長崎の幕末・明治期古写真考 マンスフェルト集 34P 漁村茂木の町中
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
長崎大学コレクション外編Ⅰ「マンスフェルトが見た長崎・熊本」
第三章 茂木 34P 漁村茂木の町中
茂木の街角。漁村特有の狭い路地に地域の子供や服装から漁民と思われる大人が佇んでいる。手前の男性がゴーストになっているのは撮影中に動いたためである。軒の樋は竹でつくられていることが分かる。屋根の漆喰は風による瓦の飛散防止である。
017 1872年頃 マンスフェルトか サイズ/205mm×156mm 大
■ 確認結果
長崎大学附属図書館企画・編集の長崎大学コレクション外編Ⅰ「マンスフェルトが見た長崎・熊本 古写真で見る近代医学校の成立」が、長崎文献社から2012年10月発行されている。
34P「漁村茂木の町中」は、最近の長崎市茂木支所HP「茂木をたずねて」の中の「懐かしい写真」に取り上げられている。同111頁の解説は「片町付近かと思われるが、同じ石の塀は現存していない」
撮影地は、私も以前から調べていた。「若菜橋」の上から片町(現在の峰酒店)の方を撮影しているようでもあったが、路地や石垣奥の建物の向きが少し合わない。
伊能忠敬研究会入江氏から、ストリートビューの画像研究より、かえって「峰酒店の交差点から東方向を写すと、古写真と同じ道にならないか。道は右へカーブしており、奥に山裾の林が見える」との教示をいただいた。
現地確認すると、これはやはり現在の峰酒店前、昔の茂木街道本通り石敷きの道を撮影しているようである。道の曲がり具合や建物の向きが合い、背景の山の稜線も交差点の手前からなら高さが合う。
最後の古写真は、同マンスフェルト集32頁にある「漁村茂木にて」。同じ頃撮影された「若菜橋」である。これらを参考に、茂木支所の方で調査を進めてほしい。