長崎外の古写真考 ベアトの幕末 222頁 神奈川の街道

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長崎外の幕末・明治期古写真考 ベアトの幕末 222頁 神奈川の街道

長崎大学附属図書館幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

レンズが撮らえた F・ベアトの幕末
222頁  神奈川の街道 (長崎大学附属図書館蔵)

目録番号:6212 神奈川の街道
〔画像解説〕 なし

■ 確認結果

山川図書出版企画・編集「レンズが撮らえた F・ベアトの幕末」が2012年11月発行されている。
222頁「神奈川の街道」(長崎大学附属図書館蔵)は、長崎大学データベース目録番号:6212「神奈川の街道」の作品だが、ともに画像解説はない。
この項は本ブログ次を参照。  https://misakimichi.com/archives/2330

目録番号:6212「神奈川の街道」は、朝日新聞社「写真集 甦る幕末」1986年刊84頁に掲載があり、タイトルを同じとしたようだが、写真集とも画像解説がないので場所がわからない。
横浜開港資料館HPの「3.F.ベアト幕末関係画像集」によると、この写真は「神奈川台町の関門 幕末期」【請求記号】Bc1-216-48 として解説している。
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/document/picture/03_09.html

横浜の関門は、西ノ橋、海岸通4丁目のほか神奈川宿の神奈川台下や戸部村字石崎にも置かれていた(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)。青木町は神奈川台町のことのようだ。
「甦る幕末」のもう1冊の新版「写真集 甦る幕末 ライデン大学写真コレクションより」朝日新聞社1987年刊の53頁には、次のとおりタイトルなどが変更され解説がある。

作品 55、56:神奈川台町の関門

55(長崎大学データベース目録番号:6326「神奈川台町の関門(3)」の作品 掲載略) 神奈川開港後、警備を厳重にするために設けられた。被撮影地点が神奈川であることを疑問視する人もいるが、「ファー・イースト」1871年1月5日号に同一地点が写っている写真がある。後者では右手の崖が鉄道用地埋め立てのための土取り場として削りとられている。(ベアト撮影)
56(長崎大学データベース目録番号:6212「神奈川の街道」の作品) 写真55とは別なもうひとつの関門。左手が山側、右手が海側である。下田屋の看板が見える。(ベアト撮影)