長崎名勝図絵の風景 22 海 門 山(権現山)ほか
「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)
本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。
「黒船礁」は、日南海岸の鬼の洗濯岩に似た「脇岬のビーチロック」(県指定天然記念物)のことである。
長崎名勝図絵 巻之二下 南邊之部
164 海 門 山 (文献叢書 142〜146頁 所在地 長崎市野母町)
長崎の南七里 野母浦の高山。他の山に接せず、これだけが高く聳えているので、登って見ると、周囲が果てしなく見渡せる。権現山、日の山、火の山とも称する。山上の木立ちの中に、火山権現の祠がある。夜になると、山の頂に燈火が現れその光は尋常のものではない。人皆これを霊異とした。外国の船が入津するに当たって、この燈火を目印にした。また熊野権現の祠がある。…
165 野母の遠見番所 (文献叢書 144〜146頁 所在地 長崎市野母町)
権現山の内にある。港から中番所まで約580丈、さらに上の番所まで230丈。又霧番所がある。…寛永15年(1638)2月、松平伊豆守源信綱が、…野母崎は港外の高山で、南は薩摩、西は平戸五島まで見える最適の場所であり、ここに番所を設けて、異船が見えたら速刻飛船(足の速い舟)で奉行所に注進させよ、とあって、ここに遠見番所が建てられた。…
166 圓通山観音寺 (文献叢書 144〜147頁 所在地 長崎市脇岬町)
長崎の南七里 御崎村にある。野母浦の南で、深堀に属する。元享釈書に肥之御崎と称す。所謂日域西南之隅、異木奇岩ありとしているのがここである。この地は阿膠木(あこうぼく)を多く産する。西北に野母浦があり、浦に鬚巌(たてがみいは)がある。古来奇石異木寺と称している。昔和銅年中(708−714)行基菩薩が創立されたもので、規模雄壮、僧房棟を連らね、法燈大いに隆盛であったが、のち切支丹の横行は、この地にも災が及んで、衰滅に瀕した。
天文6年(1536)御崎備後守廣重が重建、僧良圓が財を募って修めた。今寺の前、数百畝の田は、古寺の遺址である。祀るところの千手観音は、行基菩薩が、長良橋の梁木から七体の像を刻んだ。そのうちの一本で、材は榧の木。立像の高さ8尺。長谷寺にあるものと全く同じである。この寺は昔からの景勝の地で、且つ霊跡が極めて多い。…
長崎の湊より肥の御崎にいたれば西南もなき処、唐船行きかふ潮路なりといふに
郭公むなしちくしの沖の雲 石蘭
167 黒 船 礁 (文献叢書 144〜147頁 所在地 長崎市脇岬町)
野母海中にある。昔覆没した蛮船が、年を経て遂に石と化し、礁となったという。一名板礁。
168 樺 島 (文献叢書 144〜147頁 所在地 長崎市野母樺島町)
野母浦の南五十町、民家多く繁栄している。海岸の巌石は、その形奇にして、漢画の山水を見るようである。中に一奇洞がある。…