原の辻遺跡 壱岐市芦辺町・石田町
壱岐市芦辺町・石田町の平野部に広がる「原の辻遺跡」。弥生時代の大規模環濠集落跡で、「魏志倭人伝」に記載されている「一大(?支が定説)国」の中心的集落と推定されている。
HP「壱岐の島・原の辻遺跡(上)」によると、魏志倭人伝の記載(現代語訳)は次のとおり。
…また大海を渡ると千余里で、壱岐に到達する。この海を瀚海(かんかい:現在の玄界灘)という。長官を(対馬と)同じく卑狗といい、副官を卑奴毋離という。周囲は三百里ほど。竹木や草むらが多く、三千戸程の家がある。少し田畑があるが、これだけでは生活できず、(対馬と)同様に韓国・北九州と交易している。
「原の辻遺跡」は、佐賀県吉野ヶ里遺跡と並ぶ国指定の特別史跡。芦辺港と印通寺港を結ぶ県道23号線の中間くらいの県道沿いにある。
長崎県の「壱岐・原の辻展示館」があり、壱岐市による歴史公園が整備中であった。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。
原の辻遺跡 特別史跡(国指定)
指定年月日 平成12年11月24日 所在地 壱岐郡芦辺町・石田町
管理団体 芦辺町・石田町
原の辻遺跡は、弥生時代を中心とする大規模な多重環濠集落であり、中国の歴史書『魏志倭人伝』記載の「一支国」の王都として特定された極めて重要な遺跡である。
遺跡は、平野に張り出した台地と低地一帯に立地し、100haほどの範囲が推定される。環濠内と低地には居住域が拡がり、台地中央の頂部に高床建物をもつ祭儀場跡が存在する。6箇所の墓域では、石棺墓・土壙墓を主体として、中国鏡・銅剣・腕輪の青銅器、ガラス玉・勾玉などが副葬された有力者の墓も認められる。台地西側の低地では、日本最古の船着き場跡が発見され、周辺の低地では稲作を行っていたことが確認されつつある。
遺物は、青銅製馬車具、三翼鏃・中国貨幣(五銖銭・貨泉・大泉五十)、鉄器、朝鮮半島系土器、床大引き材、ココヤシ製笛など、大陸との交流・交易を物語る遺物が多く出土している。
指定面積は、161,491.23㎡。
七夕会壱岐観光情報HP「壱岐ファイル」歴史文化編による説明は次のとおり。
原の辻遺跡 場所 ● 芦辺町・石田町 アクセス ● 芦辺港から車で10分
紀元前2〜3世紀から紀元3〜4世紀にかけて形成された大規模な多重環濠集落で、芦辺町と石田町にまたがる台地上を中心に、東西、南北ともに約1km四方に広がっている。平成7年、原の辻遺跡は『魏志倭人伝』の中の「一支国」の王都と特定された。発掘調査途中のため、古代史を書き換えるような発見が相次いでいる。
最近では人面石が話題になった。ムンクの絵のようなユニークなもので、3〜4世紀に作られたもの。また棹秤に用いる錘らしきものも出土し、事実だとすると7世紀とされていた度量衡整備が、さらに400年以上もさかのぼることになる。出土品は原の辻資料館に展示されている。
平成13年に弥生時代のものとしては国内3カ所目の国特別史跡に指定。