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鷺の巣俊寛の伏所  長崎市伊王島町

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鷺の巣俊寛の伏所  長崎市伊王島町

伊王島の史跡地図にも表れず、あまり紹介されていない。場所は位置図のとおり。現地説明板は次のとおり。説明板は最近できた広い市道入口に立っている。ここから50m歩いて下る。分岐は右へ。岩窟ではなく、谷間の平地が伏所か、手前の水場に井戸跡の標柱もあった。
後ろの写真は、左へさらに下った西ノ浦海岸の様子。右手先端に千畳敷岩場のフェンスが見えた。

鷺の巣俊寛の伏所
平家謀叛の罪に捕らえられた俊寛僧都。藤原成経、平康頼は島に遠流に処せられた。やがて成経、康頼は許されて都に帰されたが、俊寛僧都は平清盛の怒りが解けず、一人だけ島に残された。
俊寛僧都は、西の浜辺(鷺の巣)の岩と岩の間に岩窟があるのを見つけ、近くに清い流水もあったので、そこを ねぐら(伏所) にしていたと言い伝えられている。
この付近は、一年中海草や魚介類などの海の幸が豊富で、松林がうっ蒼としており、鷺が巣を作っていたので「鷺の巣」という地名になっている。
俊寛僧都の伏所は、ここより約五十m先にある。また、その近くに俊寛僧都が使用していた井戸(前の川)がある。
長崎市教育委員会

深堀のペーロン練習と伊王島港のブラックダイヤモンド

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深堀のペーロン練習と伊王島港のブラックダイヤモンド

2014年6月1日(㈰)朝方撮影。深堀のペーロン練習、タッちゃんのMIE丸、深堀カトリック教会の建設状況、伊王島港での軍艦島クルーズ船ブラックダイヤモンドの風景

高島一周ウオーキング  2014年6月

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高島一周ウオーキング  2014年6月

2014年6月1日(日)快晴。高島一周ウオーキング。参加5人。みさき道歩会の例会。5月25日分を延期して実施。
高島港—高島海水浴場—飛島磯釣公園—高島公園—権現山—西海岸公園—高島港(徒歩距離約8.7km)

長崎港ターミナルビルに集合。8:50コバルトクイーン乗船。私は自宅が近い伊王島港から乗るつもりだったが、途中、深堀でペーロン練習を写していて乗り遅れた。次船便は、12:15。伊王島で時間をつぶし、昼から島内バスで追いかけた。
先発組も高島島内は、権現山近くまで登りグラバー別邸跡までで、半周しかしなかったという。ターミナルへ戻りかけていた百間崎あたりで、やっと合流した。

したがって、一周写真はない。これは前回2009年8月の記事と写真を参照いただきたい。
その(1)は、https://misakimichi.com/archives/1952
その(2)は、https://misakimichi.com/archives/1953
今回の掲載写真は、私の合流後の写真。長崎市高島行政センター建物後ろ側の旧炭鉱坑口跡を主に訪ねた。特に説明することはない。
ただ、おもしろい木は、「安産の木」と名付けられていた。後ろから見ると、どうしても「うん○の木」だろう。
ターミナル付近の岸壁では、年1回の「高島トマトとヒラメ祭り」が開催されていて、船客と人出は多かった。
高島港14:35発で帰着。

長崎歴史文化博物館で、『ここがスゴイ!明治日本の産業革命遺産と長崎』展

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長崎歴史文化博物館で、『ここがスゴイ!明治日本の産業革命遺産と長崎』展

幕末から明治、日本の近代化を支えた長崎の姿がよみがえる。
日本の近代産業は、長崎をはじめとする九州・山口から始まりました。その輝きは現在も残され、その一部が平成25年に「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」として世界遺産の政府推薦案件に決定しました。
本展覧会では、幕末から明治にかけて重工業分野の産業化を行いながら近代国家へ向かう日本の姿を、三菱重工業長﨑造船所やグラバー園、端島(軍艦島)など、長崎に残る産業革命の足跡とともに、資料をひもときながら、「明治日本の産業革命遺産」とは一体何か?どんなところがスゴイのか?その魅力を皆さんにご紹介します。

会  場  長崎歴史文化博物館 (〒850-0007 長崎市立山1−1−1) 3階企画展示室
会  期  2014年5月24日(土)〜6月29日(日)
開館時間  8:30〜19:00 (最終入館18:30)
休 館 日  6月17日(火)
観 覧 料  一般800円(前売り640円) ※高校生以下無料
主  催  『ここがスゴイ!明治日本の産業革命遺産と長崎』展実行委員会(長崎歴史文化博物館・三菱重工業株式会社・長崎県・長崎市・グラバー園)

会期3日目の2014年5月26日(月)昼前、観覧に行った。世界遺産推薦特別企画展である。県民の多くに見てもらいたいのに、なぜ一般展覧会並みに観覧料を高くするのか。せめて500円くらいだろう。主旨が活かされていない。6月からでも料金改定ができないか。
長崎歴史文化博物館などが所蔵する貴重な史料や古写真が多いが、研究が足りず内容や解説がやや粗末。博物館へ疑問と苦情を言った。長崎では水道などの土木遺産も簡単に紹介してよいのではないのだろうか。

深堀陣屋跡の現況 (7)  長崎市深堀町5丁目

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深堀陣屋跡の現況 (7)  長崎市深堀町5丁目

深堀氏の居城だった深堀陣屋跡の現況は、本ブログ前の記事を参照。
現況(1)は、https://misakimichi.com/archives/3862
現況(2)は、https://misakimichi.com/archives/3869
現況(3)は、https://misakimichi.com/archives/3877
現況(4)は、https://misakimichi.com/archives/3884
現況(5)は、https://misakimichi.com/archives/3922
現況(6)は、https://misakimichi.com/archives/3943

深堀陣屋跡に建設されるカトリック深堀教会は、昨年11月24日定礎式があった。現在、教会建設工事が本年7月末完成(秋と聞いていたが、教会広報では変更されている)を目指し、急ピッチで進められている。長崎市文化財課の発掘調査は11月末で終了したが、その結果がいまだ公表されない。
南西側箇所で主に発掘された深堀陣屋御屋敷の礎石の石組みは無残に壊された。ここに建てている建物は、どこにでも建てることができる信徒のための納骨堂なのである。

史跡保存については、長崎市と教会側で十分に配慮するとの協議があっているのに、不可解な進展具合である。市民や地元にまったく説明がない。長崎市政への要望や提案を早くから提出しているのに回答をしない。長崎市長が前面に出て強力な指導をするべきでなかったか。

破壊された遺構は、今更どうしようもない。法の不備と行政の限界、怠慢もあったが、納骨堂前の駐車場とする部分に、礎石石組みはまだ半分位は残っていると思われる。その部分は舗装しなく、柵囲いと配水設備を設置し、礎石を屋外展示してもらう方法がある。
関係者が今から協議し、これくらいは配慮して良いのではないだろうか。それがカトリック教会の品格と言うものだろう。報道機関も問題意識を持って、大いに動いてもらいたい。

以上、現況(6)のとおり要望していたが、長崎市政提案の5月2日付文化財課回答は、次のとおり。

深堀陣屋跡の調査結果は、平成26年度に発掘調査報告書にまとめ、県内外の公立図書館や大学等の研究機関に配布して公開する予定です。また、地元深堀の皆さまをはじめ、多くの市民の皆さまにも調査結果を知っていただくために、深堀貝塚遺跡資料館の展示コーナーで調査結果と出土品を紹介する予定です。
調査の公表にあたっては、写真・図面・出土品の整理作業が必要であり、整理作業は事業者に調査費用を支出していただき、本年度に実施する予定です。遺跡の発掘調査の整理は、時間と費用を要しますので、ご理解いただきますようお願いします。
今回の発掘調査で発見された遺構等は教会の新築工事に伴い失われましたが、発掘調査を行うことで、遺構等の記録は保存されています。また、工事内容の変更により、教会の敷地には、深堀陣屋跡の遺構が現在も多く地中に保存されています。これは開発行為に伴う埋蔵文化財(遺跡)の取り扱いとして問題ないと判断しております。
残った遺構の取り扱いについては、未来に継承するため、地中に保存することを管理者であるカトリック深堀教会と協議済みです。屋外展示は遺構の保存管理に費用が掛かり、屋外にさらすことで遺構の劣化が懸念されるため、現在のところ、地中に保存することが、後世に継承するうえで最も適切な方法であると考えております。所有者・事業者であるカトリック長崎大司教区に工事内容を変更していただいたことで遺跡への影響は当初の計画よりも小さくなっています。発掘調査費用の支出や、工事前の発掘調査期間についても配慮をいただいており、今後は整理作業の費用も支出していただく予定となっています。文化財の保護について、これ以上の負担を求めることは、行政の指導として適切ではないと考えております。
深堀陣屋跡の保護につきましては、今後とも所有者のご理解ご協力を得ながら取り組んでまいりたいと考えておりますので、ご理解いただきますようお願いいたします。

この回答の問題点は、次のとおり。
(1)これまでまったく回答や住民説明をしなく、私が情報公開条例により開示請求すると言うと、やっと今回、市は回答に応じた。市政の提案制度が適切に運用されていない。
(2)私たちが知りたいのは、発掘調査の結果、どこにどのような遺構や出土品があり、どのような歴史的価値があるかである。それにはまったく答えていない。
(3)御屋敷跡と思われる礎石石組みが主に見られたのは、南西側箇所である。遺構を壊してまでなぜここに納骨堂を建てたのか。教会、市とも史跡保存に対する見識がない。
(4)かろうじて残ったと思われる納骨堂前の遺構を保存するため屋外展示を要望しているが、まったく両者その気はないようである。
(5)遺構を壊したのをやっと認めた。石造物史跡の屋外展示は多い。屋外にさらすことで遺構がそんなに劣化するのか。地中に保存することは、単なるくさいものに蓋であろう。
(6)柵囲いは石積みで良い。排水工事もそんな費用はかからない。大進建設の奉仕でできるのではないか。教会がしないなら、長崎市の工事でできないか。
(7)長崎市長は、この実情をほんとうに知っているのだろうか。市長の市政報告会が5月27日、市民会館文化ホールで開催される。残された遺構保存にぜひ市長自ら尽力するよう、要望事項に書き出した。
(8)ある方から「将来キリスト教関係の遺跡が破壊された時、同じ気持ちになるであろうことを考えてみてください」とキリスト教関係者、長崎市にお伝えくださいと聞いている。

長崎市稲佐山公園の行楽風景

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長崎市稲佐山公園の行楽風景

2014年5月16日(金)、病院回りの昼休み時間をつぶすため、稲佐山公園へ登ってみた。つつじは終わっていたが、初夏を感じさせる絶好の行楽日和。さくらんぼ園と高田保育所や老人施設の団体客で、水辺が賑わっていた。

東彼杵町の風景・史跡 (4)

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東彼杵町の風景・史跡 (4)  

2014年5月9日(金)、長崎県東彼杵群東彼杵町へ。ダンボールSL巡回展のあと、長崎への帰路訪ねた。
瀬戸郷にある「キリシタン墓碑」と、江の串川の「河川公園やすらぎの里」。東彼杵町などHPによる紹介は、次のとおり。いずれも国道34号バス停近くに入口案内板がある。

瀬戸郷にある「キリシタン墓碑」

大村湾パーキングエリアの近く瀬戸郷にひっそりとふたつの墓碑がたたずんでいます。 高い方は佛式の墓碑、低い方は高さ65cm、幅51cmの自然石の墓石で、上に花十字、下に「元和(げんな)7年卯(う)月の日付、そして「一ノ瀬志ゆ阿ん(じゅあん)」と彫られています。
厳しいキリシタン弾圧の中をくぐり抜け、現在まで残った貴重な墓石です。

河川公園やすらぎの里…豊かな自然とやすらぎの水辺、江の串川

・より美しく、安全な江の串川
大村市の郡岳を源に、東彼杵町を渡り、大村湾へと注ぐ江の串川。長崎県の「ふるさとの川モデル事業」に合わせて、河川公園「やすらぎの里」として生まれ変わりました。江の串川はもともと清らかで豊かな自然が息づく川として知られていましたが、川幅が狭く、川沿いに暮らす人々はこれまで何度も洪水に悩まされてきました。こうしたことから、もっと安全で快適な川になるようにと、「豊かな自然とやすらぎの水辺、江の串川」をテーマに、美しい河川公園となりました。

・花のやすらぎに彩られた公園
また、四季折々の美しい花々に包まれた花の公園でもあります。花菖蒲や水仙などの可憐な花々が季節ごとの艶やかさを競う水生植物園をはじめ、新しい花見の名所を目指した桜広場、梅園などが整備され、江の串川の川辺を美しく彩ります。とくに、小高い丘の上にある梅園から見渡す公園の景観は美しく、陽光にきらめく水面や水生植物園の花々が、訪れる人々に心からのやすらぎをプレゼントしてくれます。

・人にやさしい、ふれあいの川 
新しい江の串川の河川公園は、子どもからお年寄りまで、みんなが清らかな水と親しめる“ふれあいの川”。自然の岩や石を敷いた川床や緩やかな傾斜の堤防など、人へのやさしい心配りに満ちています。また上流には、大樽、小樽の二つの滝があり、その雄大で美しい景観にうっとりしながら自然の中で水遊びを楽しめます。清らかな水と緑、心地よい光と音にふれ、親しみながら、自然を愛する心とやすらぎの時を育む公園、それが江の串川の「やすらぎの里」です。

東彼杵町の風景・史跡 (3)

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東彼杵町の風景・史跡 (3)  

2014年5月9日(金)、長崎県東彼杵群東彼杵町へ。ダンボールSL巡回展のあと、町内の近くを訪ねる。
歴史公園彼杵の荘内のひさご塚古墳、東彼杵町歴史民俗資料館1階の展示内容。2階フロアーの歴史館・文化館は有料(大人200円)。同資料館HPによる「ひさご塚の歴史」は、次のとおり。

ひさご塚は長崎県の代表的な「前方後円墳」で、長い年月の間に周辺が削られひょうたんの形をしているところから「ひさご塚」と呼ばれてきました。今から約1,500年前にこの地域を治めていた有力な豪族の墓で、地元では、神功皇后の三韓征伐の折り、武内宿禰(たけのうちのすくね)の配下として従軍した武将の墓であると言い伝えられています。
昭和25年4月、長崎県の史跡として指定され、過去2回の調査が行われ、その結果ひさご塚が造られた時期は5世紀始めごろで、当時の規模は全長58.8m、後円部の直径37.7m、前方部の幅18.5mあったことがわかりました。また、副葬品として鏡や鉄剣などが出土しました。