月別アーカイブ: 2008年9月

壱岐白沙八幡神社社叢  壱岐市石田町筒城仲触

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壱岐白沙八幡神社社叢  壱岐市石田町筒城仲触

「白沙八幡神社」は、壱岐島の東南部、石田町の東端にある筒城海水浴場の前に大きな鳥居がある。まっすぐな参道を道奥まで行くと社殿があり、社叢がある。
壱岐空港が近くにあるので、印通寺港から県道23号線を行き、途中の分岐から壱岐空港方面の道へ入り、筒城海水浴場前まで行く。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

壱岐白沙八幡神社社叢  県指定天然記念物

指定年月日 昭和43年12月23日  所在地 壱岐郡石田町筒城仲触1010
所有者 白沙八幡神社
この社叢は、壱岐の東南側の低地、海岸側から1kmたらずの距離にある。スタジイが優占し、ヤブニッケイ・タブノキ・イヌマキ・ホルトノキ・イスノキ・クスノキが林冠を形成する。林内にはヤブツバキ・イヌガシ・ハマビワ・クロキ・ネズミモチ・マサキ・コショウノキ・ハクサンボク・クチナシ・ヒサカキなどの常緑低木が成育し、林床にはアリドウシ・ホソバカナワラビ・フウトウカズラ・テイカカズラ・サカキカズラ・キジョラン・ツワブキ・ムサシアブミが繁茂する。
壱岐は低平な島で、かつてこの地をおおっていた照葉樹林は伐採され、あるいは農地に姿をかえている。そうした中で、この社叢は原型をよく残している貴重な存在である。

筒城七浜  壱岐市石田町筒城東触

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筒城七浜  壱岐市石田町筒城東触

筒城七浜は、壱岐島の東南部、石田町の東端にある海岸。壱岐空港が近くにあるので、印通寺港から県道23号線を行き、途中の分岐から壱岐空港方面の道へ入る。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

筒 城 七 浜  場所 ● 石田町筒城東触  アクセス ● 印通寺港から車で10分

石田町の東海岸一帯を筒城海岸といい、ここは石灰質の生物遺骸の破片を多く含んだ“白砂の浜”で、海岸砂丘も見られる。総延長4kmにもおよぶ美しい砂浜は、空と海のコバルトブルーに映え、まるで南国の海のように眩しい。小さな浜ごとにそれぞれ由緒ある名称があり、別名筒城七浜という。年間をとおしてマリンスポーツを楽しむことができ、浜の近くには民宿やペンションなど宿泊施設も多い。

原の辻遺跡  壱岐市芦辺町・石田町

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原の辻遺跡  壱岐市芦辺町・石田町

壱岐市芦辺町・石田町の平野部に広がる「原の辻遺跡」。弥生時代の大規模環濠集落跡で、「魏志倭人伝」に記載されている「一大(?支が定説)国」の中心的集落と推定されている。
HP「壱岐の島・原の辻遺跡(上)」によると、魏志倭人伝の記載(現代語訳)は次のとおり。
…また大海を渡ると千余里で、壱岐に到達する。この海を瀚海(かんかい:現在の玄界灘)という。長官を(対馬と)同じく卑狗といい、副官を卑奴毋離という。周囲は三百里ほど。竹木や草むらが多く、三千戸程の家がある。少し田畑があるが、これだけでは生活できず、(対馬と)同様に韓国・北九州と交易している。 

「原の辻遺跡」は、佐賀県吉野ヶ里遺跡と並ぶ国指定の特別史跡。芦辺港と印通寺港を結ぶ県道23号線の中間くらいの県道沿いにある。
長崎県の「壱岐・原の辻展示館」があり、壱岐市による歴史公園が整備中であった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

原の辻遺跡  特別史跡(国指定)

指定年月日 平成12年11月24日  所在地 壱岐郡芦辺町・石田町
管理団体 芦辺町・石田町
原の辻遺跡は、弥生時代を中心とする大規模な多重環濠集落であり、中国の歴史書『魏志倭人伝』記載の「一支国」の王都として特定された極めて重要な遺跡である。
遺跡は、平野に張り出した台地と低地一帯に立地し、100haほどの範囲が推定される。環濠内と低地には居住域が拡がり、台地中央の頂部に高床建物をもつ祭儀場跡が存在する。6箇所の墓域では、石棺墓・土壙墓を主体として、中国鏡・銅剣・腕輪の青銅器、ガラス玉・勾玉などが副葬された有力者の墓も認められる。台地西側の低地では、日本最古の船着き場跡が発見され、周辺の低地では稲作を行っていたことが確認されつつある。
遺物は、青銅製馬車具、三翼鏃・中国貨幣(五銖銭・貨泉・大泉五十)、鉄器、朝鮮半島系土器、床大引き材、ココヤシ製笛など、大陸との交流・交易を物語る遺物が多く出土している。
指定面積は、161,491.23㎡。

七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」歴史文化編による説明は次のとおり。

原の辻遺跡  場所 ● 芦辺町・石田町  アクセス ● 芦辺港から車で10分

紀元前2〜3世紀から紀元3〜4世紀にかけて形成された大規模な多重環濠集落で、芦辺町と石田町にまたがる台地上を中心に、東西、南北ともに約1km四方に広がっている。平成7年、原の辻遺跡は『魏志倭人伝』の中の「一支国」の王都と特定された。発掘調査途中のため、古代史を書き換えるような発見が相次いでいる。
最近では人面石が話題になった。ムンクの絵のようなユニークなもので、3〜4世紀に作られたもの。また棹秤に用いる錘らしきものも出土し、事実だとすると7世紀とされていた度量衡整備が、さらに400年以上もさかのぼることになる。出土品は原の辻資料館に展示されている。
平成13年に弥生時代のものとしては国内3カ所目の国特別史跡に指定。

壱岐安国寺跡  壱岐市芦辺町深江栄触

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壱岐安国寺跡  壱岐市芦辺町深江栄触

安国寺は、芦辺町の南にあり芦辺港から県道23号線により行く。印通寺港からなら原の辻遺跡を通り、同県道により行く。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

壱岐安国寺跡  県指定史跡

指定年月日 昭和49年4月9日  所在地 壱岐郡芦辺町深江栄触546
所有者 安国寺
足利尊氏・直義兄弟は夢窓疎石の勧めによって、平和を祈願し、元弘以来の戦死者の菩提をとむらうため、暦応元年(1338)頃から約10ヵ年にわたり、全国六十六国二島にそれぞれ一寺一塔をつくった。そして貞和元年(1345)に光厳上皇の院宣によって、寺を安国、塔を利生と称した。
壱岐安国寺はこの時創建されたものではなく、既存の海印寺を安国寺にあてたもので、そのため壱岐安国海印寺と呼ばれている。安国寺の開山は無隠元晦で、京都南禅寺から観応元年(1350)以後に来島して開いた。以来火災にあうこともなく、高麗版大般若経などを蔵して今日にいたっている。一利生塔は今日伝わっていない。

壱岐安国寺のスギ  壱岐市芦辺町深江栄触

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壱岐安国寺のスギ  壱岐市芦辺町深江栄触

足利尊氏・直義兄弟が、暦応元年(1338)頃から約10ヵ年にわたり、平和を祈願し、元弘以来の戦死者の菩提をとむらうため、全国六十六国二島に一寺一塔をつくった。壱岐安国寺はその1つである。
安国寺は、芦辺町の南にあり芦辺港から県道23号線により行く。印通寺港からなら原の辻遺跡を通り、同県道により行く。

境内に樹齢1000年とも言われ、形が美しく今も樹勢が良い大スギがあり、県の天然記念物に指定されている。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

壱岐安国寺のスギ  県指定天然記念物

指定年月日 昭和43年12月23日  所在地 壱岐郡芦辺町深江栄触464
所有者 安国寺
指定のスギは壱岐で名高い安国寺の本堂の前に高くそびえているもので、目通り幹の回り6m余り、根回り10m、樹高25mほどあり、樹形はスギの特徴をよく現して、まことに端正でスマートである。このスギの樹上、高いところに、オオバヤドリギが寄生している。
スギはスギ科の常緑針葉樹で、日本特産。中国のほか、ヨーロッパやアメリカにも日本から早く渡っていった。日本の樹木のうち最も高く生長し、世界の樹木のうちでも長命のものとして名高い。

はらほげ地蔵  壱岐市芦辺町諸吉本村触八幡浦

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はらほげ地蔵  壱岐市芦辺町諸吉本村触八幡浦

「はらほげ地蔵」は、芦辺町の東、「左京鼻」のある八幡半島の八幡浦海岸岸壁の海岸にある。
芦辺からなら県道24号線、郷ノ浦港なら県道173号線、印通寺なら県道24号線により芦辺町諸吉二亦触交差点近くまで行き、「左京鼻」の方へ向かう。
八幡浦へ入って、八幡保育所先から漁港の岸壁へ出ると、「はらほげ地蔵」の六地蔵が海岸に祀られている。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」神社仏閣編による説明は次のとおり。

はらほげ地蔵  場所 ● 芦辺町諸吉本村触八幡浦  アクセス ● 芦辺港から車で10分

六地蔵は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)において衆生の苦患を救うという六種の地蔵である。海女で有名な八幡浦の海中に祀られている。自然石の頭部で、腹が丸くえぐられているので、はらほげ地蔵と呼ばれている。何時、誰が、何のために祀ったかはっきりしたことはわからないが、遭難した海女の冥福のため、鯨の供養慰霊のためなどと伝えられる。胸の穴は、満潮になって地蔵が水没しても供え物が流れないように、船から供え物ができるように、あるいは流行の疫痢の疫病退散祈願のためなどと言われる。

壱岐長者原化石層 (2)  採集された化石の写真

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壱岐長者原化石層 (2)  採取された化石の写真

壱岐市芦辺町諸吉本村触の「壱岐長者原化石層」で採集された魚類や植物の葉の化石。
寄八幡神社が所蔵している化石の一部を写させてもらった。 

「イキウス」は、アメリカの魚類学者のジョルダンによって、大正8年(1919)に、魚類化石の新属・新種として、イキウス・ニッポニクスが記載されている。
魚類の大部分はコイ科に属し、魚類相は中国大陸のものに近い。本層は、新生代第三紀中新世中期を示す。(長崎県HP「長崎県の文化財」の説明から)

壱岐長者原化石層 (1)  壱岐市芦辺町諸吉本村触

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壱岐長者原化石層 (1)  壱岐市芦辺町諸吉本村触

「左京鼻」は芦辺町の東、八幡半島の北先端にある。芦辺港から芦辺大橋を渡り、壱岐市役所芦辺庁舎の方へ行き、「清石浜」を通り海岸沿いの道を行く。
郷ノ浦港からなら県道173号線、印通寺港からなら県道24号線により芦辺町諸吉二亦触交差点まで行き、八幡半島の南岸回りで「左京鼻」へ向かう。

「壱岐長者原化石層」は、「左京鼻」のちょうど反対側となる八幡半島の南先端部にある。「長者原崎」といい、八幡浦へ方へ回って屏風岩から漁港の寄八幡神社にかけて、この海岸部一帯に化石を多産する層がある。

従って、芦辺側なら「左京鼻」の園地を越えると、途中の道に「屏風岩」展望台があり、寄八幡神社へ着く。郷ノ浦・印通寺側なら「はらほげ地蔵」の方を通って寄八幡神社へ行く。化石層は神社の先から海岸部へ行くと見られる。後の写真が「屏風岩」
寄八幡神社が所蔵している化石を写させてもらったので、(2)はその写真集。 
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

壱岐長者原化石層  県指定天然記念物

指定年月日 昭和51年2月24日 所在地 壱岐郡芦辺町諸吉本村触 所有者 寄八幡神社
芦辺町八幡浦の南に突出した長者原崎に露出し、層理のよく発達した珪藻土質の地層であり、古くから植物の葉や魚の化石を多産することで名高い。含化石層は、長者原崎をはさんで東西に分かれ、100〜200mの延長をもって露出する。地層の走向はほぼ東西に分れ、南へ10〜14°傾斜する。西側の屏風岩の地層が指定されている。
本層の化石の研究は古くから断片的に行われているが、アメリカの魚類学者のジョルダンによって、大正8年(1919)に、魚類化石の新属・新種として、イキウス・ニッポニクスが記載されている。
最近では、石田町林徳衛氏が、植物化石(葉化石)40科67属83種、昆虫化石7科10種、魚類化石4目6科12〜16種、蛇化石1種を報告した。魚類の大部分はコイ科に属し、魚類相は中国大陸のものに近い。本層は、新生代第三紀中新世中期を示す。

七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

長者原化石層  場所 ● 芦辺町諸吉本村触八幡浦  アクセス ● 芦辺港から車で10分、下車して徒歩5分
八幡半島の南端に、白い地層が露出している。手で触れると、まるでチョークのような感触で白い粉が手に残る。これは植物性プランクトンである珪藻の遺骸が堆積してできた土質で、古くから植物や魚の化石が産出する。大正8年に魚類化石の新種イキウス・ニッポニクスが発見された。魚類相は中国大陸のものに近い。かつて大陸と地続きで日本海が大きな淡水湖だった頃の記憶が、この地層には詰まっている。
県の天然記念物に指定されているので、化石採集はできない。

屏 風 岩    場所 ● 芦辺町諸吉本村触  アクセス ● 芦辺港から車で20分

八幡半島南端に、屏風を倒したように白い岩が露出している。長者原化石層と同じ珪藻土層で、むき出しになった地層はまるでバウムクーヘンのよう。珪藻土層の間に、小石を包含した黒い地層が一本入っているが、火山の噴火による火砕流が火山灰の層であろう。

左京鼻・清石浜  壱岐市芦辺町諸吉本村触ほか

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左京鼻・清石浜  壱岐市芦辺町諸吉本村触ほか

「左京鼻」は芦辺町の東方、八幡半島の先端にある。芦辺港から県道24号線により芦辺大橋を渡り、大石トンネルは通らず壱岐市役所芦辺庁舎の方へ行き、「清石浜」を通り海岸沿いの道を行く。
郷ノ浦港からなら県道173号線、印通寺港からなら県道24号線により芦辺町諸吉二亦触交差点まで行き、八幡半島の南岸回りで「左京鼻」へ向かう。

後の2枚の写真が、芦辺港から左京鼻に向かう途中の「清石浜」など。
奥に左京鼻のある八幡半島が写る。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」自然環境編による説明は次のとおり。

左 京 鼻   場所 ● 芦辺町諸吉本村触  アクセス ● 芦辺港から車で15分

八幡半島のなだらかなスロープ状の草原を進むと、玄界灘に面して切り立った総延長約1kmにも及ぶダイナミックな海蝕崖に行きつく。ここの海蝕岩は玄武岩特有の柱状節理で、左京鼻の海中からは細い柱を束ねたような奇岩が突き出ている。壱岐島誕生神話の八本の柱の一つ「折柱」である。海鵜のおびただしいフンに覆われているが、遠目には武骨な玄武岩が化粧を施したように美しい。

清 石 浜   場所 ● 芦辺町諸吉東触   アクセス ● 芦辺港から車で5分

芦辺港の南東海岸には約500mの美しい砂浜が広がる。海水浴の各種施設も充実している。背後には砂丘が広がる。冬には水鳥が乱舞して、また違った風情を見せてくれる。

椿山神社のイヌマキ  壱岐市芦辺町箱崎中山触

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椿山神社のイヌマキ  壱岐市芦辺町箱崎中山触

芦辺港から右方の県道23号線へ出て左折。国分方面へ少し向かうと、すぐ左手にあるのが「鏡山神社」である。
イヌマキは社殿前の広場左側に立ち、神社周りの林にもイヌマキの大木が数本あった。
芦辺町「芦辺町史」昭和50年刊、第9章芦辺町の文化財972〜973頁による説明は次のとおり。町の未指定文化財。

椿山神社のイヌマキ  箱崎中山触  鏡山神社所有

暖かい地方の山村に自生している常緑高木で、枝は広がり老木ではしばしば下に垂れている。樹皮は灰白色で、浅い縦裂ができ薄片となって落ちる。葉はへんぺいな線形又は皮針形で、先端は鋭くとがり全緑で皮質表面は深緑色、裏面は淡緑色であり中央の葉脈が隆起している。雌雄別株で5月に開花する。マキは材として、床柱など建築器具用として広く利用されている。
鏡山神社のマキは雄株で、樹形はあまりよくないが、樹齢においても大きさにおいても壱岐のマキの中では最大のものである。
目通り  3.60m