長崎の幕末・明治期古写真考 ベアトの幕末 155頁 長崎遠景
長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
レンズが撮らえた F・ベアトの幕末
155頁 長崎遠景 (横浜美術館蔵)
〔画像解説〕
ベアトは長崎の人口密度の高さを、この写真の墓地と長崎市内の建物で表現しようとして撮影したもようである。
目録番号:1292 小島付近墓地からの長崎市街地
〔画像解説〕 超高精細画像
現在の中小島付近から、小島養生所越しに、長崎市中心市街と立山を撮影した写真である。撮影時期を特定する対象物がないが、小島養生所の東側の建物が見えているので、目録番号
5306(整理番号102-12)と同じく明治10年(1877)代後半から明治20年(1887)代中期頃の写真と思われる。写真手前には、小島付近の墓地が撮影されている。その下の長い建物は、小島養生所から続く病院東側の建物である。その下の林は大徳寺の木立である。写真右側の町並みは油屋町で、山側の寺院は、清水寺と崇福寺である。油屋町の左側に整った家並みが見えるが、これは鍛冶屋町通りである。写真左の少し木のある場所は、長崎市役所から県庁に続く高台である。写真中央の山が立山で、その下に諏訪神社が見え、そこから左側の山裾の建物は、筑後町に続く長崎市の北側の寺町である。写真右の山に挟まれた地域が、片渕から西山である。丸山町・寄合町の山手中腹から、北側と南側の寺院群に囲まれた、長崎市街地の中心部を俯瞰した写真である。
■ 確認結果
山川図書出版企画・編集「レンズが撮らえた F・ベアトの幕末」が2012年11月発行されている。
155頁「長崎遠景」(横浜美術館蔵)は、中央左下に小島養生所の建物が見えているので、小島養生所(現在の長崎市立佐古小学校の地)の上の尾根にある墓地から撮影されている。
長崎大学データベースでは、目録番号:1292「小島付近墓地からの長崎市街地」の作品である。これでは撮影地を、「小島付近墓地から」「現在の中小島付近から」「長崎の正覚寺の右上、小島郷のどんの山の墓地付近から」長崎の市内中央を望むと説明している。
撮影地はまだ上部。中新町あたりとなる「十善寺郷墓地」の高台からであろう。ドンの山までは行かない。長崎大学側で再検証をお願いしたい。
この項は本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1512