長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5163 中島川と一覧橋と光永寺 ほか
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号:5163 中島川と一覧橋と光永寺
目録番号: 989 中島川大手橋(1)
■ 確認結果
1枚目の古写真の絵葉書は、下部に「STONE BRIDGE NAGASAKI」とだけ印字して、橋名はわからないが、関連作品や背景の山の格好から、「桃渓橋」と思われる。
「桃渓橋」は、西山川の最下流に架かり、西山川はここで曲がる中島川の本流と合流する。
タイトルが「中島川と一覧橋と光永寺」と間違っているのは、前項の「目録番号:5162 中島川と桃渓橋(1)」と掲載写真が入れ変っているためと思われる。
1枚目の古写真の橋を「桃渓橋」とすると、注視してほしいのは、橋下の奥に写っている右側の川岸から斜めに張り出している立木。
同じ木が2枚目の古写真「中島川大手橋」に写り、上流にかすかなアーチが見え、これが「大手橋」と説明されている。
判定は正しい。この立木が証拠となる訳である。したがって、2枚目の古写真「目録番号: 989 中島川大手橋(1)」は、「桃渓橋」の上から「大手橋」を写している。
現在はビルが建て込み、後ろの山並みが写らない。
「大手橋」は、親和銀行馬町支店から新大工町商店街に入る通りに架かる。橋下を覗くと、アーチ式石橋が残っている。下流手前に架かる国道34号線の白い大きな橋「鎮西橋」は、1934年(昭和9年)架橋された近代橋である。