長崎の古写真考 目録番号:1003 新地蔵と出島(1) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:1003 新地蔵と出島(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。

目録番号:1003 新地蔵と出島(1)
〔画像解説〕
日本で発行された英字新聞”The Far East”紙の明治4年(1871)7月1日号に掲載された写真で、撮影時期もその直前とみてよい。十人町の丘上から出島と新地、旧市街を望んでいる。いずれも明治2年(1869)に架設された出島右端の出島新橋、中島川河口部の長さ27間にも及ぶ新大橋、新地と梅香崎を結ぶ梅香崎橋がみえる。すべて木製の桁橋である。これらによって出島から大浦にかけての海岸通りは連結されて、そこには要所に街灯が立ち、居留地のバンド景観を形成し始めたのであった。出島のみならず、築町の地先(新大橋の左手)や新地の海側にも、和様折衷的な初期洋館が建てられていたのがわかる。しかし旧市街地には、出島の上の樹叢の中に旧奉行所西役所時代の家屋が残るのをはじめとして、在来の日本家屋が立ち並ぶばかりで、まだ洋館は一切みられない。遠く立山の裾には本蓮寺や福済寺の甍が見え、左手には湾入した長崎港が望まれる。

目録番号:5711 梅香崎橋から新大橋を見る

■ 確認結果
いずれも明治2年(1869)に架設された出島右端の「出島新橋」、中島川河口部の「新大橋」、新地と梅香崎を結ぶ「梅香崎橋」を撮影している古写真。
目録番号:1003「新地蔵と出島(1)」は、撮影場所を「梅ケ崎の山手(中新町)からのアングル」と説明しながら、画像解説では「十人町の丘上から」望んでいるとしている。
撮影場所は、今の梅香崎郵便局角から坂段を上がる。梅香崎町寄りの十人町「天満宮」近くで写したと思われる。架橋年も「明治3年」でなく、画像解説のとおり「明治2年(1869)」である。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1539

次の目録番号:5711「梅香崎橋から新大橋を見る」。説明中の「出島橋」は上記のとおり「出島新橋」が正しい。参考のため、長崎市教育委員会「長崎古写真集 居留地編」平成15年刊第3版の129頁から、出島新橋の位置図と別の古写真を載せる。
写真−15は、長崎大学附属図書館所蔵だが、HP上で見つけきれない。