長崎の古写真考 目録番号:6111 市街地パノラマ(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6111 市街地パノラマ(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:6111 市街地パノラマ(1)
目録番号:6112 市街地パノラマ(2)
目録番号:6113 市街地パノラマ(3)

(参考写真)
目録番号:3230 長崎市街地
〔画像解説〕
鶏卵紙の1枚もので、裏面に筆書きで「長崎七十七」、鉛筆で36の書き入れがある。もともと数枚続きの1枚。外の書き込みが共通な外の写真から判断して、明治5年(1872)6月14日から17日まで、内田九一が天皇の九州巡幸に写真師として随行し長崎に滞在したときの撮影と判断できる。写真の右下は、天皇の行在所となった町年寄の高木清右衛門邸(現万才町の裁判所,旧島原町)角である。正面の丘陵地は大徳寺で「奉祝」と書かれた横断幕が見える。これは天皇の来崎を歓迎したものである。右側隅には変流工事前の出島と中島川を挟んだ対岸(現十八銀行本店)の様子がうかがえ、その背後の東山手の丘にはいくつかの洋館の屋根が見える。賑町、築町・浜町から銅座、館内あたりが展望されているが、瓦屋根に漆喰、白壁の土蔵を持つ家が密集し町の豊かさを示している。手前の家の軒先に吊された注連縄も天皇を歓迎するものだったと思われる。

■ 確認結果

目録番号:6111「市街地パノラマ(1)」から同(3)までは、3枚組写真である。わかりにくいので横に並べた。本年6月に追加された写真。画像解説はなく、撮影場所は不明だろうか。
目録番号:6113「市街地パノラマ(3)」と、参考写真の内田九一撮影目録番号:3230「長崎市街地」を比べてもらいたい。右下の白塀は同じで、大徳寺方向を撮影している。まったく同じ古写真である。

参考写真の画像解説では、「もともと数枚続きの1枚」「写真の右下は、天皇の行在所となった町年寄の高木清右衛門邸(現万才町の裁判所,旧島原町)角である。正面の丘陵地は大徳寺」と説明している。
目録番号:6111「市街地パノラマ(1)」から同(3)までの3枚組写真こそ、この「数枚続きの写真」ではないだろうか。
現在の同じ風景は、万才町の長崎地方法務局の屋上から写した。高木邸の隣りで小曽根邸跡である。間が有名な深堀義士あだ討ちの天満坂。パノラマはクリック拡大。