長崎の西の空の夕日 09−15
長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。
写真 1〜 6 平成21年 7月29日の18時28分頃から
写真 7〜10 平成21年 7月31日の17時43分頃から
長崎の西の空の夕日 09−15
長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。
写真 1〜 6 平成21年 7月29日の18時28分頃から
写真 7〜10 平成21年 7月31日の17時43分頃から
長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6040 高鉾島 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:6040 高鉾島
目録番号:6046 高鉾島と貨物船
■ 確認結果
高鉾島を撮影した作品は、50点以上あった。この古写真はこれまでHPのデータベースで見たことがなく、本年6月新しく追加された作品と思われる。撮影場所の説明がない。
目録番号:6040「高鉾島」は、高鉾島が近く、これは現在、埋め立てられ陸続きとなっている鼠島(皇后島)から撮影されている。外国人の野外パーティーが行われた高台下の海岸であろう。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1873
「神功皇后御旧跡」の石碑があるし、神の島の聖母像岩場も見える。高鉾島の背後は、左が香焼島、右が伊王島となる。
次の目録番号:6046「高鉾島と貨物船」も、同じく鼠島の場所を少し変えて、高鉾島と貨物船を撮影されたと考えられる。海岸を埋め立てた岸壁から写したので、高鉾島と香焼島の重なりや形は、古写真と少し異なる。神崎鼻からは高鉾島の浜が対岸とならない。
長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:6032 松の森神社側より本河内を望む
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:6032 松の森神社側より本河内を望む
■ 確認結果
古写真には「松の森神社」は写っていなく、どのあたりかわからないが、同じ光景を探した。この辺りも住宅が建て込み、写真を写すことができなくなっている。
諏訪幼稚園の上部あたりで、やっと景色が広がる。右下の木立の中にクレーン車のアーム。その下が松の森神社の屋根で、神社は工事中であった。
古写真の撮影場所がここということではない。参考のため見てもらう。
長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1003 新地蔵と出島(1) ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。
目録番号:1003 新地蔵と出島(1)
〔画像解説〕
日本で発行された英字新聞”The Far East”紙の明治4年(1871)7月1日号に掲載された写真で、撮影時期もその直前とみてよい。十人町の丘上から出島と新地、旧市街を望んでいる。いずれも明治2年(1869)に架設された出島右端の出島新橋、中島川河口部の長さ27間にも及ぶ新大橋、新地と梅香崎を結ぶ梅香崎橋がみえる。すべて木製の桁橋である。これらによって出島から大浦にかけての海岸通りは連結されて、そこには要所に街灯が立ち、居留地のバンド景観を形成し始めたのであった。出島のみならず、築町の地先(新大橋の左手)や新地の海側にも、和様折衷的な初期洋館が建てられていたのがわかる。しかし旧市街地には、出島の上の樹叢の中に旧奉行所西役所時代の家屋が残るのをはじめとして、在来の日本家屋が立ち並ぶばかりで、まだ洋館は一切みられない。遠く立山の裾には本蓮寺や福済寺の甍が見え、左手には湾入した長崎港が望まれる。
目録番号:5711 梅香崎橋から新大橋を見る
■ 確認結果
いずれも明治2年(1869)に架設された出島右端の「出島新橋」、中島川河口部の「新大橋」、新地と梅香崎を結ぶ「梅香崎橋」を撮影している古写真。
目録番号:1003「新地蔵と出島(1)」は、撮影場所を「梅ケ崎の山手(中新町)からのアングル」と説明しながら、画像解説では「十人町の丘上から」望んでいるとしている。
撮影場所は、今の梅香崎郵便局角から坂段を上がる。梅香崎町寄りの十人町「天満宮」近くで写したと思われる。架橋年も「明治3年」でなく、画像解説のとおり「明治2年(1869)」である。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1539
次の目録番号:5711「梅香崎橋から新大橋を見る」。説明中の「出島橋」は上記のとおり「出島新橋」が正しい。参考のため、長崎市教育委員会「長崎古写真集 居留地編」平成15年刊第3版の129頁から、出島新橋の位置図と別の古写真を載せる。
写真−15は、長崎大学附属図書館所蔵だが、HP上で見つけきれない。