月別アーカイブ: 2008年9月

龍蔵寺のイチョウ  壱岐市芦辺町諸吉触

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龍蔵寺のイチョウ  壱岐市芦辺町諸吉触

芦辺港から左方へ芦辺大橋を渡り、県道23号線により郷ノ浦方面へ向かう。大橋の先の2つのトンネルを抜け、しばらく行くと右手にある寺が「龍蔵寺」である。
イチョウは、本堂左横の建物の裏手となる墓地内に立つ。
観音堂の前にはイブキもある。地上1mのところから4つの大枝に分れている。またこの木はビャクシン(イブキと同種)の大木で、直立した木の上に針状の葉のみもつイブキである。木の姿勢もよく樹相mも美しいらしい。
芦辺町「芦辺町史」昭和50年刊、第9章芦辺町の文化財969〜970頁による説明は次のとおり。町の未指定文化財。

龍蔵寺のイチョウ  壱岐市芦辺町諸吉触  龍蔵寺所有

イチョウは、落葉性の大高木。…このイチョウは龍蔵寺の墓地の一角に高くそびえ、木は相整って堂々と立ち、無傷で素直に生育してきたことがうかがえる。またこのイチョウは雌株で樹上高いところから、大木およそ30個余りのイチョウ特有の乳柱の垂下するのがみられ、秋には種子(ギンナン)をつける。
目通り幹囲 5.40m

男岳神社と石猿群  壱岐市芦辺町箱崎諸津触

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男岳神社と石猿群  壱岐市芦辺町箱崎諸津触

芦辺港から右方の瀬戸浦へ県道を進み、瀬戸小学校の方へ右折して広い道を上がって行くと男岳神社裏手の参道入口駐車場に着く。神社へはここから歩いて10分くらい。
女岳と一帯は公園として整備されており、下にダムがある。山頂とダムの間の中腹を回る車道があり、この道を行くと山頂の神社まで車で登られるようだ。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」神社仏閣編による説明は次のとおり。

男嶽神社と石猿群  場所 ● 芦辺町箱崎諸津触  アクセス ● 芦辺港から車で15分

猿田彦命が祭神。拝殿横の石段には200体を超す石猿が並んでいる。家内安全、合格祈願、子宝祈願など、願掛け、成就に奉納されたもの。最初は牛の健康や繁殖を祈願し石牛を奉納していたというが、今では石猿が圧倒的に多い。新しいもの古いもの、さまざま表情が入り交じって楽しい。男岳は山全体が御神体で人は入山できず、麓から参拝していたというが、いまは境内まで車で行くことができるようになった。壱岐で二番目に高い男岳展望所からは全島が見渡せる。

壱岐の土台石  壱岐市勝本町東触天ケ原

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壱岐の土台石  壱岐市勝本町東触天ケ原

郷ノ浦港から国道382号線により勝本町へ行く。勝本町の中心から勝本港へ出て右方へ進み、串山半島の峠を越して串山海水浴場に向かう。
天ケ原海岸へ出た所に「壱岐の土台石」の断崖がそびえ、辰の島の指定地と一帯をなした串山半島の「勝本のハイビャクシン群落」がある。

この断崖は海底が隆起してできたもの。壱岐では一番古い地層。2,500万年以上も前にできたといわれている。長さが4〜6km、高さは50m。この断崖からは、植物や二枚貝の化石が発見され、またウニやカニの化石も頁岩から見つかっている。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

壱岐の土台石   場所 ● 勝本町東触天ケ原  アクセス ● 郷ノ浦港から車で30分

対馬海峡に面した天ケ原海岸は、まるで大きな鉈で断ち切ったような断崖になっている。その断面に見えるのが壱岐島の基盤である土台石と呼ばれる勝本層だ。砂岩と頁岩の互層で大変もろく割れやすい。植物化石や貝殻化石も見つかることがある。圧力を受けて褶曲した部分も見える。この新第三紀(約2500万年前)勝本層の上に、八幡半島や郷ノ浦の初瀬に見られる凝灰角礫岩と、火砕流堆積物を主とする壱岐層が乗り、さらに第四紀層の玄武岩が広く覆って壱岐の島ができあがっている。天然記念物のハイビャクシンの群落も見られる。

勝本のハイビャクシン群落  壱岐市勝本町東触

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勝本のハイビャクシン群落  壱岐市勝本町東触

郷ノ浦港から国道382号線により勝本町へ行く。勝本町の中心から勝本港へ出て右方へ進み、串山半島の峠を越して串山海水浴場に向かう。
天ケ原海岸へ出た所に「壱岐の土台石」の断崖がそびえ、辰の島の指定地と一帯をなした串山半島の「勝本のハイビャクシン群落」がある。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

勝本のハイビャクシン群落  県指定天然記念物

指定年月日 昭和26年7月3日  所在地 壱岐郡勝本町東触  管理責任者 勝本町
ハイビャクシン(裸子植物、ヒノキ科)は海岸の崖地や砂地に生ずる。その分布は朝鮮半島南部の数個所のほかは、対馬上島の北部と東部の海岸、壱岐北部の辰の島、若宮島、名鳥島、串山半島、上五島の美良島、ほかに福岡県と佐賀県に1個所ずつ生育するだけである。全分布はほとんどは長崎県内にある。
天然記念物の指定地は、上記の辰の島(国指定、別記)のほか、名鳥島、串山半島の自生地をふくむ。風当たりが強くて他の植物が生じ難い崖地に、一面に広がって群落をなし、あるいは砂浜の上部にハマゴウと混生して広がっている。通常はスギの葉のような針葉だけであるが、まれにヒノキの葉のような鱗葉をまじえるものもある。幹は地面をはい、全長10m以上に達することもある。他県ではほとんど見ることができない植物である。

聖母宮・神功皇后の馬蹄石  壱岐市勝本町勝本浦

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聖母宮・神功皇后の馬蹄石  壱岐市勝本町勝本浦

郷ノ浦港から国道382号線により勝本町へ向かう。勝本町の中心から勝本港へ出て左側の岸壁の道へ回り込んで行くと、「聖母宮」に着く。
「神功皇后の馬蹄石」は、聖母宮の正門前の道を曲がり海岸へ出て行くとすぐある。石には4つの窪みがあるというが、他ははっきりしない。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」神社仏閣編と歴史文化編による説明は次のとおり。

聖  母  宮   場所 ● 勝本町勝本浦  アクセス ● 郷ノ浦港から車で25分

神功皇后を祭った聖母宮は、勝本の総鎮守でもある。創建時期は奈良時代初期といわれている。勝本の地名も「風本」から神功皇后が名付けたと伝えられている。門は文禄の役の時に加藤清正が寄進したもの。のどかな表情の牛の石像は名工山内利兵衛の作。また、神社所蔵の茶壷は「天正二十年」(1592)銘の古唐津焼で、口が欠けているものの学術研究上たいへん貴重なもの。秋には例祭カザモト祭で浦は賑わう。

神功皇后の馬蹄石  場所 ● 勝本町勝本浦  アクセス ● 郷ノ浦港から車で25分

聖母宮の近くに神功皇后が朝鮮出兵の際に乗った馬の蹄跡だと伝わる馬蹄石がある。背伸びして覗き込むと、石の表面にはたしかに蹄跡らしき四つの窪みがある。皇后の時代からおよそ800年後、皮肉にも今後はここに元軍が攻めてくる。ドラマチックな歴史スポットである。

勝本城跡  壱岐市勝本町坂本触

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勝本城跡  壱岐市勝本町坂本触

郷ノ浦港から国道382号線により勝本町へ向かう。勝本町の中心へ入って壱岐市役所勝本庁舎へ出る手前の左に、「勝本城跡」城山公園に上がる坂道があり、登って行く。
城跡の石垣は北側斜面に回ると多く残っている。展望は城跡の山頂広場から。

公園の駐車場前に友好都市諏訪市から贈られた御柱祭の御柱が立ち、山頂への遊歩道脇にヤマモモの大木があった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

勝本城跡  史跡(国答申)

指定年月日 昭和50年11月7日  所在地 壱岐郡勝本町坂本触城越757
所有者 勝本町ほか
風本城・武末城・雨瀬包城ともいう。豊臣秀吉は朝鮮出兵に際して肥前名護屋城を本営としたが、それと共に壱岐・対馬にそれぞれ駅城を築き、その兵站(へいたん)基地とすることを命じた。この壱岐の駅城として、海上交通上の要路である勝本港に臨む城山に設けたのが勝本城である。
築城には松浦鎮信が主としてこれにあたり、有馬晴信・大村喜前・五島純玄の三氏がこれを支援し、およそ4ヵ月の突貫工事で天正19年(1591)末に完成した。そして秀吉の弟長の家臣本多因播守正武が慶長3年(1598)まで7年間入部し、戦役終了後破却された。山頂に本丸跡があり、石垣が残っている。
昭和46年2月5日に武末城跡として県指定されている。

雪の島  壱岐市勝本町本宮仲触

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雪の島  壱岐市勝本町本宮仲触

万葉集に詠まれ、江戸末期に書かれた壱岐名勝図誌は壱岐一国の名にもなったと伝える「雪の島」。壱岐島の北西、勝本町浦海海岸にある小さな島である。
観光案内やマップにあまり紹介がなく、現地へ行っても案内板はまったくない。

郷ノ浦港から国道382号線により勝本町へ向かう。勝本町の南はずれ亀石交差点から左折し、湯ノ本を通る県道231号線を北上。「浦海漁港」入口まで行く。ちょうど「報恩寺のモクセイ」への案内標識がある所である。
国道382号線をそのままなら、歴史公園「壱岐風土記の丘」の先から左折。途中はまっすぐ道を進むと、県道231号線のこの地点に出る。

県道から浦海漁港へ坂道を下る。海岸の小さな岬の付け根にあるらしいが、姿が見えない。通りかかった車の人に聞いてやっとわかった。
漁港に出る手前、集落の反対側の海岸にコンクリート護岸があり、その上に白く小さな頭を覗かせているのが「雪の島」である。カーブミラーの所から海岸へ行く100mほどの小道があるが、訪れる人はほとんどいないのか、草が荒れ放題で苦労した。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

雪 の 島  場所 ● 勝本町本宮仲触  アクセス ● 郷ノ浦港から車で25分

浦海海岸の小さな岬の付け根に、“雪の島”と呼ばれる流紋岩でできた真っ白な岩がある。万葉集にも詠まれたほど愛くるしくて、何か願いごとをすれば叶えられそうな、そんな気持ちにさせてくれる不思議な岩。地元では白っぽく見えれば晴れ、黒っぽく見えると雨が降ると信じられている。湯本湾の小島を染める美しい夕日スポットでもある。

ところで、壱岐名勝図誌の記すことや、万葉集の歌とは、どんなことだろう。
”雪の島”で検索すると、HP「壱岐の風景」の中「壱岐名勝図誌の風景」があり、次のとおり島の詳しい写真とともに紹介していた。
また、同岬の先端部には「鞍間ノ滝」という壱岐では珍しい安山岩の柱状節理がある。干潮時しか行かれないが、同HPに記事があるので参照。

浦 海(うろみ) 古老伝云、浦海にむかし千軒の民居あり。むかしは、此所家居多くありて七浦の内なりしか、寛文年中(1661年−1673年)湯本浦に移さるとなん。今は民戸二十三烟あるのみ。

雪 島  岳城の岸の艮 (うしとら、北東) にあり。此島、東西七間(一間は約1.8m)、南北九間、周巡三十二間、塩高く満時は島の高さ二間余、塩干時は島の高さ三間余。又塩満時は舟より渡り、塩干時は陸より行くべき島なり。全体白岩にして晴天には白き事 実に雪のごとく、日に映して目はゆし(まばゆい)。
雨天には、自然岩の色黒くなるとぞ。これによりて、此のあたりにては、晴天にても此島のいろ黒くなればやがて雨ふらんといひ、雨中にても白くみゆる時は雨晴るべしと、此島によりて日和のほどを卜(うらない)なへるとぞ。
さて此島のみ白くて近所の地はみな常の岩色なり。実に奇なる島にて、遂には一国の名ともなれるは むべなるかな(宜なるかな、もっともなことだ)。
古歌に撫子、磯馴松などよみたれど、今はその木草にはあらぬ、茅、薄、磯黒木など生たり。いかで松、撫子を植はやとなむ思ひける(何で松、撫子を植えたのだろうと思った)。
恋しくは なとか問なん 雪の島 岩ほにさける なてしこの花

壱岐報恩寺のモクセイ  壱岐市勝本町本宮東触

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壱岐報恩寺のモクセイ  壱岐市勝本町本宮東触

郷ノ浦港から国道382号線により勝本町へ向かう。勝本町へ入って亀石交差点から左折、湯ノ本を通る県道231号線を「浦海漁港」入口までかなり北上する。ここに「報恩寺」への案内標識があり、標識の道を行くと寺へ着く。
国道382号線からなら、歴史公園「壱岐風土記の丘」の先から左折。途中はまっすぐ道を進むと、県道231号線に出合う前に報恩寺へ着けないことはないが、標識がなくわかりにくい。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

壱岐報恩寺のモクセイ  県指定天然記念物

指定年月日 昭和35年11月24日  所在地 壱岐市勝本町本宮東触1170
所有者 報恩寺
モクセイは中国原産のモクセイ科の代表樹で、鑑賞用のため広く庭に植えられる。葉は堅く、先のとがった長円形で長さ数cm。秋になると葉のつけねに小さい花が密集してよい香りを放つ。花は深く裂けた四弁花である。
花の色の純白のものをギンモクセイ、赤黄色のものをキンモクセイ、淡黄色のものをウスギモクセイとして区別する。報恩寺のはウスギモクセイである。樹の高さ9.30m、幹の回り1.75mもあって、モクセイとしては珍しい巨樹である。

なお、勝本町「勝本町史(上巻)」昭和60年刊、第八編文化財679〜670頁によると以下のとおり。
また、同19頁「△勝本町の名木巨樹(壱岐の植物・品川鉄摩・1983年)」には、「報恩寺のクロマツ」もあげているが、これはどの木か。石塚の上に小さなマツしか見あたらなかった。

…本幹は地上3.5mの高さから、3本の大きい幹枝に分かれ、樹高約9.4m、目通り幹囲1.75m、根囲り2.75mをかぞえ、モクセイとしては珍しい巨樹であり、ウスギモクセイとしては全国で最大のものである。
昭和53年9月15日、壱岐島を直撃した台風18号のため倒壊したが、翌16日復元作業を完了した。その折に、石塚の上に根付いていることが判明した。現在、樹勢は旺盛である。

百合畑古墳群・掛木古墳・壱岐風土記の丘  壱岐市勝本町百合畑触ほか

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百合畑古墳群・掛木古墳・壱岐風土記の丘  壱岐市勝本町百合畑触ほか

郷ノ浦港から国道382号線により勝本町へ向かう。勝本町へ入って亀石交差点からしばらく行くと右方に「百合畑古墳」入口がある。少しまだ国道を進むと、歴史公園「壱岐風土記の丘」があって、「掛木古墳」は駐車場のところにある。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編と体験・施設編による説明は次のとおり。

百合畑古墳群  場所 ● 勝本町百合畑触  アクセス ● 郷ノ浦港から車で15分

6世紀末〜7世紀初めに築造。23基の古墳が集中している百合畑地区。古墳公園ではそのうち6基を見ることができる。緩やかな斜面の南西方向に入口をもつ横穴式石室がほとんど。壱岐風土記の丘の歴史散策コースである。

掛 木 古 墳  場所 ● 勝本町百合畑触  アクセス ● 郷ノ浦港から車で15分

6世紀末〜7世紀前半の築造。円墳で、墳丘の直径は約30m。県下で唯一の「くり抜き式家形石棺」を持つ古墳として有名。大きな石をくり抜いて造ってあり、屋根の形をした蓋も同様の作り方である。壱岐風土記の丘の歴史散策コースである。

壱岐風土記の丘  場所 ● 勝本町布気触  アクセス ● 郷ノ浦港から車で15分

くりぬき式家形石棺をもつ掛木古墳、丘陵に古墳が群集する百合畑古墳群、金銅製の馬具が出土した笹塚古墳、そして二重の空堀をもつ中世の山城・生池城跡を巡る歴史散策公園になっている。敷地内には江戸時代中期の様式の古民家を建築復元。管理棟には町内にある遺跡からの出土品を展示している。

水神社のイチョウ  壱岐市勝本町布気触

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水神社のイチョウ  壱岐市勝本町布気触

郷ノ浦港から国道382号線により勝本町へ向かう。勝本町へ入って亀石交差点先の「百合畑古墳」入口から少しまだ国道を進むと、左折する車道がある。この角に案内標識があって、標識の道をしばらく行くと「水神社」へ着く。
大イチョウは、神社前鳥居の車道側にある。勝本町指定天然記念物。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

水神社の大イチョウ  場所 ● 勝本町布気触  アクセス ● 郷ノ浦港から車で15分

1742年(寛保2)に書かれた『壱岐國続風土記』に「水神社境内神木銀杏一株周囲一丈五尺」とある。現在は根周り約10m、目通り幹周り6m、樹高20m。壱岐島内では最大、長崎県内でも2位の大きさ。不慮の火事で幹はほとんど空洞になっているが、枝を大きく横に張り、いまだ健在振りを示している。雌の銀杏の古木にみられる「チチ」と呼ばれる気根が下がっていたが、盗難にあって今はない。