朝日山古墳群 対馬市上対馬町大増
国道382号線により豊玉町和坂交差点まで行き、右折して対馬上島の東海岸を回る県道39号線へ入る。上対馬町舟志までかなり北上する。比田勝からがもう近い。
舟志の先に大増の集落があり、舟志湾のもう一方の奥となる。海に突き出た場所に「霹靂(いかづち)神社」があり、この丘は朝日山と呼ばれている。
県道から入ると神社の左横へ出る。海に面して石の鳥居が建っている。拝殿裏の石段を登ると本殿があり、本殿上の低い丘に「朝日山古墳群」がある。
現地説明板は次のとおり。
町指定史跡 朝日山古墳群
1.指定年月日 昭和49年2月1日 2.指定地 上対馬町大字大増1073番地
3.説 明
この椎の古木が生い繁った丘の上に霹靂神社がありこの丘は俗に朝日山と呼ばれている。本殿の裏側に石室墓の群集があり昔盗掘をうけている。
昭和23年調査が行われ漢武鏡一面・勾玉・鉄製剣・刀・斧・鎌・鋤・紡鐘車・釘・須恵器・土師器が出土した。
この古墳の須恵器はわが国の祝部土器の中で最も古い形式とされている。
九州の祝部土器の形式を分類してその編年をつくる研究の動機となったのがこの朝日山の古式祝部であった。
また金海式土器が学界で問題になったのもこの朝日山出土器が知られてからである。
考古学上朝日山古墳を標準として中期古墳と後期古墳と類別している。
昭和57年4月1日 上対馬町教育委員会