長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5890 海上から見た松ヶ枝 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:5890 海上から見た松ヶ枝
目録番号:6139 海上から見た松ヶ枝(2)
目録番号:6272 海から見た大浦居留地 (再 掲)
(参考写真)
目録番号:5865 出島の商館長邸横の日本庭園から大浦居留地を望む
■ 確認結果
タイトルで撮影場所が、「海上から」か「海から」見たとなっている古写真の疑問を調べている。前の項により、大浦海岸通りの突端から撮影されたと思われる出島の光景を載せた。今度は逆の場合で、出島から撮影されたと思われる松ヶ枝や大浦居留地の光景である。
作品を3点掲げたが、いずれも海上、すなわち船の上からではなく、陸上である出島の西端から撮影できたのではないだろうか。当時の地図に青線により撮影方向を示す。
その参考写真が目録番号:5865「出島の商館長邸横の日本庭園から大浦居留地を望む」である。松ヶ枝や大浦居留地は、このような同じ光景で撮影できたと思われる。松ヶ枝橋も正面に見えそうである。
目録番号:6272「海から見た大浦居留地」と参考写真の目録番号:5865「出島の商館長邸横の日本庭園から大浦居留地を望む」は、記事を再掲しているので次を参照。
https://misakimichi.com/archives/1870
なお、最初の目録番号:5890「海上から見た松ヶ枝」には、「海上から見た大浦海岸の洋館群。松ヶ枝橋の左横はドイツ領事館。背後の東山手には12番館、上方には明治31年(1898)9月に建てられた海星学校の2階建て新校舎が見える。大正初期の風景」と説明されている。
たしかに写真左下に「450」の数字の船のブイらしいものが写っている。しかし、かなり海の波がある。大正初期になると、こんな日でも船上から撮影できたのだろうか。
ブイは、出島西端岸壁のブイである可能性も否定できない。
現在の写真は、江戸時代の出島南西端となる「出島」電停付近、及び山の稜線を長崎県美術館屋上庭園から確認した。
明治以降の出島は、1883年(明治16年)から8年間にわたって行われた中島川河口の工事によって北側部分が削られ、1897年(明治30年)から7年にわたって行われた港湾改良工事によってその周辺を埋め立てられ、島ではなくなった(ウィキペディア)。