月別アーカイブ: 2008年9月

上対馬の鳴滝  対馬市上対馬町浜久須

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上対馬の鳴滝  対馬市上対馬町浜久須

国道382号線により豊玉町和坂交差点まで行き、右折して対馬上島の東海岸を回る県道39号線へ入る。上対馬町浜久須までかなり北上する。
浜久須から県道は比田勝に向けて登りにかかり、高台へ登ったところに「鳴滝自然公園」の案内板がある。比田勝からがもう近い。車で7分のところ。

ここが鳴滝の入口。植林地の鳥居道を行くと、渓流の上に出て遊歩道の眼鏡橋を渡り、滝の上から下の滝壺まで坂段を下って行く。入口から約200m歩いて着く。
鳴滝の下は傾斜滝となって岩面を流れ落ち、滝壺はその下にある。
現地案内板は次のとおり。
鳴滝自然公園

高さ15m、対馬一の滝で春秋の増水期には滝の音が周囲の山に響きわたりその眺めは壮観である。

朝日山古墳群  対馬市上対馬町大増  

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朝日山古墳群  対馬市上対馬町大増

国道382号線により豊玉町和坂交差点まで行き、右折して対馬上島の東海岸を回る県道39号線へ入る。上対馬町舟志までかなり北上する。比田勝からがもう近い。
舟志の先に大増の集落があり、舟志湾のもう一方の奥となる。海に突き出た場所に「霹靂(いかづち)神社」があり、この丘は朝日山と呼ばれている。

県道から入ると神社の左横へ出る。海に面して石の鳥居が建っている。拝殿裏の石段を登ると本殿があり、本殿上の低い丘に「朝日山古墳群」がある。
現地説明板は次のとおり。

町指定史跡  朝日山古墳群

1.指定年月日 昭和49年2月1日  2.指定地 上対馬町大字大増1073番地
3.説   明
この椎の古木が生い繁った丘の上に霹靂神社がありこの丘は俗に朝日山と呼ばれている。本殿の裏側に石室墓の群集があり昔盗掘をうけている。
昭和23年調査が行われ漢武鏡一面・勾玉・鉄製剣・刀・斧・鎌・鋤・紡鐘車・釘・須恵器・土師器が出土した。
この古墳の須恵器はわが国の祝部土器の中で最も古い形式とされている。
九州の祝部土器の形式を分類してその編年をつくる研究の動機となったのがこの朝日山の古式祝部であった。
また金海式土器が学界で問題になったのもこの朝日山出土器が知られてからである。
考古学上朝日山古墳を標準として中期古墳と後期古墳と類別している。
昭和57年4月1日  上対馬町教育委員会

舟志川の紅葉林  対馬市上対馬町舟志

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舟志川の紅葉林  対馬市上対馬町舟志

国道382号線により豊玉町和坂交差点まで行き、右折して対馬上島の東海岸を回る県道39号線へ入る。上対馬町琴までかなり北上する。
「琴の大イチョウ」を過ぎると琴川を遡り、横坂を越すと小白岳麓の舟志川上流に出、渓谷沿いに県道は下る。
この辺りは対馬一の紅葉林らしい。現地説明板は次のとおり。

対馬一の紅葉

私達は、舟志川渓流周辺に自生する、イロハモミジ、コハウチワカエデ、ナナカマド、ケヤキ、モミ等の樹木があみだす美しい景色の保護、育成に努めています。
このような、自然環境をいつまでも保続させ、樹々へのやさしい心と地域環境の美化にご協力をお願いします。
平成4年11月3日  長崎県  上対馬町舟志区

対馬琴のイチョウ  対馬市上対馬町琴

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対馬琴のイチョウ  対馬市上対馬町琴

国道382号線により豊玉町和坂交差点まで行き、右折して対馬上島の東海岸を回る県道39号線へ入る。上対馬町琴までかなり北上する。
対馬市役所琴出長所や琴郵便局を過ぎた県道沿いの左手に広場があり、「日本一樹齢 琴の大銀杏」の看板を付けた大イチョウがある。

根元の空洞の大きさに驚かされる。右後の墓地に大きなスギや別のイチョウの木があった。 
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明、及び対馬観光物産協会発行「対馬の巨木と自然」(2003年改訂)リストによる説明は次のとおり。

対馬琴のイチョウ  県指定天然記念物

指定年月日 昭和36年11月24日  所在地 下県郡上対馬町大字琴657
所有者 上対馬町ほか
琴は、対馬北部の東海岸にある。このイチョウは、集落の路傍にそびえる雄株で、昔から対馬全島によく知られていた。幹のまわりは12.50m、樹高およそ40mで、全国有数のイチョウの巨樹である。
記録によると寛政10年(1798)、落雷のため樹幹が裂け、火災が起って幹に空洞ができた。空洞内部は、火災で焼けたあとが黒く残っているが、樹勢は悪くない。

28 琴のイチョウ 県 (上対馬町琴)

日本一の推定樹齢1500年を誇り、対馬の親木とも言われる巨樹で、幹回り12.5mで日本第6位の太さと言われています。樹勢も良好な雄株で、落雷により焦げた樹肌や樹形に風格があります。
28 琴のイチョウ    イチョウ(雄)  幹回り12.5m  樹高 20m

六御前神社のイチョウ  対馬市豊玉町千尋藻

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六御前神社のイチョウ  対馬市豊玉町千尋藻

国道382号線により豊玉町和坂交差点まで行き、右折して対馬上島の東海岸を回る県道39号線へ入る。千尋藻トンネルを出て集落への道を下る。
千尋藻大橋を渡り、川沿いの集落内の路地へ行くと右手奥に「六御前神社」があり、大イチョウが立つ。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明、及び対馬観光物産協会発行「対馬の巨木と自然」(2003年改訂)リストによる説明は次のとおり。

六御前神社のイチョウ  県指定天然記念物

指定年月日 昭和47年8月15日  所在地 下県郡豊玉町大字千尋藻338
所有者 六御前神社
六御前神社は、対馬中部の東海岸の集落千尋藻にある。このイチョウは、神社の境内にそびえる雌株で、目通り幹まわり5.60m、高さ約10m、四方に枝を出し、枝張りは東西南北とも8.50mないし10mほどで、イチョウ特有の美しい樹形である。また、数個の小さな乳柱も見られる。
51 六御前神社のイチョウ 県 (豊玉町千尋藻)

幹回り6.65m、樹高24mの雌株です。老木と言うよりも若々しい精気さえ感じられる巨樹です。若葉と黄葉の頃、美しい樹形が背後の山と静かな集落のたたずまいに良く映えます。
51 六御前神社のイチョウ イチョウ(雌) 幹回り 6.65m 樹高 24m

千尋藻の漣痕  対馬市豊玉町千尋藻

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千尋藻の漣痕  対馬市豊玉町千尋藻

国道382号線により豊玉町和坂交差点まで行き、右折して対馬上島の東海岸を回る県道39号線へ入る。千尋藻トンネルを出て集落への道を下ると、戸浦の小さな入り江に出る。
「千尋漣の連痕」は、右岸の海岸道を行くと、一軒家の先の海岸崖地に漣痕が見られる。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。

千尋藻の漣痕  県指定天然記念物

指定年月日 昭和41年5月26日  所在地 下県郡豊玉町大字千尋藻字戸浦630
管理責任者 豊玉町
対馬は、全島がほとんど泥質の第三紀層よりなり、一括して対州層群とよばれている。地層は主として厚い頁岩か、頁岩・砂岩の互層である。頁岩に挟まる砂岩の上面や下面に、堆積作用のあらわれとして、水流や水の動揺の痕跡を留めているところが多い。上面の波状の起状は漣痕であり、下面には水流の流れによって泥がかきとられた跡を埋めた砂の型が底痕として残される。
千尋藻の漣痕は、昭和27年の台風時の崖くずれによって、地層面が露出したもので、対馬では比較的発見例は多いが、この漣痕が規模も大きくみごとである。

浅藻隧道他厳原町内の県道トンネル群  対馬市厳原町

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浅藻隧道他厳原町内の県道トンネル群  対馬市厳原町

対馬下島を回る県道24号線(巌原〜豆酘〜美津島線)。この南端となる厳原町安神から浅藻間の山間部に「浅藻隧道」「安神隧道」「久和隧道」がある。
3つのトンネルは、陸軍が軍事目的により昭和13〜17年代に相次いで建設したもの。技術の高さと文化の薫りをとどめ、現在も幹線県道のトンネルとして供用されている。

土木学会編「日本の近代土木遺産(現存する重要な土木構造物2000選)」の中より、九州での河川、道路を主とする公共的な土木施設を紹介した社団法人九州建設弘済会HP「土木遺産 in九州」長崎県の中の説明は次のとおり。

浅藻隧道他厳原町内の県道トンネル群 〔トンネル〕  対馬市

所在地・完成年等
●所在地:長崎県対馬市 下県 巌原町  県道・巌原〜豆酘〜美津島線
●完成年:【浅藻隧道】1938年(昭和13年) 【安神隧道】1939年(昭和14年)
【久和隧道】1942年(昭和17年)
●設計者:不明
●施工者:不明
●管理者:長崎県
●文化財指定等:

施設の形式・諸元
【浅藻隧道】 ●延長:204.0m、●幅:4.5m
【安神隧道】 ●延長:226.2m、●幅:4.5m
【久和隧道】 ●延長:266.0m、●幅:4.5m
●形式:

遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など)
浅藻隧道、安神(あがみ)隧道、そして久和隧道の三つのトンネルは、軍事目的として陸軍が対馬に建設したもので、軍事施設(主に砲台)の建設や物資の運搬に利用されました。対馬は、国境の島として古くから国防の最前線でした。このことから明治、大正、昭和の戦前にかけて、軍は対馬の要塞化を進めていきましたが、この歴史の流れの中で建設されたトンネルです。今では主要地方道として県の管理下にありますが、戦前は、軍の機密事項として公にされていなかったといわれています。
トンネルの坑口は、「笠石に大きくて粗なデンティル風模型のついた統一的なデザイン」であり、一見して優雅、端麗な印象を受けます。当時は、付近の住民らをかり出して行った陸軍の直営工事であったはずですが、なお文化の薫りを留めた設計施工がなされているところに、当時の土木技術者の意気を見た思いがします。
対馬市役所からのおよその距離は、安神(あがみ)隧道まで11.3km、久和隧道までさらに5.9km、浅藻隧道までさらに3.7km。ほぼ21kmの行程です。

交通アクセス  島外との交通手段は、対馬空港からの航空機、比田勝・厳原からフェリー、高速船が運航。

青島海岸のハマユウ群落  壱岐市芦辺町諸吉南触

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青島海岸のハマユウ群落  壱岐市芦辺町諸吉南触

郷ノ浦港から県道173号線、印通寺港からなら県道24号線により芦辺町諸吉二亦触交差点まで行き、八幡半島の南岸回りで「左京鼻」へ方へ向かう。
途中に青島大橋が架かっている。渡ると「青島公園」となっており、駐車場のところにハマユウの群落があり保護されている。道路の先は九州電力新壱岐発電所で行き止まり。
芦辺町「芦辺町史」昭和50年刊、第3節未指定文化財970〜971頁による説明は次のとおり。
ハマユウ(ハマオモト)の群落  諸吉南触 青島海岸

ハマユウは、勝本町辰の島と町内では八幡海岸にまばらに自生しているのが見られる。青島のハマユウは、群落をつくりその数は、数百本に及んでいるが、このように群落としてまとまって自生繁殖しているのは珍しい。
このハマユウは、島の北東部海岸の松の下に多く繁茂し、夏になると白い花が一面に咲き乱れ、よい香りがし、みごとなものである。

ハマユウは、関東南部から、以南以西の海岸砂地に生える大形の常緑多年生草木で、茎に見えるのは偽茎(白く多肉の葉柄が何枚も巻き重なったものである)であり、これが直立し高さ50cmぐらいになり、太さ5〜10cmの円柱となっている。偽茎の上部から多数の大きな葉を四方に開出し、葉幅は広く全緑で先にいくほど葉質は厚く滑らかである。
夏に葉の間から花茎を出し先に十数個の白色の花が傘形に咲き、よい香りがする。種子は白色を帯び少数でとても大きく、熟すと砂上に種子が転がり落ちる。砂地が長く乾燥していても容易に発芽する。
芦辺町は昭和51年(1976)度この青島を自然保護のため買収した。

寄八幡神社のマツ  壱岐市芦辺町諸吉本村触  

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寄八幡神社のマツ  壱岐市芦辺町諸吉本村触

郷ノ浦港から県道173号線、印通寺港からなら県道24号線により芦辺町諸吉二亦触交差点まで行き、八幡半島の南岸回りで「左京鼻」へ方へ向かう。
左京鼻の分岐へ入らず、「はらほげ地蔵」方の八幡浦集落の道を行くと、集落の先端に「寄八幡神社」がある。「壱岐長者原化石層」に載せたところ。

神社を囲むように、高く大きいマツが目立つ。幹囲は3mクラスの木が数本ある。
神社の話では、ここはマツの生育に適した土地か成長が早く、幹の芯となる部分が黒くならず空洞がまったくない木に育つそうである。