「水神神社跡」の標石?  長崎市八幡町

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「水神神社跡」の標石?  長崎市八幡町

「水神神社」は現在、長崎市本河内町の本河内低部水源池下の道路沿いにある。
承応元年(1652)渋江公師が開創。最初、出来大工町にあったが、後に炉粕町に、さらに元文4年(1739)八幡町の銭屋川の倉田水樋の水源付近に移転した。
大正9年(1920)本河内の水源池に近い現在地に移転した(長崎の史跡 南部編)。

ところで、八幡町当時の「水源神社」とは、どこにあったのだろう。紹介したものがない。古絵図を調べるなり、現在の神社に聞けばわかるだろうが、銭屋川の倉田水樋の水源付近とあるから、とにかく付近を訪ねてみた。
近くに「水神湯」(後の八幡湯)という銭湯も、昭和50年代まであったので、この場所も確かめたかった。

「倉田水樋水源跡」の史跡碑は、中島川沿いの伊勢の宮先、「阿弥陀橋」から少し上流の右岸にある。支流の流れ込み(これが水源か)がある角である。
「倉田水樋水源跡」は次を参照。  https://misakimichi.com/archives/1232
横が駐車場となり、駐車場の裏手へ回ると石祠があった。すぐ近くの住家入口前には、古い標石と立石がある。以前から見かけていたが、標石を今回は良く見て、写真にしてきた。
上部の刻字が不明、「……社 有地」と読める。

路地の奥を伝い八幡町本通りへ進むと、また家角と途中の路地に、標石らしい石をあと3個、見た。「八幡町 9」の街区標識下の標石は、最初のと同じである。
今回はここまで。標石を付近でまとめて見た報告。一帯は古い石垣や石段が残り、標石をただの境界柱で終わらせない雰囲気がある。
「水神神社跡」がここだとは、まだわからない。「長崎古今集覧 上巻」436頁の同神社には、「荒神堂右 古鎮道寺遺址」のような字を見る。
現地に近い中尾氏へ、詳しい調査をまた頼んでみたい。「水神湯」も調べ忘れだ。