長崎の幕末・明治期古写真考 長崎古えはがき 長崎市ノ景
長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
NAGASAKI GENEI
長崎古えはがき 長崎名所写真帳 長崎市ノ景
目録番号:5643 長崎清水寺(11)
〔画像解説〕
真言宗清水寺の遠景。元和9年(1623)、僧・慶順が運慶の仏像を抱いて来崎し開いたという。島原城主・松倉重政が「瓦堂」(中央)を喜捨し、石欄をめぐらして京都の清水寺に擬したと古書は伝えている。この本堂は寛文8年(1668)10月、何高材が重建した。アーチ型の天井が前廊ではなく、内部にあるのが珍しい。安産祈願の参拝者が多い。
■ 確認結果
「NAGASAKI GENEI」というサイトがある。ウェブ検索でなかなか表れないが、長崎の貴重な古絵葉書や古写真を多数、公開されている。
タイトル以外、特に説明がない。撮影地など一般にわかりにくいものを、取り上げ考えてみる。
長崎古えはがきの長崎名所写真帳5枚目にある「長崎市ノ景」。長崎市鍛冶屋町の「清水寺」が写っているが、石門に対し本堂、鐘楼が逆である。おかしいと思ったら、写真版が反転されている。長崎大学データベースでは、目録番号:5643「長崎清水寺(11)」と同じような作品。
旧茂木街道が始まる東小島町の正覚寺境内あたりから撮影した写真と思われる。