壱岐の岳ノ辻にある明治22年建「緯度測定標」 壱岐市郷ノ浦町
郷ノ浦町の岳ノ辻(標高212.86m)は、壱岐島内で一番高い山。烽場であった。古代から海外の侵攻に備える警備の要所。近世は平戸藩遠見番所が置かれた。
国道382号線沿いの2箇所(壱岐酒造前に「登山口」バス停がある)から、山頂まで車道が上がり駐車場がある。
一等三角点と緯度測定標(水路部 明治22年)がある山頂は、見上神社側の駐車場からすぐ。草地が広がり、四阿があり北の展望が開ける。
少し離れた南のピークには、テレビ塔と展望台が建つ。
壱岐へ行ってぜひ写真を撮りたかったのは、この岳ノ辻山頂の標石「緯度測定標」である。
刻面は「緯度測定標」「水路部」「明治廿二年三月」。
参 照 https://misakimichi.com/archives/960
直接写して、近代測量史研究の京都市上西先生へ画像を送りたかった。
ところで、「緯度測定標」とはどんなものか。HP「全国地図測量史跡」紹介によると次のとおり。
壱岐島・岳ノ辻も記されている。「現存しているというがまだ未調査」とある。
項 目 出雲崎妙福寺境内の経緯度天測標と浜田測候所の天測標ほか
史跡所在地
新潟県三島郡出雲崎町岩舟町1592 妙福寺
島根県浜田市大辻町235−3 旧浜田測候所
秋田市千秋北の丸2番 秋田和洋女子高校グラウンド敷地内
佐賀県唐津市鎮西町馬渡島
長崎県壱岐市郷ノ浦町永田触(壱岐島・岳ノ辻)
旧海軍の水路部は、海図作成のため、明治9年の静岡と青森を初めとして、全国各地の 100余の海岸地域で経緯度測定を実施したという。新潟県出雲崎には明治11年、すでに電信局が設置されていたことから、明治21年7月に行われた経度測定は、電信を利用した方法によって行われた。その結果は、東経9h14m3.9s、北緯37度32分30秒であった。
出雲崎町は「良寛の里」、北前船が寄港した風情を残す妻入りの町並みの町として知られている。この町の日本海を望む高台、妙福寺の境内には1辺20cmほどの直方体の経緯度測定の跡を示す標石が現存している。
標石上部には十字が、側面にはそれぞれ「経緯度測定標」、「水路部」、「明治廿一年八月」の文字が刻まれている。
標石は、貴重なものとして大切に保存されてきたが、その位置は設置時からは多少移動したようで、境内の崖縁に追いやられて、やや傾きかげんで大木の枝に抱かれるように海を見下している。
また、石段を降りた左手にある芭蕉公園には、「北陸街道人物往来史」の看板があり、「享和2年(1802)伊能忠敬海岸を測量に来る」の記入がある。伊能忠敬の測量隊は、享和2年9月29日寺泊から入り10月1日に柏崎へと進んだ。さらに翌年には富山、糸魚川方向から出雲崎に入り、佐渡の小木に渡ったことが「測量日記」に記されている。
さて、同様な直方体の天測標であるが、秋田市千秋(「緯度測量点」「水路部」「大正七年五月」とある)、佐賀県唐津市馬渡島(「緯度測定標」「水路部」「明治廿二年六月」とある)、 長崎県壱岐市郷ノ浦町永田触(壱岐島・岳ノ辻)(「緯度測定標」「水路部」「明治廿二年三月」とある)、北海道小樽市(「水路部」、「明治二六年一〇月」)にも現存しているというが未調査である。
また、島根県浜田市大辻町の旧浜田測候所構内にも、変わった天測標が保存されていた。…
いずれも、測地学・天文学史上貴重な史跡の一つであり、今後も大切に保存されることを願いたい(浜田測候所のそれは、その後撤去され不明である)。
(→経緯度基点銅板碑→日本経緯度原点)