長崎の古写真考 ベアトの幕末 155頁 長崎の波止場

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長崎の幕末・明治期古写真考 ベアトの幕末 155頁 長崎の波止場

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

レンズが撮らえた F・ベアトの幕末
155頁  長崎の波止場  (横浜美術館蔵)
〔画像解説〕
稲佐側から出島と居留地を望む。

■ 確認結果

山川図書出版企画・編集「レンズが撮らえた F・ベアトの幕末」が2012年11月発行されている。
155頁「長崎の波止場」(横浜美術館蔵)は、どうしてこのようなタイトルと解説になったのだろう。同じ写真が横浜開港資料館編「F.ベアト写真集1−幕末日本の風景と人びと」明石書店
2006年刊124頁に掲載されているが、タイトルは「159.長崎港遠景」である。
長崎大学データベースに見当たらない作品。

写っている手前の岬は、稲佐というより飽の浦側、長崎港の対岸にあった「身投崎」である。
現在、長崎市岩瀬道町のここに、三菱重工長崎造船所本社ビルと迎賓館「占勝閣」が建ち、下の入江に三菱造船所第2ドックができている。
遠く対岸の山は、烽火山と武功山、右は風頭山稜線の一部である。これらの山と手前の岬の位置を合わせると、現在の岩瀬道町「八軒家」バス停の上部高台から撮影した写真と考えられる。
この項は本ブログ次を参照。  https://misakimichi.com/archives/2670