長崎の古写真考 目録番号:5109 長崎福済寺上からの長崎港(2) ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5109 長崎福済寺上からの長崎港(2) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。
確認が済んだものをその都度、最新の写真の状況を添えて報告したい。気の向くままの調査のため、目録番号の順は不同である。

目録番号:5109 長崎福済寺からの長崎港(2)
目録番号:5110 長崎福済寺からの長崎港(鉄道用地工事中)(3)
目録番号:5618 福済寺からの長崎市街(2)
(関連作品)
目録番号:2900 福済寺からの長崎市街(1)
目録番号:4215 長崎港と中町教会

■ 確認結果

フーコの振り子がある「萬国霊廟長崎観音」で有名な長崎市筑後町の「福済寺」。長崎原爆により、本堂・大雄宝殿などすべて焼失した。
文政初年(1878〜)頃の復元模型が、長崎歴史文化博物館2階に展示されている。監修者は、村田明久氏(長崎総合科学大学)。住職から話を聞き、当時の寺の配置と様子を知るため、模型を写しに行った。唐人屋敷の模型もあった。関連作品の前の項も参照。

最初の目録番号:5109「長崎福済寺からの長崎港(2)」は、左下に写っているのが「大雄宝殿」と思われる。甍の鯱・五重塔がはっきりわかる。建物の向きが合い、右下の一段低い屋根は、現在の庭園にあった「開山堂」だろう。

2枚目の目録番号:5110「長崎福済寺からの長崎港(鉄道用地工事中)(3)」は、これも「大雄宝殿」を今度は右下に写していると思われる。左側に続くのは、「斎堂」などの屋根だろう。
長崎駅側の海面が埋め立てられたのは、最初の写真説明にあるとおり、明治37年(1904)。

3枚目の目録番号:5618「福済寺からの長崎市街(2)」は、その左側。右側の松の下に写っている縦向きの建物が、旧本堂の「書院」と思われる。横向きなのは手前が「青蓮堂」、奥のが参道「山門」の屋根とすれば、建物の配列と向きは合うと思われる。