勝本城跡  壱岐市勝本町坂本触

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勝本城跡  壱岐市勝本町坂本触

郷ノ浦港から国道382号線により勝本町へ向かう。勝本町の中心へ入って壱岐市役所勝本庁舎へ出る手前の左に、「勝本城跡」城山公園に上がる坂道があり、登って行く。
城跡の石垣は北側斜面に回ると多く残っている。展望は城跡の山頂広場から。

公園の駐車場前に友好都市諏訪市から贈られた御柱祭の御柱が立ち、山頂への遊歩道脇にヤマモモの大木があった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

勝本城跡  史跡(国答申)

指定年月日 昭和50年11月7日  所在地 壱岐郡勝本町坂本触城越757
所有者 勝本町ほか
風本城・武末城・雨瀬包城ともいう。豊臣秀吉は朝鮮出兵に際して肥前名護屋城を本営としたが、それと共に壱岐・対馬にそれぞれ駅城を築き、その兵站(へいたん)基地とすることを命じた。この壱岐の駅城として、海上交通上の要路である勝本港に臨む城山に設けたのが勝本城である。
築城には松浦鎮信が主としてこれにあたり、有馬晴信・大村喜前・五島純玄の三氏がこれを支援し、およそ4ヵ月の突貫工事で天正19年(1591)末に完成した。そして秀吉の弟長の家臣本多因播守正武が慶長3年(1598)まで7年間入部し、戦役終了後破却された。山頂に本丸跡があり、石垣が残っている。
昭和46年2月5日に武末城跡として県指定されている。