長崎名勝図絵の風景 20 雄 浦(大浦)ほか
「長崎名勝図絵」は、長崎奉行筒井和泉守政憲の命を承け、当時長崎聖堂助教で儒者であった、西疇 饒田喩義強明が、野口文龍渕蔵の協力を得て編述し、これに画家の竹雲 打橋喜驚惟敬の精緻な挿絵を加え、完成したもので、執筆は文化、文政年間(1804−1829)であったと思われる。平易に読める文体に書き改めた詳訳が、丹羽漢吉先生の訳著によって、長崎文献社から長崎文献叢書第一集・第三巻「長崎名勝図絵」として、昭和49年(1972)2月発行されている。(発刊序から)
本ブログ「長崎名勝図絵の風景」は、主な図絵について現今の写真と対比させる試み。デフォルメされた図絵が多く、現在ではそのとおりの風景はほとんど写せない。おおかたがわかる程度の写真として撮影している。解説は詳しく引用できないので、図書を参照していただきたい。
長崎名勝図絵 巻之二下 南邊之部
147 雄 浦 (文献叢書 136頁 所在地 長崎市大浦町)
梅が崎の側にある。旧名大浦。大村領である。木々の生茂った崖が、入海を挟んでおり、漁家数十戸がある。雄浦欵乃(欵乃は船唄)と題し、長崎十二景の一である。
148 道栄が浜 (文献叢書 136頁 所在地 長崎市松が枝町)
大浦第一の景勝の地で、昔林道栄が大村侯から賜わり、ここに仮寓していたので、道栄が浜と称するのである。
149 妙 行 寺 (文献叢書 136頁 所在地 長崎市相生町)
雄浦にある。一向宗の道場。もと高力左近将監の別業であった。寛文年中(1661−72)大村純長公が寺に寄進した。一説ではこの寺地は、興福寺の唐僧如定が退隠していた所という。今年文政2年(1819)の春火災に罹り、堂宇悉く灰燼に帰した。側の山上に日親の祠がある。