雲仙キリシタン殉教道の標石 雲仙市小浜町雲仙
小浜から国道57号線により雲仙へ登ると、標石は雲仙の入口「札の原」にある。有家や諏訪の池からの県道と合流したすぐ先。旧道が右方に少しの区間残り、道脇の植え込みの中に、「雲仙キリシタン殉教道」の説明板とともに、この標石がある。
現地説明板による説明は次のとおり。
この先にあるカトリック雲仙教会は、ローマ法王・ヨハネパウロ11世初の長崎訪問を記念し、雲仙で殉教した信者に捧げるため、1981年建てられた。
雲仙キリシタン殉教道
江戸時代、時の幕府がキリシタン信者に対して改宗を迫り、あらゆる弾圧を加えたことがありました。1627年(寛永4年)から1632年(寛永8年)まで雲仙はキリシタンの責めの場所となり、地獄につけたり、熱湯を浴びせる等過酷な迫害が加えられ尊い生命を信仰に捧げた数多くの者がでました。しかしさすがの幕府も信者たちの厚い信仰心まで打ち消すことができませんでした。
この地点は小浜方面と有家方面から登ってきてちょうど合流する所で、長崎あるいは有家、口之津地方の信者たちがこの道を歩いて雲仙に向ったといわれます。なお、右下の石柱はその当時の道しるべで、下記のように刻まれています。
これよりうんぜん十八丁(18町 約1.8km)
左 みなんめみち(左 島原半島南部道)
右 をばまみち(右 小浜道)
昭和55年6月 雲仙小浜ライオンズクラブ