浅藻隧道他厳原町内の県道トンネル群 対馬市厳原町
対馬下島を回る県道24号線(巌原〜豆酘〜美津島線)。この南端となる厳原町安神から浅藻間の山間部に「浅藻隧道」「安神隧道」「久和隧道」がある。
3つのトンネルは、陸軍が軍事目的により昭和13〜17年代に相次いで建設したもの。技術の高さと文化の薫りをとどめ、現在も幹線県道のトンネルとして供用されている。
土木学会編「日本の近代土木遺産(現存する重要な土木構造物2000選)」の中より、九州での河川、道路を主とする公共的な土木施設を紹介した社団法人九州建設弘済会HP「土木遺産 in九州」長崎県の中の説明は次のとおり。
浅藻隧道他厳原町内の県道トンネル群 〔トンネル〕 対馬市
所在地・完成年等
●所在地:長崎県対馬市 下県 巌原町 県道・巌原〜豆酘〜美津島線
●完成年:【浅藻隧道】1938年(昭和13年) 【安神隧道】1939年(昭和14年)
【久和隧道】1942年(昭和17年)
●設計者:不明
●施工者:不明
●管理者:長崎県
●文化財指定等:
施設の形式・諸元
【浅藻隧道】 ●延長:204.0m、●幅:4.5m
【安神隧道】 ●延長:226.2m、●幅:4.5m
【久和隧道】 ●延長:266.0m、●幅:4.5m
●形式:
遺産の説明(社会的背景・歴史的・文化的価値など)
浅藻隧道、安神(あがみ)隧道、そして久和隧道の三つのトンネルは、軍事目的として陸軍が対馬に建設したもので、軍事施設(主に砲台)の建設や物資の運搬に利用されました。対馬は、国境の島として古くから国防の最前線でした。このことから明治、大正、昭和の戦前にかけて、軍は対馬の要塞化を進めていきましたが、この歴史の流れの中で建設されたトンネルです。今では主要地方道として県の管理下にありますが、戦前は、軍の機密事項として公にされていなかったといわれています。
トンネルの坑口は、「笠石に大きくて粗なデンティル風模型のついた統一的なデザイン」であり、一見して優雅、端麗な印象を受けます。当時は、付近の住民らをかり出して行った陸軍の直営工事であったはずですが、なお文化の薫りを留めた設計施工がなされているところに、当時の土木技術者の意気を見た思いがします。
対馬市役所からのおよその距離は、安神(あがみ)隧道まで11.3km、久和隧道までさらに5.9km、浅藻隧道までさらに3.7km。ほぼ21kmの行程です。
交通アクセス 島外との交通手段は、対馬空港からの航空機、比田勝・厳原からフェリー、高速船が運航。