内がこれまでなかったが、新しく設置されていた。シカ園・サル園・稲佐山神社祠を見て、稲佐山展望台の地階回廊で昼食

東尾根天狗岩ルートは、昔の記憶により下る。だいぶん荒れているが、尾根を下れば道を間違うことはなく、快適なコースで今後もっと利用してよい。水の浦トンネル上が天狗岩。展望が良いので、薮をかき分け頂へ登った。下るとホテル清風の横に出る。
丸尾中学校と朝日小学校の間の車道を通り、烏岩神社を訪ねる。烏岩も長崎港の展望が良く、イタリア観光船が出港中だった。稲佐お栄が稲佐崎のホテルヴェスナーのあと、神社近くにもホテルを開業したが、案内坂がなくホテル跡がどこにあるのか、場所がよくわからなかった。
天狗岩と烏岩の展望は、風景で別項とする。

なお、長崎Webマガジン「歌で巡るながさき」宮川密義氏文に次があった。
(5) 烏岩神社
「お栄さんの道」の碑の前から烏岩神社の鳥居をくぐり、細い階段を約10分上り続け、赤い鳥居が見える所、人家が途切れる最後の平屋建てが“お栄さんの居宅跡”。その右上の公園には滑り台と鉄棒があり、眼下に長崎港が広がります。
さだまさし原作「解夏」のドラマ版「愛し君へ」の第1話で“俊介が最後に見た長崎の景色”として取り入れられ、ロケも行われました。

大浜登山口から稲佐山と天狗岩へ  (1)  平成21年8月

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大浜登山口から稲佐山と天狗岩へ (1)  平成21年8月

平成21年8月2日(日)晴れ。大浜登山口から稲佐山(標高340.3m)へ。下りは東尾根を天狗岩と烏岩神社の方へ道を探す。参加4人。うっかりして市民大清掃日と重なった。
マリナシティ長崎前バス停9時半発ー大浜登山口ー稲佐山公園ー稲佐山(昼食)ー東尾根ー天狗岩ー烏岩神社ー旭町桟橋前バス停15時着(約8km)

大清掃を前日などにを済ませ、都合がついた4人だけの参加となった。稲佐山は手軽な山だが、大浜登山口や天狗岩のルートはほとんど知られていない。大浜の住宅奥から沢沿いに登る。せせらぎを聞きながら緩やかな登山道。堤は戦後の三菱大浜社宅用。林間は夏向きである。
稲佐山公園の駐車場隅に出る。下山路案内がこれまでなかったが、新しく設置されていた。シカ園・サル園・稲佐山神社祠を見て、稲佐山展望台の地階回廊で昼食

東尾根天狗岩ルートは、昔の記憶により下る。だいぶん荒れているが、尾根を下れば道を間違うことはなく、快適なコースで今後もっと利用してよい。水の浦トンネル上が天狗岩。展望が良いので、薮をかき分け頂へ登った。下るとホテル清風の横に出る。
丸尾中学校と朝日小学校の間の車道を通り、烏岩神社を訪ねる。烏岩も長崎港の展望が良く、イタリア観光船が出港中だった。稲佐お栄が稲佐崎のホテルヴェスナーのあと、神社近くにもホテルを開業したが、案内板がなくホテル跡がどこなのか、場所がよくわからなかった。
天狗岩と烏岩の展望は、風景で別項とする。