長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古写真 大光寺書院
長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
NAGASAKI GENEI
長崎古写真 ガラススライド写真 Japan Temple of Nagasaki (大光寺書院)
目録番号:3247 長崎大光寺本堂(2)
〔画像解説〕 超高精細画像
大光寺は慶長19年(1614)中紺屋町に創立され、万治3年(1660)に現在地へ移転したという浄土真宗本願寺派の寺院である。本堂は間口9間、奥行き8間の平面に入母屋造りの屋根を架け、正面に向拝1間を置く形式で、その左の唐破風は本堂から続く書院の玄関である。当寺は移転以降、火災等に遇っていないようなので、画面に写る本堂や玄関は創建以来のものが修理を重ねて残されていたようである。現存のものは原爆の被災を受けているというが、その全体の形態はよく継承されており、玄関および本堂に至る石畳の様子や八角形の石鉢に植えられた蘇鉄なども殆どそのままに残されている。但し、画面の本堂前にある石灯籠2基は、現在玄関前に移され、本堂前には大正2年(1913)7月建立の新しい2基が立ち、蘇鉄の背後には多分同じ頃より手水舎が新築されている。上野彦馬の撮影。本堂前の灯籠に寄り掛かる人物(上野彦馬自身か)は髷姿だから、明治初期であろう。
■ 確認結果
「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。
長崎古えはがきのガラススライド写真 3枚目の「Japan Temple of Nagasaki」は、長崎市鍛冶屋町の「大光寺」本堂左側の書院玄関である。
長崎大学データベースに、目録番号:3247「長崎大光寺本堂(2)」の作品がある。書院の方の玄関および本堂に至る石畳の様子や八角形の石鉢に植えられた蘇鉄なども殆どそのままに残され、同じであることがわかるであろう。